平ねぎ数理工学研究所ブログ

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地球温暖化-CO2主因説を疑う(11)-

2008-03-21 22:58:57 | 地球温暖化
以下は『HHKスペシャル気候大異変、地球シミュレータの警告、NHK「気候大異変」取材班+江守正多〔編著〕』のあとがきの一部です。江守正多氏が書いています。
これを読むとCO2温暖化説が(彼自身も)どんなにいい加減なものであるか解ると思います。

引用ここから---

もしかしたら、みなさんは、「科学的」とよばれる認識がこんなにも修正されることに驚いたかもしれない。科学は客観性を武器に世界のすべての真理を決めてくれるものではなかったのだろうか。いや、むしろ科学は、それが客観性を重んじるがゆえに、常に暫定的な真理しか導けない。それが科学の宿命なのである。
特に温暖化の科学の場合、いまだに残された課題は多い。たとえば、温暖化にともなう雲の変化、エアロゾルの役割、植物中や土壌中の炭素の変化、南極の氷の溶ける仕組みなどについて、まだまだこれから研究が進み、それによって我々の理解はその都度修正され、より優れたものになるだろう。
その過程で、「温暖化の理解はすべて間違いでした。これからはみなさん安心して二酸化炭素を出していいですよ」ということになる可能性が完全にゼロとはいえない。万が一そうなったとしたら、私を含めて専門家はつるし上げを食らうかもしれないが、人類にとってはどんなに安堵すべきことだろうか。
こうして見てくると、最終的な問題は、「現時点の温暖化の科学をどこまで確かと思うか」という、かなり主観的な判断にたどりつくことがわかる。これが、温暖化の科学について今でも論争が絶えない理由のひとつであろう。先に見たIPCC評価報告書の結論も、注意深く読むと、主観と客観との間のぎりぎりの慎重な表現を使っているのがわかる。
当然、この判断は、「現時点の温暖化をどこまで正しく理解しているか」に依存する。そこで、最後に、専門家のひとりとしての私の判断を述べるとすれば、現時点の温暖化の科学がさまざまな証拠を説明する能力や、理論の整合性を考慮すると、この先の修正によって、現在の理解が大きく覆されることを期待するのは極めて難しい。
そして、温暖化の科学が正しかった場合に帰結される深刻さとあわせて考えると、現時点の温暖化の科学は、それをもとに社会を変える行動を起こすにたる、十分な説得力を持っている。
科学は最後の答えまでは教えてくれない。最後に必要なのは、その時点での科学を正確に参考にしたうえでの、人間の決断である。我々はすでに決断を迫られている。そこから逃げることはもはやできないのだ。

ここまで---

ここに書いてあることはこういうことです。

① 科学は、それが客観性を重んじるがゆえに、常に暫定的な真理しか導けない。それが科学の宿命だ。←温暖化説に客観性がないことを正当化するための仕掛け。
② 温暖化科学にはいまだに残された課題が多い。
③ 間違っている可能性もある。
④ 間違っていたら人類にとっては幸福なことだ。←あまりにも無責任
⑤ 温暖化説には科学的な客観性がない。
⑥ 最終的には「現時点の温暖化の科学をどこまで確かと思うか」という主観に頼るしかない、なぜなら客観性がないのだから。
⑦ IPCCは主観と客観のぎりぎりの表現を使っている。←主観と客観のぎりぎりの表現ってどういう意味?
⑧ 私(江守氏)の主観を言わせて貰うとCO2温暖化説は正しいと思う。
⑨ 温暖化説が正しいかどうかはっきりしないが、正しかった場合に帰結される深刻さを考えると行動を起こさなければならない。←リフォーム詐欺と同じ手口