<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「私は19才になる大学生です。
大学のクラブでは野球をやっています。
部員は50名ほどの中堅野球部なんですが、これが大変です。
先輩後輩との交流がクラブの野球を通じてしかないのです。
試合や練習後に先輩や後輩と一緒に食事をすることが校則で禁じられています。
春の新入部員の時も新入部員歓迎会も禁じられています。
つまりクラブでの練習と試合以外は一切の接触が禁じられているのです。
もしそれを破ったら停学もしくは退学処分で、良くても部活動から離れなければなりません。
これっていったいなんなんでしょうか?」

先週、ラジオから流れてきた驚くべき投書なのであった。
なんでも、今の大学では先輩後輩の付き合い酒は厳に戒められているということで、もし一緒に飲んだりなんかしたら退学処分になってしまうというのだ。
俄には信じられないない内容であったが、大学の関係者に聞いてみると、そういう大学が存在し、その数も増加しているのだという。

これは「大学生特有の宴会」で酒を飲んで急性アルコール中毒なんかになって救急車で運ばれたりしてた大騒動になってしまうことを恐れての規制なのだ。
ましてや、最近は限界をわきまえないアホな学生が増えており、急性アルコール中毒でぶっ倒れたままあの世へ旅だってしまうものもいるという。
だから、責任逃れのために大学当局が学生同士の交流を禁止してしまうという、愚の骨頂的手段に出ているのだ。

これでは何のために大学に入ったのやらわからない。
大学は研究活動をするところであることはもちろんのこと、広く信頼できる友人や仲間を見つける場所でもある。
時には生涯のパートナーを見つける場所でもある。
一方、考え方の違う敵やアホタレと出会うところでもある。
この仲間であろうが、アホタレであろうが出会う場所が大学通の居酒屋であったり、麻雀屋であったり、他人の下宿屋であったりするわけで、そこでの交流を禁じてしまうと大学としての価値はほとんど無くなってしまう。

単に単位だけ取りに行くだけの大学なんて無味乾燥でつまらない。
それでは大学ではなくてブラック企業の社員研修会と変わらないではないか。

そもそも、酒も飲み方も知らない子供たちがいけない。
最近の親は子どもに酒を飲ませないのがいけないのかもしれない。
「お酒は二十歳になってから」
という法律があるから、もちろん公式に子どもに酒を飲ませると違法である。
でも、これは建前論ではないか、と私は思っている。
この建前論を厳密に遵守し、それ以外は犯罪者だみたいな革新政党が喜びそうな風潮が日本の文化を駄目にしているように思われてならないのだ。
ルールを守るのが賢くて真面目、という風潮が災いしている。

例えば六代目笑福亭松鶴は、
「ワテは3つから飲んどりましたんや」
と言っていた。
芸人だからこうなのか、というと一般人も大した違いはなく、私も物心がつく前から酒はお正月にはお屠蘇として1杯はちゃんと飲ませてもらっていた。
さらに高校生になったとき、友達の部屋にサントリーオールドを隠し持ち、何人かでチビチビやりながら、
「明治時代の男たちはどうしてあんなにすごいことができたのか」
などという、今では考えられないような論議を張っていたのだから、酒というのは友人とその価値観を共有するきっかけになるための非常に重要なエッセンスであるわけだ。

ともかく、それだけ法律遵守が大切なのであれば、ともかく改正の必要があると思われてならない。

お酒は18才になってから。

と。

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