<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「お米を一粒でも無駄にしてはいけません」
子供の頃、ご飯を食べていると父や母によく注意された。
「ご飯のお米はお百姓さんが汗水垂らして作った大切な食べ物。だから自分のお茶わんに盛られたご飯は一粒残さず食べなければ(神様や仏様の)罰が当たる。」
というのが、注意の背景にある理論だった。

つまり日本は食べ物を大切にする国だった。

先日、大阪や北海道などのコンビニエンスストアを営む経営者たち7人が、フランチャイズ元のセブンイレブンを訴える事件があった。
なんでも、消費期限切れ直前の食品(特に弁当)の廉価販売を妨害され、多額の損害を被ったという訴状だった。
コンビニエンスストアの売り上げで最も重要な商品が弁当やおにぎりだそうだが、これら一連の食品には消費期限が設定されていて、期限が過ぎると腐っていなくても廃棄される。
その量約1100万トン(平成18年)。
消費期限は役所の決めた法律で、「自分の食べ物が食べられるか食べられないかの判断ができないほど国民はアホですよ。」という官僚やボンボン政治家の理論で作られている。

これが「米粒を残してはいけませんよ」と教えていた国の現状である。

曾野綾子著「貧困の光景」はアフリカやアジアを訪れた筆者の体験がつづられ、その中から人間社会の本当の貧困とはいったいどのようなものであるのかを読者に知らしめている。
日本で叫ばれている格差社会がいかに問題にならないのか。
ここに取り上げられている世界の「貧困」とを比べると、貧困を考える世界そのものが異なっているのではないかとさえ思えてくる。
本書にあるように私たち日本人が現代社会に於て「明日、食べるものがない。」という立場に陥ったこともないし、「貧乏で学校へ行っていません」なんてこともない。
「行き倒れ」という言葉も時代劇を除いてほとんど耳にすることはなくなった。もし実際に行き倒れになった人が現われたら、それこそニュースの材料として格好の標的になる。

考えてみれば「格差が広がっています」と、テレビのニュースでアナウンスするアナウンサーの給料は一般サラリーマンのそれとは比べ物にならないくらい高い。
格差社会を問題視する多くの政治家や社会活動家などは家が資産家だとか、誰かの子息だということも少なくない。
まるで「格差社会」は商売を営むための売り文句になっているような気さえするのだ。

自分の子供の万引きを店のせいにしたり、給食費を払わなかったり、所得操作をして不正に生活保護を受け取ったり、仕事を選好みしすぎた結果仕事を得られず無職だと騒いでみたり、公園の一画を占拠して住む権利を主張したり、格差社会を声高に叫んだりする姿には、「貧困」ではなく「だらしなさ」を感じざるを得ないのだ。

本書を読むと本当の貧困とはどのようなものなのかということを知ることになり、日本という我儘を赦す社会にありがたさを感じるのだ。

~「貧困の光景」曾野綾子著 新潮文庫~

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