香水でなくクレゾールが匂った女優・南田洋子の介護の日々
昨晩、なにげなくテレビを見ていたら、認知症の妻をかかえた夫の役を、長門裕之の姿が演じていた。その番組とは、片平なぎさ主演の「ショカツの女」(瀬戸内海テレビ)で、いわゆる「所轄」の刑事役に扮した片平なぎさが、この日はなんとも美しくかっこよかった。
さて、その番組の中で、認知症の妻を病弱の夫役の長門裕之が殺そうとする場面などもあった。過日、認知症となっている妻の南田洋子を介護する長門裕之の姿を映し出したテレビ報道と重なって、その番組を見ているのがいささかしんどかった。その上、長門裕之の「老老介護」を綴った『待ってくれ、洋子』(主婦と生活社刊)が出版され読んでいただけに、余計にいろんなことを思ってしまった。
この本の中で、長門は「一日一笑い」が「長門流介護」だと書いている。そして、番組放映以来いろんな人が「良い先生」とか「良い治療法」を教えてくれるが、「それが洋子にピッタリの治療法で、確実によくなるとは保障できない」ので、「度胸のない僕は」、「ごめんなさい、気持ちだけはありがとうと言うしかない」とも書いている。「治療法」も医師も、たくさん試してみるわけにいかないから、難しい。
ところで、南田洋子は長門裕之の父、つまり義父となる沢村国太郎の介護の日々を書いた『介護のあのとき』(文化創作出版刊)を出版している。結婚した翌年に倒れた義父・国太郎を、当時の人気女優の南田洋子が介護する姿は、大変だったに違いない。先の『待ってくれ、洋子』の中で、長門は、人気女優なのに、当時の南田は香水の臭いではなく、クレゾールが匂ったと書いている。
それにしても、南田が『介護のあのとき』を出版したのが1998年、それから10年して夫・長門に「自身の介護の日々」の本を出版されようとは、考えもしなかったろう。神も仏も信じない私であるが、神様は南田洋子に過酷な運命を授けるものだ。