goo blog サービス終了のお知らせ 

地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

北翔海莉コンサート

2024年03月21日 | 音楽・コンサート


 昨日は、ご縁をいただいている北翔海莉さんのコンサートが倉敷・芸文館ホールで開催され、たっぷりと楽しませてもらった。ステキなひととき。このコンサート、倉敷音楽祭のラストを飾る公演。

 北翔海莉さんはトークの中で、今日を含めて「岡山は三回目」と語られ、「最初は『蘭 緒方洪庵の事件帳』の公演で。2回目はプライベートで、『おもちや王国』へ行くため。その時は、高速でパンクして大変な目に」と語られた。

 それをお聞きして、三度の岡山入りに全てご縁をいただいていると、少しだけ感慨深いものかおった。「蘭」は、私もスタッフの「歌舞伎・観る会」の主催公演。そして、2度目は、大変な中で、「歌舞伎・観る会」の事務所にお立ち寄りいただき、お目にかからせていただいた。嬉しいなんてものではない。

 さて、北翔海莉さんは元宝塚トップさんで、さすがのステージ。歌もダンスも、素晴らしいパフォーマンスに魅了された。お礼する姿すら、魅了される。大変なレッスンを重ねられていることが明瞭。スゴイ、ステキ。

 昨日は大変なお天気で、雨が降りとても寒かったが、心はナントモ温かかった。至福の時を過ごした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボケは私だけでいいから

2024年03月21日 | 身辺雑記


 昨日の続きで、老人力の発揮の話。一昨日、郵便受けにスマートレターが入っていた。どなたからかなと思い、差出人の文字を見ただけで、私だと分かった。

 憧れの女性に愛の告白をすべく、勇気を出して送った「スマートレター」。その名前はいつもいつも我が心と頭にインプットしている、それだからと言うわけではないか、住所は書いていたが、お名前が書かれていない。なので、「あて所に尋ねあたりません」の赤印が押されて返却されてきた。トホホ、だ。

 昨日は祝日だったので郵便局はお休み。なので、今日スマートレターのケースを買胃、再度送ろう。ゴメンナサイ。

 そんな老人力を遺憾なく発揮し落ち込む日々だが、それでも生きていたいと思う。昨年末の大病以来、死への恐怖がある。でも、もう少しだけ生きていたい、そんなことを思う日々でもある。

 ところで今、中庭のボケが美しく咲いてくれている。そして、「ボケは私だけでいいから、あなたはしっかりして呆けないでね」と言ってくれているよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由布院の百年・編集サロン

2024年03月21日 | 身辺雑記


 同じスマートレターで、過日届いたものがある。差出人は、「由布院の百年・編集サロン」。

 由布院(湯布院ではなく、由布院に拘っての使用)のまちづくりや亀の井別荘・中谷健太郎さんが由布院興しの為に開催した「牛喰い絶叫大会」や「由布院映画祭」「ゆふいん文化記録映画祭」の活動の資料を整理し、記録するために、2019年に設立された「由布院の百年・編集サロン」、私もお世話になったお礼にとサロンで寛つろがせていただいてきた(参加していた)。

 その団体ととも、「庄屋サロン」も閉鎖されるとのご案内。理由は中谷健太郎さんが90歳となり、「老いサラバエタ事で、『団体』のお世話役・代表役は務まらない」として記されている。

 長い間、心許すと友と友に訪れた由布院、そして参加した「湯布院映画祭」や「ゆふいん文化記録映画祭」で、お話しをさせていただいてきた中谷健太郎さんも90歳になられるのか。そう言えば、ずいぶんとお世話になった山田洋次監督も90歳を超えられている。

 なんとか、お二人にはお目にかかりたいと思うのだが。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人力を発揮する日々

2024年03月21日 | 身辺雑記


【昨日の投稿忘れ】
 「老人力」、この言葉を最初に使用したのは赤瀬川原平さん。著書『老人力』(1998年、筑摩書房刊)の初版の帯には大きな「?」のマーク。隣に小さく「とはなんだろう」とある。その本の「あとがき」には、「老人力というのはなかなかつかみどころのないエネルギー概念で、これまで発見されることなく人類に作用しつづけてきた」と書いている。

 いまや、「老人力」はまさしくこの世に定着している。それまでは「ボケ」などと忌諱され否定的に使われてきたが、それがある意味肯定的に使われた最初とも言えよう。私は老人力の発揮を「お茶目」と表現してきた。

 そのお茶目を昨日は遺憾なく発揮した。まずは時間、朝友人に届けるためにホーレンソウなどを抜くなどバタバタして、時計を見ると11時頃。いけない、と焦って、市役所地下のコンビニで昼食用におにぎりを買った。

 そのコンビニの隣の市役所の食堂は真っ暗。開店は11時なのに、何でだろうと思いつつ、エレベーターで9階の歌舞伎・観る会の事務局で昼食とした。その時やっと、まだ11時前と言うことに気がついた。1時間、時間を間違えていた。

 今度は、所用。その後、「俳句講座」の取材のため、岡山高齢協の事務局へ。そして、その時今日の講座は「おしゃべり会」で、「俳句講座」は来月と教えられた。

 私はもう50年近くも「能率手帳」を使い続けていて、その手帳は見開きとなっている。その手帳を開き、昨日の日付を確認した。左のページには「おしゃべり会」とあり、右のページには「俳句講座」取材と書かれている。どちらも時間は13時30分とある。そのことになんら不思議と思わずに昨日まできていた。

 そんな老人力を身につけて、遺憾なく発揮する日々。みなさんにもたくさんのご迷惑をおかけしていると思うが、「老人だから仕方ないよね」と寛大なお心でお許しあれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする