<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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アカデミー賞の発表前か気になっていた映画「コーダ あいのうた」を観た。

正直に告白するとそもそも障害者を題材にした映画は苦手なのであった。
小学校、中学校時代の道徳の時間に使われるテキストや教材映画などが影響しているのかも知れないし、普段の障害者に対する何か特別な配慮のようなものが性に合わないというところもあったのだろう。
学生の頃、電車で座って本を読んでいたら隣に座った中年の男が反対側に座った同じ年格好の女性に対して手話を始めた。
最初は気にならなかったのだが、次第にその手のジェスチャーが私の目と本の間に頻繁に飛び込んできたことがある。
「手話、鬱陶しいな。大声で話しているのと同じやん」
と迷惑な表情をしたら、動きがさらにエスカレート。
その二人、なんと電車で降りがけに、
「手話を迷惑がる人もいるからね。はははは」
と声に出して話していたのには驚くよりも怒りを感じて、以来、好感を持てなくなっていたのだ。
こういうの、なんで特別扱いしないといけないのか、と。

ところが「コーダ」が話題になり始まる前にWEBに上がっていた簡単な解説を
読むとコメディなのだという。
私は米国や英国のコメディ映画やテレビ番組がお好みで、最近は特撮、CG満載の映画が多すぎて何か「普通の映画」が観たくてしかたがなかったところに「コメディ」であるという本作を見つけたのだ。

この映画、問題は上映館が少なく上映回数も少なく、結果的になかなか劇場に向かうことができなかった。
そこへアカデミー作品賞受賞のニュースが流れるとともに近所の映画館でも上映が決定。
さっそくカミさんを伴って会員デーに見てきたのだ。

1時間30分ほどの短い時間にこれだけのユーモアと暖かさを詰め込んだ映画は最近少ない。
コメディと聞いてたが、どちらかというと笑いはテーマの重さを見事にカモフラージュしているスパイスという存在だ。
ろうあ者の家族に囲まれて生きる高校生。
彼女が稀代の歌唱力を持っていることを家族はわからない。
先生をはじめ彼女の周囲はそのことを認め、卒業後にバークレー音楽院を目指すことを薦めるが、家族にとってはその価値がわからないだけに困惑が広がる。
バークレー音楽院卒業生には日本人のミッキー吉野や渡辺貞夫がいる。
さあどうなるのか。

登場人物がすべて魅力的で汚い言葉(手話)で笑わせてくれるお父さんもそうだが、私には兄さんと音楽の先生も非常に魅力的に思えたのだ。
もちろん主人公の高校生の娘を演じたエミリア・ジョーンズの可愛さと歌の巧さは、クライマックスのオーディションシーンを中心に見とれてしまう魅力を感じたのは言うまでもない。

「CODA〜コーダあいのうた」
この作品が最優秀作品賞のアカデミー賞は健全なのであった。
今年は色々あったけど。


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