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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

アイヌ民族・文化 “アイヌ文化”の起源は!

2007年11月14日 | 歴史
アイヌ民族の自然観・価値観は極めて雄大であり、自然への同化がアイヌ文化そのものとして、自然に対して感謝に満ちた生活は、縄文文化を維持・継承してきた証である。
アイヌ文化は、縄文文化の遺産を色濃く持っている。



写真は、釧路市の“幣舞遺跡”から出土した白滝産黒曜石製品。
北海道東・道北地方の縄文土器がサハリン南部で見つかり、白滝産・置戸産の黒曜石は、アムール川河口で見つかっている。



写真は、伊達市の“有珠モシリ遺跡”から出土した“イモガイ”製アクセサリー。

本土との交流も盛んで、亀ヶ岡式土器・ヒスイ製品・ストーンサークルなど、東北文化が持ち込まれている。
写真のように、伊達市の“有珠モシリ遺跡”からは、ゴボウラ・イモガイ製の腕輪なども出土している。
沖縄諸島から日本海ルートで運ばれてきたと思われる。

続縄文時代は、縄文文化段階のままの停滞した社会とのイメージが残るが、同時期の本土弥生時代は金属器・稲作を受入れたが、北海道では金属器は使用したが、稲作とその後の本格的古墳文化を受入れなかった。

続縄文時代には、縄文文化の狩猟・漁労・採集の伝統を保持し、自然環境に最も適した生業を受継いだ文化で、北日本文化の源流と云える。

弥生文化以降の“農耕牧畜文明”が自然を壊す文明であり、工業文明が発達して一層自然を破壊し、昨今では環境破壊が地球そのものを破壊しかねない危機感が、世界中に広がっていることからも、“狩猟・漁労・採集文化”に生きた縄文文化の知恵に学ばないと人類は末永く生きて行けない!

アイヌ人の宗教観は格別としても、自然を中心においた生活スタイルはそれほど特異なものではなく、文明から隔絶された原住民の文化は、世界各地に現在も存在する。



江刺市の“オホーツクミュージアム”に展示されている、“オホーツク式土器”のアイヌ的文様に注目!

アイヌ文化は、縄文時代の伝統を受継いで、本土・中国東北部・樺太などと盛んに交易した成果であり、オホーツク文明圏からの影響も強く受けている。

と云うことで、アイヌ文化は北海道全体に広がっているが、アイヌ文化の中心となるような遺跡・遺構・聖域は、現状判然としていない。


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