<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「東大の卒業生を数人雇っているですけど、もうどうしようもないですね。毎日、植木に水をやるようにと指導していると、ある日、雨が降ったんです。雨上がりにその元東大生がバケツに水を入れて出て行くので『どこへ行くんや?』と聞いたら、『え?花に水やりに行くんですけど』って。私冗談やと思ったんですが。本気やったんです。これが今の東大生なんですね。」

と、話をオモシロおかしく聞かせてくれたのは建築家の安藤忠雄。
サントリーミュージアム天保山でのギャラリートークの一コマだった。

山本夏彦の対談選集「この世のことは笑うほかなし」を読んでいると、現在の日本人の感性がかなり狂ってしまっていることに気付かざるを得ない。
東大生のエピソードではないが、機転が利かないのか、応用力がないのか、それとも単なるバカなのか。
全身の力が抜けそうになる出来事が生活の周りに溢れすぎている。

なんだか見知らぬ外国の、それも知的水準はそんなに低くないけれども文化水準の恐ろしく低い妙なところにいるような錯覚を起こすことさえある。

本書の対談の相手は現在では相当なポジションについてその業界を支えている人や、すでに故人となっているが現在の日本の繁栄の下地を作った人々が取り上げられている。
まだ若かった時代の安藤忠雄もそうであるし、数々の名脚本を執筆しながら航空機事故で亡くなった向田邦子もそうであるし、ソニーを創業し一時期は「このひとを外相に」と言われた盛田昭夫もそうであるが、これらの人たちの対談の中で語られる言葉は、ともすれば現代であれば、

「それって言い過ぎでしょう」

などという安易な言葉で非難されるような筋の通ったことが少ないことに気付く。

山本夏彦自身が文春や諸君の誌上に連載していたコラムそのものが元々辛辣で奥深いものであっただけに、対談もそれ相応のスパイスが利いたなかなかパンチのあるものが厳選されていた。
「ものづくり」という観点からは盛田昭夫との対談が面白いが、安野光雅の恐れを知らない純真さだけの画家としてのスタート話(単に東京に出たら絵でメシが食えると思っていたこと)や阿部譲二の「牢屋に入れられたことを後悔なんてしていない」というアウトローな生き方は山本夏彦の受け答えと合わせて読むものに自信を与えるところさえあるのだ。

死してもなお健在感が漂う頑固オヤジさんの痛快対談集なのであった。

~「この世のことは笑うほかなし」山本夏彦著 講談社~

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