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201X年、第二次日本国憲法が出来た。これは本当の「革命」だった。・・・

2008年12月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?
 世界中の学級崩壊が進む中で、将来日本がこうなってしまったら、カトリック教会のことと日本のこととを重ねてといろいろな考えがおきました。もちろん、カトリック教会にとって一番大切なのはカトリック信仰です。真理です。政治ではありません。教会と日本とは全く別の分野のことです。

 それを確かめた上で、すこし聞いて下さい。(以下の内容は実在の人物や地名とは関係がありません。)以下の内容は、あくまでも、もしもこうなってしまったら・・・、という架空以外の何でもないということでご理解をお願いいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

*****


 201X年、日本で憲法が改正され、第二次日本国憲法が出来た。これは本当の「革命」だった。新憲法を作るために働いた議員たちは、これは日本における「第二バチカン公会議」だと言ったほどだった。第二次日本国憲法が正式に成立するためには、国会の絶対多数が必要であったが、これには実はすこし足りなかった。本来なら成立してはならないものであった。

 第二次日本国憲法において、特に左派は民主主義を徹底させようと国家元首としての大統領制度を導入しようとしたが、しかし成功せず、国家元首として天皇陛下がまだ存在することが許されたので、従って、内閣制度が保たれ保守派たちは国体が守られたといって喜んだ。

 第二次日本国憲法が正式に成立するためには、国会の絶対多数が必要であったが、これには実はすこし足りなかった。本来なら成立してはならないものであった。しかし、保守派は、日本の安寧のために天皇陛下が第二次日本国憲法をお望みになるのだからといって、これを受け入れた。

 新憲法では、第二バチカン公会議にならって民主主義の徹底化がさらに進められた。

 一つは、日本の国政は首相と、県知事、市長、町長、村長など全ての地方自治体の長が一つの団体を作り「首長団」(司教団)を作ることとなった。行政・立法・司法の全てのレベルで「団体制」が採用された。地方行政では、例えば県知事、市長、町長などに対して、「公務員団」(司祭団)ができ、いろいろな人権委員(信徒会)、学校教育委員(典礼委員)、行政委員(教会運営委員)などが無数に作られた。
 立法にも、裁判所にも、いろいろな委員会が潜り込むことになった。


 第二に、日本は国際的に開かれるために日本らしくあってはならない(カトリックらしさを出してはいけない、どこが違うかよりもどこが似ているかを見るべき)とされた。世界連邦(世界宗教連盟)を作るために開かれた国となるために、国境をますます無くしていくことになった。日本に入国するにはビザを廃止するようにし、全ての国籍は等しく日本人であるとなった(エキュメニズム、無名のキリスト者)。そこで、外国の議員が国会に招待されたり(アシジの祈りの集会、非カトリックの役務者とのエキュメニカルな祈りの集い)、外国の裁判官が裁判するように招かれたり(プロテスタントの牧師たちとともに新しいミサを作る)、外国公務員が日本で働いて日本の給料を受けるようにもなった。

 日本の霊は全ての国籍の人が日本を愛するように働くと宣言され、日本以外の国籍の人は日本人と同じ権利を等しく享受すると言われた。

 日本の領土は全て地域のアジアのもの(教会は地域のもの)ということで、多くの外国人労働者が自由に出入りすることができるようになり、外国人犯罪も増えていった。

 第三に、子供から老人までの「国民の自由」(信教の自由)が宣言された。そのためにまず学校では全ての生徒の答えは正しい(全ての宗教は正しい)とされた。生徒の回答・発言・行動を間違っていると言ってはいけないとされた。幼児から老人まで人格の尊厳を守らなければならない、「あなたの発言は間違っている」ということはそれを素直に信じている人の人格を傷つけることであって、論争の元であり、ひいては戦争の元になる、だから、全ての言論は自由であって全て正しいはずであるとされた。体罰は禁止された。従って、学校に携帯を持つことも、授業中におしゃべりをすることも人権とされた。


 このような第二次日本国憲法(第二バチカン公会議)の原理の元で、いろいろな新憲法後の改革(公会議後の改革)が行われた。今までの日本ではなく、新しい国をつくる(第二バチカン公会議後の教会)とされた。まず、第二次日本国憲法の中には、日本語(ラテン語)を禁止するとは一つも書いてなかったにもかかわらず、これからは日本語の使用が禁止されているという誤解が日本全国に広がった。

 日本中の学校(教会)から日本語で授業(ラテン語で聖伝のミサ)をする学校があっという間に消えた。東京オリンピック誘致運動のせいだろうか、これからは、英語の時代だ、中国語の時代だ、国際化の時代だ、という声がわき起こり、日本語を教える学校が日本から消えた。第二次日本国憲法制定の四十年後には日本語を話すことができる天皇陛下や首相も存在するかわからなくなるだろう。数年後にして、市町村長は既に日本語を片言しか知らなくなかった。


 特に大東亜戦争の戦争責任や、アジアの国々の感情を傷つけないために、ということで、君が代(グレゴリオ聖歌)の斉唱が事実上禁止された。また、日の丸もアジアの国々の感情を傷つけないために、国旗の高揚は、常に、喪に服したように途中までしか上げなくなった(立ったままの聖体拝領)。

 隣国の議員さんたちがやっていることを真似しようという日本人国会議員が、日本国の国旗である日の丸を足で踏みつけるパーフォーマンスもやって見せ、日本人も強制的にさせられた(プロテスタント式の手による聖体拝領の強制)。これは現代の日本の踏み絵だった。もしそれをしなければ非国民のレッテルをはられるようになった。

 世界村の一つの地域としての日本ということで、他の国々を等しく尊重すると言うことで、国旗掲揚の時には、非常にしばしば中国、北朝鮮、ロシア、韓国、アメリカなどの旗の掲揚がなされた。これは両旗あるいは複数旗の高揚などと呼ばれた(プロテスタント式両形色の聖体拝領の導入)。

 学校でも役場でも公式儀式でも非常にしばしば起こったことだが、外国の国旗掲揚はあっても日の丸が揚げられないことがよくあった(平信徒が手にとって御血に浸して聖体拝領するやり方)。これだけは政府によって公式に禁止されていることであるが、皆は無視して行っていた。


 学校において教師は教えるのではなく、生徒の持っている真理を引き出すものだとされ、「対話」中心の教室作りが進められた。授業の本質がこうして生徒たちとの交わりの時間となった(ミサ聖祭は会食である)。教師は教壇に立って教えると言うよりは、校庭に出て生徒たちと遊んで幸せにさせる存在としてのみ強調された(司祭はミサのためというよりは宣教するためにある)。

 いままであった教壇は廃止され、教師は生徒の真ん中に立って、生徒の発言を聞くべき存在となった(祭壇は天主の方ではなく、信者の方を向く)。これからは主体は生徒である。今までは教師の独擅場であったが、これからは生徒の時代である。教師も生徒も平等である。万民教師説である。生徒も自由に教えるようになった(平信徒も御聖体を配る)。生徒は本当は教師から教えてもらいたいのだが、本音を言うと教師から怒られるし、せっかく教えようと張り切っている教師役の生徒ががっかりするかも知れないということで、仕方なくその生徒から講義を受けている。

 カリキュラムは全て新しい第二次日本国憲法の原理に基づいて変わった(公会議後に全ての秘蹟・聖書・教会法・公教要理・祈りが変わった)。日本人は、日本という国は第二次日本国憲法後にできたものだ、それ以前の日本は悪いものだ、分けもないのに日本語を使い、日本人が苦しんでいた国だと誤解し思いこみだした。

 学校では、県にもよるが、教師がディスコパーディーのような授業をしたり、ピエロの格好をしたり、何でもありとなった。なんでも良かったが、日本語(ラテン語のミサ聖祭)を話したり教えたり、日本の過去(カトリック聖伝)を肯定的に話をしたり、君が代(グレゴリオ聖歌)を歌ったり、先生が教壇に立ったり(いわゆる”背面”祭壇)すると、大問題であり、非国民(破門)のレッテルをはられるようになった。

 時には、一つの教室に数名の教師がやってきて授業を受け持った。これが団体制に基づく新しい共同教授(共同司式)である。一人の教師が生徒たちの真ん中に立って話をすると、その回りに立つ他の教師たちは一同にフムフムとうなずくのである。時には、スクリーンに映し出された画像に教師たちは同時に手を差し伸べて指し示すこともした。

 また団体主義のために、担任制も廃止になった。「チーム制」だ。複数の教師が複数のクラスを共同で受け持つ。ある生徒が事故を起こした、というときでも、責任の所在が不明であり、クラスメートが共同チームの教師の一人に報告すると、それは別の教師に言ってくれとたらい回しにされることが頻繁に生じるようになった。

 教師は、教えるということよりも、政治活動に夢中になり、授業中に特に中国共産党や金正日を応援するような政治的発言を良くするようになった。といっても、授業中に教師の話を真面目に聞く生徒も殆どいないので、たいした影響も無いようであるが。ある"右翼の"生徒らは、学校の裏サイトで、教師は中国共産党ではなくアメリカ民主党を応援すべきだと盛んに書き込みをするようになった。

 ある時、ある保守的な生徒が教師と会ったとき教師への尊敬から「気を付け、礼」と深々とお辞儀をしたら(跪いて聖体拝領)、教師は生徒を厳しくしかった。もしもそのようなことをやり続けるのならば、おまえは教室に入ってはいけない、退学させる、と。

 教師の服装も変わった。昔のように背広にネクタイをしては変な目で見られる。トレーニングの服、ジーパンにTシャツ、一番ラフな格好をするべきとされた。背広にネクタイをして教える教師は、校長から厳しく処罰され僻地の学校にとばされた。

 教師の中には、教科書を読んで自由に解釈すべきである(聖書の自由解釈)、とか、インターネットやグーグルで直接知識を得るべき(カリスマ運動、聖霊に直接聞く)だと主張するものも多く現れた。


 第二次日本国憲法後、日本は大混乱に陥った。日本人は日本人とは何かが分からなくなった。過去と断絶してしまった。日本人を止めたいという人々、日本を離れる人が続出した。中では、高級官僚だった人々も、数万名と外国へ亡命してしまった(第二バチカン公会議後、約二万名の司祭が司祭職を辞めた)。公務員や教師になろうとする青年も急激に無くなった。数年で教師たちの平均年齢は七〇才となるだろう。多くの学校は教師の不足で閉鎖された。つい最近は大阪で五〇の学校が一度に閉鎖されると新聞に載っていたばかりだった。

 それでも共産党とグリーンピースは第二次日本国憲法では満足しなかった。彼らは第三次日本国憲法を作ることを主張し、日本の領土は、自然のもの、世界のもの、日本が国際世界の一部の地域にすぎないのだから、第三憲法では所有権を全て廃止し、日本領土を世界領土と宣言し、全ての国民のものとする、軍隊のない国を作る、1対1のカップルには問題がある、個人を単位に生きる、ジェンダーフリー男女平等政策、男女共同参画、死刑廃止、最後に女性も相撲の土俵に立てるべきである、と訴え続けている。



 そんな中で、石原東京都知事がこの第二次日本国憲法を疑問視した。自ら、正当な国法に則り、学校を一校、石神井に作り、そこで日本語を教え、君が代を歌い続け、何も変えない教師を作る師範学校を始めた。マスメディアは、一斉に石原都知事を非国民扱いしだした。残念なことに、師範学校のあった練馬区の新区長が前任の区長が一度正式に発行した許可書を、全く独断で法に悖って廃止通知を出したこともあって、マスメディアは大きく騒いだ。しかしマスメディアが騒げば騒ぐほど、心ある日本人たちは、石原都知事を慕って是非、石神井の教師たちを送ってほしいと願うようになり、日本全国にこれらの教師たちは派遣された。

 不幸なときには不幸が重なるものなのだろうか、そんな日本に細菌テロによる新型インフルエンザが襲った。多くの方々が犠牲者となった。時の首相は、民主党の小沢首相であったが、首相の健康の状態が思わしくなく行動が遅れた、それでも、第二次日本国憲法の精神に基づいて中国とロシアから軍隊を送ってもらって日本人の援助を求める声明を出した。しかも日本語でその声明を出したので保守派の好感をかった。

 しかし、すぐには残念ながら日本には何の援助も来なかった。そんな時、細菌テロ(1988年のアシジの祈祷集会)に、日本のために何かをしなければならないという緊急状況を見た石原都知事は、多くの都民の犠牲者を見てすぐに自衛隊に援助を依頼した。「残念ながら現行法では、全部憲法にひっかかってくる。多くの生命を守るために憲法を無視してやる」と述べて、「私の場合は命がけでやるんだ。命がけで憲法を破るんだ。当たり前のことじゃないか」と答弁し、第二次日本国憲法をあたかも無視するかのような見かけを取って日本人の命を守るために自衛隊を発動させた。これによって関東地方の多くの日本にすむ日本人や外国人の犠牲者が助けられた。

 しかし、これは国会で大問題となり、裁判も無く、石原都知事と自衛隊の幹部責任者の四名は、第二次日本国憲法に則らないで細菌テロの犠牲者の日本人を助けた、ということですぐさま自動的非国民のレッテルが貼られた。石原都知事と自衛隊による救援活動を受ける日本人は、非国民行為をすることであり非国民となるとも脅された。非国民ということは、村八分である。脅しを受けた多くの日本人は、細菌に冒されつつ、援助も受けられず、命を落としていった。

 北朝鮮やモンゴルの日本ウォッチャーらは、ウェッブ・サイトを作り、日本人は石原都知事のところに行ってはいけない、憲法を守れと書きたてていた。

 しばらくして、中国の軍隊が送れて駆けつけて、やはり、第二次日本国憲法を無視する行動を頻繁にしたが、何の処罰も制裁もなかった(中国愛国協会の無許可の司教聖別)。

 保守派は、日本人は石原都知事ではなく、アメリカ軍の到来を待つべきだ、とか、あるいは小沢首相は聖人だ日本を国際化させてくれた、とか言うばかりであった。このように日本が苦しいときこそ政府の要求を飲んで、いろいろ問題はあっても、日本の政策に反映させることができないならば、それは、無駄だ。石原都知事は、日本を勝手に辞めていった、非国民のレッテルをはられるようになってしまった、だから日本について口を挟む資格はない。

 石原都知事の言うことに一見もっもとらしいことを感じても日本国民はそれを受け入れてはならない。日本国民を名乗るならば、石原都知事などに絶対に協力してはならない。これに協力することがかえって日本国内"保守"グループの力を分散させ、そのことが日本内赤化勢力に力を与えることになる、彼らに協力してはならない・・・・。中国語で良いじゃないか、英語で良いじゃないか、今の学校制度で良いじゃないか、妥協しよう、と。しかし、"保守派"には、既に郷土を愛するとは何か、日本人とは何か、法とは何か、命の大切さとはどういうことか、日本に革命があったこと、過去との断絶があったということが、よく分からなくなってしまっているようだ・・・。

 ここで、石原都知事は一人でぽつりとつぶやいた。
 日本で起こってしまったことは、まだカトリック教会の第二バチカン公会議でおこったことと比べれば、小さいことだ。何故なら、第二バチカン公会議では全世界のレベルで、しかも、超自然の命の救いのレベルでの話であったからだ。これを反面教師として、私は、日本人の命を救い、日本を守って行きたい。・・・

主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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