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聖ピオ十世会創立者の伝記 12.3.6.NOTA EXPLICATIVA PRAEVIA

2008年08月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

‘NOTA EXPLICATIVA PRAEVIA’(予備解説的注釈)

 1964年 9月 15日、第三総会開会の時、スタッファ(Staffa) 大司教は 70人の教父たちを代表して発言する許可を求めた。彼の要請は拒否された。チェトゥスはあきらめて、「教会に関して」という概要の中の司教団体主義に関する章に、何種類か修正案を提案することにした。

 9月 21日から 29日まで本文は一句節ずつ表決に付した。結果的には 572票の条件付き賛成(placet juxta modum)、つまり何らかの修正を加えたうえでのという条件付きの‘賛成’があった。

 神学委員会は修正案(modi)を検討し始めた。しかしこの事が完結される前に、チェトゥスは自分たちの出した修正案(modi)は、排除され、他方であまり重要ではない修正案だけが残されてたことを知った。

 スタッファ大司教はこれを自分の耳で聞かず、パウロ六世に手紙を書いた。それは、司教団体主義の命題という「極端な形式」の利益のためにローマ・カトリック系神学を沈黙させようとする手続上の邪悪を告発する書簡だった。この書簡の内容は、チェトゥスの中でもっとも活動的であった教父たちの 12人の手にも渡され、その内の一人がルフェーブル大司教だった。この書簡を渡された教父たちは、各自にそれぞれ他の十二名の公会議教父たちの署名を取り付けることを要請された。

 「スタッファ作戦(Operation Staffa)」と呼ばれたこの行動は、パウロ六世がこの書簡を手続上の規則違反に対する調査を命じて、神学委員会に伝達したので効果的であった。

 そうこうしている間、第三総会開会の前日、活動的なララオナ枢機卿のおかげで、35人の枢機卿と 5人の総長--彼らの中にルフェーブル大司教がいた--が動員され、彼らはパウロ六世に 10月 18日付で ‘非公開メモ’を送ってモンティーニ教皇が後援する新奇な教えに関する彼らの「憂慮」を表明した。

「その概要は、教会の姿を変えています。何故なら、
--- 君主制である教会が、司教制となり司教団体制になっているから、しかも司教団体制度は、天主から与えられた制度として、そして司教聖別を受けることによって成立することになっているから、
--- [教皇] 首位権は、傷つけられその内容を虚ろなものとされている、・・・ただ首位権の役割は位階制度を一致させ分裂しないように維持するためにあるだけとされているから、
--- 叙階による位階秩序とは区別されたものとしての裁治権の位階秩序は、揺り動かされ破壊されているからです。」


 署名人たちは、次に「静かな討論を難しくし、真の自由を妨げ拘束する、圧力団体や大胆な神学顧問、印刷物の配布」を告発し、公会議のために考察するための休憩時間と、「新しい教理を充分に熟考する期間」を要請した。

 パウロ六世は、自分が個人的に攻撃を受けていると感じ、ララオナ枢機卿に、辛辣な皮肉で一杯の自筆の手紙を書いて返事を返し、枢機卿に次のことを注文した。

「そのような大多数の司教たちに反対する、また公会議の成功にも不利な態度が(もしもその態度が本当で証明された理由を失っていたとしたら)、どれほど有害な結果の原因になるかを考えてみよ」

 パウロ六世は概要の多義性が持つ危険性を見ようとしなかった。しかしそれは、公会議後にこの文章はそのように理解されるだろうと概要の極端な解釈を、或る一自由主義の教父が書面で提出するという間違いをやらかすまでだった。

 自分が欺瞞され騙されたと見て取った教皇はうなだれ、涙を流した。そこでオッタヴィアーニ枢機卿にその本文の中の幾つかの表現を正確に記述するように求め、本文をどのように解釈しなければならないかを示す「予備解説的注釈」作らせた。

 1964年 11月 14日、予備解説的注釈 (Nota explicativa praevia) が教父たちに提示された。自由主義教父たちはそれをしんらつに批判した。

 自由主義者たちが「暗黒の一週間 (Black Week)」と呼ぶ週の初日の 11月 16日に行われた告知の中、公会議事務総長であるペリクレ・フェリチ (Pericle Felici) 大司教は、論争を終息させるために、司教団体に関する概要の教理は「上述した注釈の意味及び主旨によって」解釈されなければならないと言った。

 チェトゥスの活動は、ローマ教皇の首位権を致命的な危険から救った。その注釈は、公会議文献--穏健な自由主義命題を載せている--の解釈を、ルフェーブル大司教が受け入れることができる製限された意味に固定させた。この注釈は『教会憲章』の一部をなすものとなった。この注釈がなければ多義的な文献にすぎないという、内属的な弱点を見せている『教会憲章』の。

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

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