Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考資料】「めでたし」の祈り(天使祝詞)の韓国語訳

2008年12月04日 | カトリックとは
愛する兄弟姉妹の皆様、

 「めでたし」の祈り(天使祝詞)を伝統的な韓国語でどう唱えるかをご紹介致します。

성모경(聖母経)

성총을 가득히 입으신 마리아여 네게 하례하나이다.
주 너와 한가지로 계시니, 여인 중에 너 총복을 받으시며, 네 복중에 나신 예수 또한 총복을 받아 계시도소이다.

천주의 성모 마리아는, 이제와 우리 죽을 때에 우리 죄인을 위하여 빌으소서. 아멘.


天使祝詞

めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。

天主の御母(おんはは)聖マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。


聖母經

【香港版】
申爾福、瑪利亞。滿被聖寵者。主與爾偕焉。女中爾為讚美。爾胎子耶穌為讚美。
 天主聖母瑪利亞。為我等罪人。今祈天主。及我等死。 亞孟。

【追記:2008年12月5日】
 上記のものは、まだ香港がイギリスの統治下にあった時に行ってカトリックセンターで購入した「聖教経課」及び「聖教日課(主暦一九九〇年第四次版)」によるものです。
 昨夜、台湾で働いていた友人から戴いた「事主良友(広元二〇〇三年三月修訂八版)」の祈りと比較してみると、次の小さな違いに気が付きましたので、ご紹介します。

【台湾版】
萬福瑪利亞,滿被聖寵者,主與爾偕焉。女中爾為讚美,爾胎子耶穌, 並為讚美。

天主聖母瑪利亞,為我等罪人,今祈天主,及我等死阿們


SALUTATIO ANGELICA

Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum; benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui, Iesus.

Sancta Maria, mater Dei, ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae. Amen.


【参考資料】天にましますの祈り(主祷文)の韓国語訳

2008年12月04日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 「天にまします」の祈り(主祷文)を伝統的な韓国語でどう唱えるかをご紹介致します。

천주경(天主経)

하늘에 계신 우리 아비신자여, 네 이름의 거룩하심이 나타나며,네 나라이 임하시며,네 거룩하신 뜻이 하늘에서 이룸 같이, 땅에서 또한 이루어지이다.

오늘날 우리에게 득죄한자를 면하여 줌 같이 하시고, 우리를 유감에 빠지지 말게 하시고, 또한 우리를 흉악에서 구하소서. 아멘.

主祷文

 天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるる如く地にも行われんことを。

 われらの日用の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。


天主經

【香港版】
在天我等父者。我等望爾名見聖。爾國臨格。爾旨承行於地, 如於天焉。
我等望爾, 今日與我, 我日用糧。免我債。如我亦免我債者。又不許我陷於誘惑。乃救我於凶惡。亞孟

【追記:2008年12月5日】
 上記のものは、まだ香港がイギリスの統治下にあった時に行ってカトリックセンターで購入した「聖教経課」及び「聖教日課(主暦一九九〇年第四次版)」によるものです。
 昨夜、台湾で働いていた友人から戴いた「事主良友(広元二〇〇三年三月修訂八版)」の祈りと比較してみると、次の小さな違いに気が付きましたので、ご紹介します。

【台湾版】
在天我等父者, 我等望爾名見聖。爾國臨格。爾旨承行於地, 如於天焉。
我等望爾, 今日與我, 我日用糧。免我債, 如我亦免我債者。又不許我陷於誘惑。乃救我於凶惡。阿們


ORATIO DOMINICA

Pater noster, qui es in caelis, sanctificetur nomen tuum, adveniat regnum tuum, fiat voluntas tua sicut in caelo et in terra.

Panem nostrum quotidianum da nobis hodie; et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus debitoribus nostris, et ne nos inducas in tentationem, sed libera nos a malo. Amen.


13.1.2.“私は大きい集会であなたの真実を隠さなかった。”(詩篇 39)

2008年12月04日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


“私は大きい集会であなたの真実を隠さなかった。”(詩篇 39)


 しかし世間体ばかり考えている聖霊会出身の司教たちもいた。彼らは自分たちの総長が公会議会場で公開的に介入するのを後ろめたく思った。

「彼らは会合を持ち、私がフランスの司教たちと歩調を合わせないと言って責めた!」

 大司教は気に止めなかった。聖霊会の司教たちの中でも彼を支持したものもいたし、ごく普通の宣教師たちは大司教に「一人で闘う騎士」の戦闘精神に感服するという内容の手紙を書いて送った。なかでも一人は飾らず率直にこう書いた。

 「(聖霊会の内部で)大司教様を外交的にへつらう人々と、大司教様に原理と恐れにより反対する者たちは、自分たちやっていることを続けるでしょう。大司教様は彼らに少なくとも一人の聖霊会会員が大司教様の態度を誇りとしていると言うことが出来ます。なぜ誇るかというと、大司教様は全教会を前にして教会の最大の利益のために (御自分の名声を犠牲してまで) 、所信を現わす勇気を持っておられたし、そうすることで、キリストの兄弟たちの間で一人の人間の自由が単なる言葉ではないことを見せてくれたからです。」(1965年11月23日付けのセネガルからの手紙より)

 公会議において支配的になっている精神になっている風潮とは正反対に、抵抗の闘いを開始しなければならないと言うことは、人間的に言えば面白いことは一つもなかった。

 司教たちの中には、反自由主義者であるにもかかわらず、この抵抗の闘いをする心理的な気力がなかった。例えば、バレー州 (Valais) にあるシオン (Sion) の司教であるネストル・アダム (Nestor Adam) 司教の場合がそうだった。

 ルフェーブル大司教は次のように言った。

「彼は 第二バチカン公会議で起こっていることに全く反対していました。私たちは当時、とても親密でしたし、彼は私に“私はこれ以上公会議に出席しない、もう出席しないことにする、教会を崩壊させるような原則を立てようとしている、そんな集会には戻りたくもない。”と言いながら自分の心配を打ち明けて言ってくれました。」

「彼は何が起こっているかを極めてはっきりと見ていました。私は彼にこう言いました。“それでもモンシニョール、私たちがやることはそれではありません。司教様がそれに反対しているのなら、たたかわなければなりません。私たちと一緒に留まって下さい。この侵略に対して、教会に侵略しようとしているこの波高に対して、私たちは抵抗して闘いましょう” すると彼はこう答えました。“オオ、ダメです。私よりもはるかに強い相手ですから。”」

「彼は一年間の間公会議に復帰しませんでした。」

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)


第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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