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宇宙エンタメ前哨基地

<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム

また一つ、TSUTAYAが閉店

2021-04-20 07:15:40 | その他もろもろ
国道26号線を和歌山方面に走っていて交差点で停車。
ふと左手を見るとTSUTAYAが閉店していることに気がついた。

ここ数年、書店の閉店が相次いでいてTSUTAYAも例外ではない。
この地域では数年前に1店舗は店を閉じ、そしてまた今回この店が閉店。
もともとこの店は書店としては営業しておらずレンタル専門店だったので私は立ち寄ることがほとんどなかった。
CDもビデオも10年少し前までは借りることも少なくなかったが、借りると当然だが返却しなければならず面倒くさいので借りなくなってしまっていたのだ。
そこへ最近はネットでの配信が盛んになって借りなくても定額で何曲でも聴けるとなるとお店へ行ってわざわざ「ブツ」を借りてくるなんてことは無くなってしまっていたのだ。

書店にしろレンタル店にしろ、リアル店舗というものがネットで代用できるメディアを扱っていると存続は難しい時代になってしまった。

TSUTAYAの閉店は大手チェーンであっても生き残りが困難になってきていることを示すもので、あまり歓迎したくない現実だ。
そのうちTポイントカードのTが何かを知らない人たちが登場する時代になるのかもしれない。

年末の忙しさ

2020-12-24 19:18:34 | その他もろもろ
「ウチのカミさんが仕事に出たまま22時間が経過しましたが、まだ帰宅してきません」

というコメントはFB友達のNさん。

「え!奥さんと喧嘩でもしたん?」

と心配したら、なんでもNさんのカミさんはケーキ屋さんで働いているとか。
この季節。
出勤したら容易に帰れないケーキ屋さんの宿命を知ったのは言うまでもない。

一方私はといえば今月に入ってブログ更新がたったの1回。
ブログをやめたわけではなくケーキ屋さんほどではないにしても、同様私はここ1ヶ月ほど仕事の資料作りに追われていて頭が飽和状態になっていたのだった。
つまり色々考えすぎてボーッとした状態だ。
このため趣味の文章まで書く気力が湧いてこず、結果的に今月わずか1投稿となっていたわけだ。

それにしてもコロナでやるはずだったプロジェクトが延び延びになったのは残念だっが、それがいきなり始まると休まる暇を与えず一日がどこで終わるのかわからない状態に追いやられてしまった。
土日感覚はとっくの昔にどこへやら。
トイレに入っても、風呂に入っても、車を運転していても、仕事に関連した考え事をやめることができず、場合によっては危ないのなんの。

きっとクリスマスシーズンのケーキ屋さんも、その忙しさはメチャクチャなんだろうな。
昼夜の別を喪失して気がついたらお正月になっていた、という感じかもしれない。

展示会の意味

2020-10-13 20:22:21 | その他もろもろ
今年はもともと東京オリンピックが予定されていた関係で、東京ビッグサイトを中心に首都圏の展示会場が軒並み使えないところにコロナ禍。
結局、イベント関係の企業は大変な負の影響を受けてしまっているので、かなり気の毒なところがある。

しかしそもそも今の時代、展示会って必要なのか。

3年半前に会社務めを辞めるまで、私は企画開発関連の責任者をやっていて展示会や雑誌広告など色々なメディアや機会で色んな業者と仕事をすることが多かった。
中でも展示会はビックイベントで東京ビッグサイト、幕張メッセ、インテックス大阪と3会場で企画から設営、広報や顧客分析などを担当した。
その都度感じたのは、
「こんなことすることに意味があるのか?」
という疑問なのであった。

そもそも展示会は新しい顧客や取引先などとのネットワーク構築や新しい技術を発見することに主眼が置かれているはずであるが、実際は違った。

ライバル他社のスパイ。
飲み会。
お辞儀会。
付き合い会。
などなど。
高い費用をかけてやるほどのものか大いに悩んだのであった。

どれくらい費用がかかるかというとあるイベント会社の場合は東京ビッグサイトの場所代だけで基本200万円もする。
そのサイズといえば3m×6mほどしかない。
もちろんここにブースの設営費、展示する製品やサービスの費用、カタログ、技術資料の製作印刷代、コンパニオンのギャラ、衣装代、交通費に宿泊費、お土産ノベルティ代などその他諸々が発生し、1000万円くらいの予算はあっという間に飛んでいく。

割かれる時間も長いもんで展示会の3日間はもちろん、設営のための前2日間、それを準備するための無数の会議などなどなど。

それだけのパワーを投入して結果はライバル他社のスパイ行為だったりすので、何やねんこれ?という感じだ。

製品を見たけりゃ今どきWEBサイトで十分チェックして、吟味した上で実機をその会社のショールームなり納入先などを訪問して検討する。
したがって京葉線に揺られて一時間もかけて遠い展示場へ行く必要もないし、ゆりかもめで立ちっぱなしなんてこともない。
本来の職務に影響のでないように、種々選択できるわけだ。

今月になって展示会があちらこちらで開催されている。
私も見てみようか、と思うこともないのだがコロナ感染の危険を犯してまで訪れる必要のある展示会はたぶん皆無だ。

「インテックス大阪へ行ってきたら商品だけ並べて説明員がいない」
「WEBと連携して展示会やってます」

なんてことになっている。

展示会の意味。
働き方と同時に、少し考えてみる必要が出てきている。

愚問の極「悔いはないですか」

2020-08-29 12:30:45 | その他もろもろ
安倍首相が辞職を発表した。
8年間という長い政権で流石に少々ボロがでていたが、民主党によるてなもん屋政治に終止符を打った上、コロナでダメージを受けたとはいえ経済を立て直したのには感謝しなければならないだろう。
素直に「お疲れさまでした」と言いたいところだ。
ちなみにコロナの危機に直面して「民主党でなくてよかった」と思っている人も少なくないことを付け加えなければならない。

ところで、コロナの一連の報道もそうだが、今回の安倍首相辞職の報道でもアホをさらけ出した人々が居る。
マスメディアの人々だ。
この人達。
国民の声を代表しているといいながら、なぜにこんなに国民と感覚が隔絶しているのか大いに疑問のあるところだ。
コロナでは不安を煽るだけで科学的な分析や正しい情報には関心を示さず、大阪府知事のイソジン発言や辞職することになった安倍首相の揚げ足取りばかり。
こういう連中が電波を専有することを少し考える必要があるように思うのは私だけではないだろう。

このアホの極みは昨日の首相官邸から出てくる安倍首相に投げつけた某女性記者の質問。

「首相!悔いはないですか?」

こういうのを愚問の極みという。
もはや既存メディアに国政に意見をする脳はない。

白髪とハゲ

2020-08-05 15:11:49 | その他もろもろ
数年前。
50回目の誕生日を迎えるのを待たずに髪の毛が薄くなり始めた。

「髪の毛、薄くなるで」

と30代の頃に予言をしてくれた同僚の予言は正しかった。
彼は理髪師の免許を持っていて髪を見るとその人の数年後の運命がわかるのだと言っていた。プロの目検はすごいものだ。
すでにペーパー理髪師というか現場からは遠ざかって数年が経過していたが、理髪師の経験は彼の脳に焼き付いていたとうわけだ。
この時は私も髪の毛がふさふさしていた。だからやがて訪れるであろう「髪は長ーい友達」の事態は予想することができず、

「そんなことはないでしょ」

と返していたものだった。

あれから年月が経過して、たしかに頭頂部が怪しくなりオデコも谷村新司ほどではないが、広くなってきているような気がする。
鏡を見てみると確かに髪の毛がかなり薄くなり、頭頂部が顕著でもある。
大阪府堺市の小学校ではずいぶん早い段階で南蛮貿易の授業があるのだが、その時に必ず登場する聖フランシスコ・ザビエルの肖像画を見ては「カッパや!」と言っていたのだが、今私自身の頭がその肖像画に近づいてきていることに年月のあれこれを感じてしまうのだ。

で、カッパハゲ。
頭頂部が薄くなってきているのを気にしていると、白髪もすごく増えてきていることに気がついた。
私はどちらかというと司馬遼太郎とは正反対でなかなか白髪が出てこなかったのだが、最近目立つほど白髪が増えていることに気がついた。
で、単純に考えたのが「髪を染めるかどうか」だ。

でもここで思考にストップがかかった。
ハゲて来ているのに染めてどうするんだという疑問だ。
染めてもハゲは改善されることはない。
かといって白髪そのままもどうなんだろう。

ハゲと白髪。
なかなかどうバランスをとるのか難しい状況だ。

なお、今年89歳の父は70代のときに丸刈りにしてしまった。
ある意味、これが正解かも知れない。

首都圏一極集中のツケ

2020-05-01 09:57:13 | その他もろもろ
阪神大震災の時、日本の本社機能を神戸に置いていたとある生活化学製品のメーカーと同じくスイス系インスタントコーヒーのメーカーは他の企業や人々と同様甚大な被害を受けた。

「本社は東京に移すんですか」

と訊いたのは両社の研究開発部門と親しかった後に私にいろいろと理科学の仕事を教えてくれたXさんだった。
壊滅的被害を受けた神戸市中央区のど真ん中にあった両社の回答は、

「いいえ」

なのであった。
非常時の悲惨な状態にも関わらず両社の回答にXさんはいたく感動されたという。
両社の日本本社機能は今も神戸に置かれている。

その後少し経って、某ゴム製品大手の会社が本社を東京から大阪に移すと発表。
もともと大阪創業の会社だったがご多分にもれず東京に本社を移していたのだが、戻ってくると発表して少し話題になった。
理由は「社員の負荷がそのほうが少なくて済むから」なのには驚いたのだった。

東京を中心とする首都圏は情報とお金の集積地になっている。
ほとんどの大手企業が本社を構え、それらに関連する無数の企業や研究機関、それに学校などがこの地域に集中。
実に日本人の5分の1が居を構える世界に類を見ない人口密集都市へと発展した。

今回のコロナウィルス禍でこの社会形態がよくないことが次々に判明。
人口密集のためにパンデミックが起こると対策が取りにくい。
6〜7割の人は行政の指導に従うが、そうでない人々も3〜4割いる。
こうなると制御もなかなか効きにくくクラスターが至るところで形成されて事態収拾に時間がかかる原因にもなっている。
しかも、ここにきて通信技術が発達していたので何も東京にいなくても情報の交換ぐらいスムースに行えることがわかってきた。
必要に応じてテレビ電話やデータのリアルタム閲覧なので打ち合わせ程度の仕事の大半は済んでしまう。
通勤に膨大な時間をかけることもないし、仕事が終わったら即余暇の時間に入ることもできる。

こうなると東京や大阪に居を構える必要性もなくなってきて、できれば地方の自然豊かでパンデミックにも強く、健康な生活ができる地方でのびのびと生きたほうが幸せだという感覚も生まれてきた。

先に上げた外資系2社と日本の会社の関西本拠の大きな理由は、社員の生活に余裕が生まれるということであった。
通勤時間は短く、地価も安いので住みやすい。
首都圏にあるものはたいてい揃っているし、歴史的にはこっちのほうがずっと古いので文化レベルも低くない。
満員電車で長時間揺られ、高い家賃やローンの狭い家に住む必要もない。

コロナウィルスによる社会の変化は首都圏はおろか京阪神でも仕事のためにそこへ住む必要性が無いことを見せつけている。
製造業や農業のようにそこでないとできないものもあるけれども、農業に至っては東京都は2%も存在せず、食料供給という意味でも居住地域は分散することが望ましいのは明らかだ。

コロナウィルスによる非常事態宣言の長期化。
地方は沈静化しているのに継続されるのは明らかに首都圏一極集中のツケでもあるに違いない。


拝啓 南海電鉄社長さま

2020-02-17 19:03:14 | その他もろもろ
拝啓 南海電鉄社長さま

雨の日も風の日も、正月・盆も関係なく走り続ける電車は生活に欠かせない交通インフラ。
中でも大阪南部に居を構える私にとって南海電車はJRと並んで大切な移動手段です。
さて実は先日、貴社路線を利用していてとんでもないことに気づいたのでお手紙を書かせていただいている次第です。

3月に誕生日を迎える私は今月から運転免許証の更新機関です。
そこで泉北ニュータウンにある光明池自動車運転免許試験場へ出向きました。交通費のかからない近くの警察署て手続きをしなかったのは光明池だと即日交付をしてくれるからです。
往路は問題はなくスムーズに到着することができました。
即日交付とはいえ同じ目的で来ている人が非常に多く試験場内は大混雑。
手続きは迅速だったんですが人数が多いだけに終了するまで3時間近くもかかりました。
午前中に終わって午後は実家に寄ってから仕事に戻ろうと考えていたのです。

光明池駅から何も考えずになんば行きの電車に乗ったところ大きなミスをしたことに気づいたのです。
乗ったのが区間急行で高野線と地下鉄の乗換駅である「中百舌鳥駅」を通過してしまったのです。
仕方がないので堺東駅まで乗車して改札を抜け、堺東商店街(私が学生時代バイトをしていた商店街です)でランチを食べて別途きっぷを買って引き返しました。
私の実家は大阪府立大学の直ぐ側にあります。
大阪府立大学の最寄り駅は中百舌鳥駅または白鷺駅です。
どちらも中百舌鳥駅で降りるのか、乗り換える必要があるのです。

以前、泉北線が泉北高速鉄道だった頃、泉北線のなんば行き電車は途中の堺東駅まですべての駅に停車しました。
それが一つのスタイルだったのです。
私の卒業した高校は泉北線の沿線にあり、3年間それに通い慣れていたと思っていたのですが大違いでした・
泉北高速鉄道は泉北線として貴社に買収されてから各停と区間急行の種別になり、区間急行は中百舌鳥駅と百舌鳥八幡駅と三国ヶ丘駅を通過するようになってしまったのです。

これはなぜなんですか?

ご存知のように三国ヶ丘駅はJR線と、中百舌鳥駅は大阪メトロ御堂筋線との連絡駅です。
三国ヶ丘駅ではJR線は特急を除く全ての種別の列車が停車します。
中百舌鳥駅の御堂筋線は起点駅。大阪の地下鉄のメイン路線の起点駅なのです。
どうして停車させないのでしょう?
お客さんを奪われるからでしょうか?
JR線は乗ると大阪駅まで乗換なしで行くことができます。
御堂筋線は乗ると梅田駅(大阪駅)から新大阪駅、千里中央まで乗換なしで行くことができます。
乗客の利便性を考えると停車させて乗り換えを認めるべきではないでしょうか。
きっと両方の線から南海電車に乗り換える乗客も少なくないことでしょう。

別の路線ですが現在の大阪の与党維新の会が大阪メトロをもっと早く民営化していたら今里筋線のアクセスを良くすることができたのに、と言っている話をご存知ですか?
市営だったために市のことしか考えていない交通局の経営陣のためにわずか数キロで阪急電車と接続させなかったのです。
これは利便性と経営面に大きな禍根を残しました。

自分のことしか考えない。
貴社も同じ発想で社会インフラを経営されているのでしょうか?

これから大阪南部と北部を結ぶ「なにわ筋線」の建設が始まります。
関空と大阪北部を結ぶアクセス線の役目を果たす予定ですが、ここにはJR線と貴社線と阪急線が乗り入れることになっています。
でも、中百舌鳥駅や三国ヶ丘駅に自社都合で電車を止めない南海電車には乗り入れてほしくありません。
その権利もないと思います。
JR環状線は和歌山・関空方面からの阪和線だけではなく奈良方面からの大和路線も乗り入れていて超過密ダイヤです。
これがなにわ筋線に入ると、東京の湘南新宿ラインのように専用線でダイヤにゆとりが生じます。
関空から京都、滋賀までJR線なら一本です。

阪急線は線路幅が違うのでどうするのか知りませんが、少なくとも南海の特急ラピートが他社線のターミナルである新大阪駅に乗り入れは今の考え方ではありえないと思います。

敬具

赤い口紅

2019-11-23 08:40:39 | その他もろもろ
出張から戻ってきて関西空港駅からJRに乗ると向かいわせの席に口紅を真っ赤に塗って必要以上にファンデーションで肌を白くしている若い女性が乗ってきた。

「外国人かな....」

関空から電車に乗ると乗客の大半が外国人ということも少なくない。
まさにインバウンドウンドの時代。
だからその一種異様な化粧も異国を感じさせるものがあったのだった。
やがて連れと思われる若い男の子がやってきたら、

「や、お疲れ様」

と日本語で話す。
なんと彼女は日本人なのであった。
関西空港で働いているのだろう、その話に耳を傾けていると旅行の話をしている。

「来週韓国に行くねん。一週間。」

みたいなことを言っているのだ。
未だ韓国旅行を趣味にしている女性がいるのは知っているが、その数まだまだ多いんだなと感心していた。

帰宅して同じく関西空港で働いているカミさんにこの話をしたところ、

「それ韓国で流行っているメールやで」

と教えてくれた。
ベースを白く、口紅は真っ赤か。

カオナシが口紅塗ったようなその表情が美しいとはとても思えないが、これも彼の国の文化なのか。
歌舞伎の女形もあんな辛子明太子みたいな紅はひかない。

ベースは美しいだろうけど、気の毒にと、若いうちはもっと美しいものを見る機会が必要なんだとつくづく考えたのであった。

教育実習は朝が早い

2019-09-19 21:40:19 | その他もろもろ
つい先日まで小学生、中学生だと思っていた娘がいつの間にか高校生、大学生となっていた。
どうりで体つきが大きくなってきたわけだ。
大きくなってきたのは体格だけではない。
態度も大きくなってきているのだ。
私はまだ大丈夫なのだが、カミさんは親子喧嘩をした時に不利になってきている。このため家庭内でのパワーバランスに微妙は変化が出てきている。
これはちょうど米国の国力が弱体化してきて中国・インドが第頭してきている世界情勢に似ているな、と想像すると笑えててくるのだが、それはまた別の話。

その娘が今、教育実習とやらで毎日教員免許を取るために大学から指定された中学校へ1ヶ月間通っている。
本人が指導教官から教えてもらう一方、本人が中学生を教えるために出かけているのだ。
でももしかすると中学生にも教えてもらっているのかもしれない。

本来であれば娘の大学の今の季節は9月いっぱいまでが夏休み。
だが、その夏休みを利用した教育実習は残酷で体力が必要なのだ。

朝、娘は4時半に起床。
5時になるまでに朝食を済ませて5時半過ぎの電車に最寄り駅から乗ってでかけている。
7時過ぎまでには中学校のある奈良市内まで移動する必要があるからだ。
そして帰宅は午後10時すぎ。
一般の授業が終わってから指導教官の先生を中心にした振り返りの講義と翌日の授業に関するミーティングがあるために午後8時過ぎまで帰ることができないためだ。
聞くところによると授業時間中は使うことはおろかスマホを見ることも許されず、授業をするために立ちっぱなし。
昼食は中学生と一緒にとりながら監視指導を行わねばならず実質10分間程度しか食べる時間がないという。
したがって帰宅したらヘロヘロなのだが、指導教官の先生から指導された翌日のための課題をこなすため自分の部屋でさらに色々と資料作りなどをこなさなければならないのだ。

迷惑なのは父母である私とカミさんだ。
教育実習を受けるのは私たちではないので「がんばれ〜!」と言えば済みそうなものだ。
だが、カミさんは弁当を作るために午前3時半起き。
私もカミさんがガチャガチャやるので午前4時には目が覚める。
しかも娘の帰宅時間が遅いので駅まで迎えに行くのは私の役目。
迎えに行って戻ってきて色々と雑用をしていると就寝時間は午前様。

娘の教育実習のために睡眠時間は夫婦ともに4時間を切るというナポレオンみたいな生活を余儀なくされている。

月末まで親の体力が持つかどうか大いに懸念されているところだ。

介護退職・失業から起業へ

2019-06-28 06:53:53 | その他もろもろ
二年前の夏の終わり、
「来期は名古屋勤務だから」
と決算日の前日に私は直属の上司だった事業部長に異動転勤を言い渡された。そしてその後すぐ家族と相談してその日のうちに会社を退職することを決断したのだった。
カミさんが「なんとでもなるわよ」と言った一言が効いたのはもちろんだが、家よりも会社を取れと暗に示唆した上司に対して元々煮えたぎりそうになっていた不信感が確固としたものに変わったのも大きかった。
しかし、それよりももっと大きな問題があった。

両親の介護の問題だ。

会社への不満があったことはもちろんだが当時私の父母は双方とも80代後半になり、生活に関して肉体的に若い時と同様の機動力を失いつつあった。
毎週実家に行っては自動車で買い物に連れて行く。
毎月の病院通いを同行する。
金銭の管理。
その他諸々。

とりわけ気になりだしていたのは母のボケ具合。
何か障害があるというわけではなかったのだが、料理のレシピを忘れるような記憶の問題が起こってきていることと、足が悪いので歩行が大変になってきていることだった。
肉体面はともかく記憶についてが特に心配だった。

仕事の関係で毎週のように大阪から東京、仙台を往復するような出張生活をしていたので、どこかで転勤を申し渡されるのではないかと思っていたが、ついにその時が来たのかと思った。
出張だと毎週確実に両親の様子をこの目で伺うことができるが、転勤すれば帰阪することはままならなくなる。
このとき、年明けには娘の大学受験も控えていた。
私が大阪を離れるとカミさんが多くを一人で見なければならなくなる。
カミさんのほうにも一人暮らしの義母がいる。
カミさんへの負担は最小限にとどめたいとも考えていたのだ。

退職を決意してから次の仕事先を探していみたが年齢が年齢だ。
50を過ぎた男が簡単に仕事を見つけることなどできるわけはない。
会社を騙し透かししながら引き伸ばしに伸ばした退職日には無職となることが決定していた。
同僚たち、かつての部下たちは心配してくれたが自分が選んだ生き方なので特に辛いという感覚はなかった。
ただ生活をどうするのかという問題があった。

退職金は残っていた実家のマンションのローンへの繰り上げ返済に投入。
借金を完納させた。
私は退職金は暫くの生活の糧に必要かと思っていた。だが「借金がないほうが気持ちの上で有利やで」というカミさんの後ろ押しがあって全額はたいて支払ったのだ。
依願退職なので失業保険が出るまで3ヶ月。
その間は私の貯金を切り崩すことにした。

「生活、大丈夫なんか?」
面倒を見ているはずの実家の両親が心配する。
その都度、
「大丈夫。転職は初めてやないやろ。信用しておいて。」
というしかなかった。

その間も就職活動を続けるが芳しくない。
転職サイトに登録もした。
でも、オファーが来るのはタクシー運転手、バス運転手、塾の経営、内装フランチャイズ、不動産営業のようなものばかり。
私の専門と関連したものは特殊なのでなかなか見つからない。

たまにバイトをしたり、交流会、異業種会に出ては方向性を探るが就職は難しそうだった。
やがて失業手当が給付されはじめた。
でも仕事は見つからない。
その結果、意を決して決断したのは、
「もう会社には就職しない。自分でやる」
という起業なのであった。

起業するとすると何をやるのかというと、最後の仕事だった企画・マーケッティングおよび設計という総合的なデザインに関する業務だった。
でも心配が頭をよぎる。
個人としてのデザイナーの実績のない私と付き合ってくれる会社があるのか。
相手にもされないのではないか。
果たしてできるかどうか未知ではあったが、やるしかない。
まずは私は会社員時代に付き合いのあった当時のお客さんを手当たり次第に回ることにした。
ほんとは退職した会社との取り決めで、そこが取引する会社には一定期間出入りしないという取り決めがあったのだが、そんなことは言ってられなかった。

親の面倒を見る必要がある。
家族の面倒を見る必要がある。
娘の大学生活を支援してやる必要がある。
生きなければならなかったからだ。

回り始めて初めてわかったのだが、かつての取引先は私をしっかりと見てくれていたことだった。
辞めた会社で私が何をして、どんな実績を作っていたのか、どんなアイデアでもって実行している人間なのか、といったことを。
「会社との取り決めがあって、ホントは」
というと、
「秘密を守ればいいんです。出入りしないとか仕事をしてはいけないというのは憲法違反ですよ。」
と笑いながら言ってくれる会社もあった。
正直、一言一言が嬉しくて勇気が湧いてきたのだった。

暫く東京、大阪を回っているとある日、JRの駅で電車を待っているときに、
「今どうしています?元気にされていますか。相談があるんです。手伝ってほしいことがあって。少し難しい案件があるんです。」
と携帯に電話がかかってきた。
仲の良かったある会社の営業マンからの電話だった。
これが起業後、私の初めての仕事になった。
安定して食べられるほどではなかったけれどもしっかりした会社の仕事だったし、専門分野でもあったので金額も決めずに承諾した。

退職してから最初の仕事を貰えるまで約5ヶ月。
この間に娘の受験があり、父が誤飲性肺炎で生死の間をさまようこともあり、しかも私自身が咳が止まらずCT診察してもらうと肺がんのステージ1の疑いがあるとの診断が出て検査入院をするなど大変な5ヶ月だった。
私にがんの疑いが出たときだけは流石にカミさんは泣いた。
「酒は飲むけどタバコ吸わんのに肺がんなんてありえへんで」
と言って慰めたが、検査結果が出るまで不安は拭えず、思えばこの時期が一番つらかったかもしれない。
検査入院中に母が実家から悪い足をひきずってタクシーで見舞いに来てくれたことがあった。
病院は呼吸器専門の大型病院で結核患者も多いことから高齢の母になにかあってはとならないと思い、追い返すように帰らせたことを今も時々思い出す。
検査の結果は軽度の肺炎なのであった。

最初の仕事をもらってから2年少しが経過した。

その間、悪い予感は当たるようで生死の縁をさまよった父は2ヶ月の入院の後に退院。
肥満した体はガリガリに痩せてしまった。
勢いはなくなってしまったが、記憶力が年相応になったことを除けば認知症の気配は微塵もない。
それとは対象的に父の入院をきっかけに母が衰弱した。
物忘れだけではなく、買い物の決断もままならなくなってきたので専門医に見てもらうと認知症との診断。
アルツハイマーかどうかはわからないが、水頭症があるとも言われ母を連れての病院めぐりが始まった。
かかりつけの病院から認知症診断の専門病院、脳神経外科、内科などなど。

もし異動転勤を受け入れていたら、こんな対応はできなかったに違いない。
自営業だからこそ、自分で時間を割り振りして家族の面倒もみることができる。
もちろん仕事も熟す必要があるので朝早くから深夜まで資料作りや打ち合わせでアクセクすることも少なくない。残業何時間なんて関係ない世界だ。

昨年は会社員時代に所属した研究会の理事の一人から連絡を受け、その研究会の仕事をさせてもらったことをきっかけに研究会に復帰。
「わたし、個人資格で再参加させていただいていでしょうか?」
と聞いたところ、メンバー幹事の大学や研究所の先生方、かつての取引先や競合先の皆さんから「大歓迎」の返答をもらい、しかも歓迎会まで開いていただいた。
まだまだ安定しきってはいないものの、家族と一緒にいられて親を看取れて、会社員でありつづけるよりも、この判断は良かったのだとつくづく感じているところだ。

介護を理由に会社を退職する人が多く、それが社会問題になっているという。
親の介護をするには私のように50を超えて、ということがほんとどなのだろう。
日本の社会では高齢化社会と言いながら中高年の転職は難しい環境が続いている。
終身雇用が当たり前の感覚も崩壊しつつある今、働き方改革を進める上で中高年の転職環境の整備は重要だとつくづく感じている。
フリーランス、副業の奨励など。
現在の政府が取り組んでいる様々な試みはこのような社会情勢を背景に見据えたものに違いない。