近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県明日香村で大化改新の立役者「出会いの場」に精巧な石敷発見!

2013年02月18日 | 歴史
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大化改新の立役者、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が初めて出会った場所「飛鳥寺西の槻の樹の広場」とみられている奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、7世紀中頃~後半の石敷きが見つかり、村教委が平成25年1月30日に発表した。

調査地は飛鳥寺西門の西にある「入鹿の首塚」のすぐ西側。当時の西門の西方約40mに位置する。





写真は、大化改新立役者の敷石跡発掘現場及び敷石跡の拡大光景。

石や砂利を隙間なく丁寧に敷き詰めており、明日香村教委は当時の皇族・貴族らが饗宴や儀式を催した広場にふさわしい空間としている。

石敷きはこれまでも確認されていたが、今回は東西15m・南北24mの広範囲にわたって出土。

このうち東西6m・南北10mの範囲には、15~25cm大の平らな石を精巧に敷き詰め、周りには3~10cm大の砂利を敷いていた。

過去の調査から同遺跡は東西約120m・南北約200mと確認されており、周辺にもさらに石敷きが広がっていた可能性が高い。

また、写真のように、石敷きには石のない円形の部分が2か所あった。

拳大石の石敷きの中央では直径1・9mの範囲で石敷きが欠落。内側は石敷きが整備された後に人為的に掘り込まれた直径約1・5m・深さ40cmの穴があった。

調査区東側では直径3m以上・深さ1・6m以上の穴も見つかった。どちらの穴も性格は不明。

日本書紀で、広場にあったとされる「槻(ケヤキの古名)」などの木の根や、建物の柱の痕跡は今回見つからなかったという。



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