tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

小夜

2012-06-21 23:03:20 | プチ放浪 都会編



「今度、写真を撮らせてください」
「ウフフ」

シャンパンに酔っぱらってつい言っちまったが、すぐに後悔した。
彼女はパリのサンタンヌ通り(la rue Sainte Anne)にある高級日本食レストランにいた。
モデルみたいですねと声をかけると、モデルになるためパリに来たという。
パリに来てから、まだ半月。この店もその日からとのこと。
・・・プロのモデルになる方に、ギャラ無しで写真を撮らせてもらうのは失礼だ。
もっとも、パリコレクションの山口小夜子さんがモデルのような写真なんて、ぼくにはまだまだ撮れそうもないが。
http://alao.cocolog-nifty.com/the_eye_forget/2007/08/post_411a.html

さて、サンタンヌ通りの小夜さん。
スレンダーなボディーに、ほどよいツンとした胸の膨らみとセクシーな丸みをおびたヒップ。黒の和風ドレスのイメージのユニフォームを通してしっかりと自己を主張する肩。そしてその美貌。世界に通用するモデルの条件はすべてそろっている。
しかも、彼女はボディーランゲージができた。彼女が料理を運んで来るたびに、ぼくらが座ったあちこちのテーブルで声がかかり、あれこれと笑顔で話をしていく。
彼女には、パリに来た日本人によくありがちな、フランス人のような冷たい応対はまったくない。そこにいるだけで、みんなの心が癒されるようなそんな素敵な女性だった。
だから、社長連中はもとより、同行した社長夫人たちや社長令嬢たちも、いっぺんにみんなファンになってしまった。
彼女のおかげで、ややもすればギスギスとした話題になりそうな酒の席が楽しいものとなった。

日本食レストランなど、アジア系店舗の集中が進むパリの超一等地サンタンヌ通り。
30年前にはパリ全体で50店あるかどうかだった「日本料理店」は、「Sushi(寿司)」ブームに乗って急増。今や1000店に達するという。その大半は寿司と焼き鳥を組み合わせた中国・アジア系店なのだが、サンタンヌ通り付近は本物のラーメンやうどん、お好み焼きの店など20以上が軒を連ね、別名、日本人通りとまで。

洗濯屋も、タバコ屋・バーも、クレープ屋もすべて廃業し、日本人の出店にとって変わった。フランス人たちにとって、町の景観が変わっていくことに不満があるようだ。
欧米人たちが目と目が合った時に交わす笑顔は、必ずしも友好的な挨拶というわけではない。彼らのそれは、自分に敵意はないことを示すものだ。だから、男性同士、女性同士で目が合えば、お互いニコッと反射的にする。
一方、アジアではムーランルージュのショーとかで揶揄されがちな「おじぎ」が作法として成立している。通りにむすっと無愛想な人がいっぱいいても、不穏な空気にはなりにくい。そんなエスニックな雰囲気が、フランス人たちにとってサンタンヌ通りに違和感を感じさせるのかもしれない。
だが、目が合った時、ニコッと笑顔を向けると、微笑み返してくれる小夜さんのような女性が増えたら、日本人の評価も変わってくるのだろう。

パリでの日がまだ浅く、期待や不安に震えてるであろう彼女。ぼくには何もしてあげられないけど、遠い日本からエールを送ります。ガンバレ~☆★☆


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こんなにリバウンドするか?普通

2012-06-20 23:17:15 | プチ放浪 都会編

 

「パリは楽しかった?」
「うん、最高」
「やっぱり、遊びで行ったんでしょ」
「うんにゃ、仕事って言ってるだろ!」

10日ぶりの仕事帰りのプールで声がかかる。

まるまる4日間の会議。そして、2日間の工場視察。自由になる時間は、メンバーのそれぞれが夕食を終えてホテルの客室に入った後と、朝食までの間。

なので、当然のことながら、ぼくの行動は夜明けとともに始まる。まだ明けきらないパリの街角を毎朝、散歩した。地下鉄を乗り継いで凱旋門へ。そしてエッフェル塔へ。歩いて、あるいてノートルダム寺院へ。
この時間、まだパリは眠っている。シャンゼリゼも車の数がめっきり少なく、人通りはほとんどない。
独り占めの凱旋門。エッフェル塔。
2時間ほど歩いて、そしてホテルに戻ってモーニングビュッフェ。
熱々オムレツや焼きたてパン、野菜たっぷりのサラダ。色とりどりのフルーツ。そして何種類ものチーズ。2時間も本気で歩いた後は、猛烈にお腹が空いていていくらでも食べられる。

んで、体重3kg急増。1年かけて毎日プールで泳いでようやく3kg体重を減らしたのだが、パリにいる1週間で体重が戻ってしまった。
また、頑張って体重を減らさなきゃ。。


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ひととおり終わってからでいいですけど・・・

2012-06-19 22:11:45 | プチ放浪 都会編

 
 

CAの業務には航空機の保安要員という面もある。米国同時テロ以降、座席に荷物を置いたままの人や携帯電話を使用する乗客に対する他の乗客からのクレームは後を絶たない。
CAたちは、威圧感を 与えず、目線を合わせて、否定的ではない依頼形・提案形で声をかけていく。
CAに限らず、旅行添乗員もそうだ。わがままな客たちの要求を聞き入れながら、しかも、旅団を安全に導いていく。

今回、パリ国際会議の視察団にアテンドしていただいた添乗員さん。会議出席が目的の旅行なので、会議中の通訳をメインの仕事として添乗員を頼んだから、きっと、バイリンガルの若い女性添乗員が付くんだろうと勝手に思っていた。
ところが、旅行前日に挨拶に来た添乗員の方は、年輩の男性だった。
しかも、「専門用語はわかりません。会議の通訳はできません」と言う。
そんなことを前日に言われても困ってしまう・・・。

だが、バイリンギャルが添乗員に付いたところで、中小企業の社長たちのわがままに耐えられるかどうかが悩ましい問題でもあった。その点で、旅行会社が選んだベテランの男性添乗員は正解だった。
・・・みんな会議なんてそっちのけで遊びほうけている。必要なのは通訳じゃなくて、ツアーメンバーの安全を確保できるベテラン添乗員だった。

ぼくたち視察団の添乗員をしてくれた男性は、良く見かける添乗員とはまったく違うタイプのオーラを放っていた。歳は60代。関空からのフライトのぼくたちとほとんど同時に着いたパリ国際空港で、ビジネススーツを身にまとった彼と出会った。満面の笑みで出迎えてくれた彼は、顔を見るだけで他人をほっとさせるなにかがあった。言葉や視線、そして態度の端々から胸の中に灯る温かな光がなんとなく透けて見えるような男性だった。
この人は半端じゃないぞ、人生の中でかなりの場数を踏んできたに違いない、良いことも悪いことも含めて、と思わずにはいられない男性だった。

聞くと、深夜特急を書いた沢木耕太郎が旅をした1970年代の前半よりも、10年も前に彼は世界中を3年半かけてヒッチハイクの旅をしていた。それ以来、ずっと旅に携わっているという。今でも年間の渡航日数は200日以上。1年の2/3を海外で過ごす。

「新しい日本人の到着を待って次の行先が決まるそんな旅はしたくなかった」
彼がバックパックで3年半、世界放浪の旅に出た時の想いだ。当時、たしかに現地の旅行情報は不足していた。生協がガリ版刷りのわら半紙で出版していた「地球の歩き方」が一番の情報源。
世界の片隅の安宿で、日本の若者たちはどこに行くあてもなくたむろしていた。旅先での非日常の生活がありふれた日常に変化しているのに気が付かないでいた。

さて、国際会議の通訳どうしよう。。
エールフランス機内で、ひととおりお仕事が終わったCAとCAブースでお話をしてみた。
パリは何回目?とか、お勧めのレストランはある?とか。簡単な英語のフレーズ。
・・・通じない。フランス人の話す英語が半分ぐらいしかわからない。こんなんで国際会議はどうなっちゃうんだ?


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京都 経由 パリ

2012-06-18 22:47:47 | プチ放浪 都会編

 

何故、今回は京都経由?の説明からはじめなきゃならない。
ネットの付き合いでも多くの人が知ることとなったが、昨年1月に会社を出向の憂き目にあった。
出向先はとある業界の協会。
出向の話を母親にすると、「なんでまたそんな教会に?」と何度も心配されるのだが、出向先は宗教団体の教会ではなく、社団法人。
最近の例にならい、この6月からは一般社団法人となり、また新しい名刺が配布された。

その協会とは、材料メーカーが80数社出資して作った社団法人。つまり、クライアントの材料メーカーの技術支援を含めたお役所との仕事を肩代わりするお仕事だ。
材料といっても、今で言うローテク。技術自体は150年も前に完成され、その後も大きな変化なく、当時の技術がそのまま使われている。

日本は海外の最新技術を国内に持ってきて、製品を作っていれば良かった時代があった。そこで必要とされたのは新しいコンセプトではなく、安い人件費と高い品質管理による廉価で高品質の製造技術。
だが、グローバル化した現代では、こうした日本の特技がまったく通用しなくなったのはご存知のとおり。本質的に必要なことは、新しいコンセプトによる新たなビジネスモデルなのだが、ネタを探すには情けないことに国内よりも国外ということになる。
海外視察。3年に1度の業界の国際大会がパリで開催される。日本からの参加は協会傘下の企業が19社。そのうちの大半が関西。
つまり、関西の中小企業の凄腕経営者たちのお供役。分かりやすく言うなら、旅行添乗員。かっこよくいえば団体引率者。お供役のお仕事は、第一に英語の通訳。そして、わがままな経営者たちの世話役ということになる。

ツアー旅行が苦手で、ほとんど一人旅のぼく。こんなぼくで、客の言うことに「No」を言わないという旅行添乗員の激務が果たして務まるのか???
まあ、務まるわけはない。ということで、旅行会社のベテランの添乗員が現地で落ち合うことに。

・・・京都を経由する理由?そりゃ、あれだ。 
「そうだ。京都行こう」


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アヤメかカキツバタ

2012-06-07 23:15:36 | プチ放浪 都会編

 
 

アヤメ種で日本のものは、アヤメ、カキツバタ、シャガ、ヒメシャガ、エヒメアヤメ、ヒオウギアヤメ、ハナショウブ(花菖蒲)の7種類。この7種の中でも、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブの3種はよく似ているので、見分けるのが難しい。

・・・その違い。アヤメには花弁の元に網目模様が、カキツバタには白い目型の模様。ハナショウブには花弁の根元のところに黄色い目の形の模様がある。

ちなみに、「いずれがあやめ、かきつばた」って言葉は「美人揃いで選ぶのに苦労する」という意味。
・・・決してAKB48の総選挙をたとえるのにふさわしい言葉ではない。
その語源は平安時代にさかのぼる。第74代天皇鳥羽院のころ、近衛皇子は鵺と呼ばれる「頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇」の妖怪に怯え、睡眠障害に陥っていた。この鵺を武勇の誉れ高い頼政が弓で射ち、部下の猪早太が刀で斬り殺して退治する。
鳥羽院はその礼として、頼政にあやめの前と呼ばれる美女を下賜する。白河院存命中に待賢門院以外の女性の入内がなかった鳥羽院は、その大きな重石がなくなったことから、祖父譲りの漁食家ぶりを発揮中だ。つまり、やりたい放題だったわけだ。
あやめの前は天下に名高い美女。彼女によく似た女性2人に同じような服を着せ、みごと当てたらプレゼントと言ったらしい。武士を小ばかにした話だ。芥川龍之介の「いもがゆ」の話にも似ている。
天皇の先祖だからあんまりはっきりとは書かないが、人の心をもて遊ぶ、ほんと嫌な奴。

さて、頼政は困った。みごとにあやめの前を当てても、まわりから、ねたまれるばかりだ。もちろん、はずせば、貴族たちの嘲笑の種。
そこで頼政は、
「さみだれに 沼の石がき 水越えて いずれかあやめ 引きぞわづらふ」
という歌を詠む。つまり、貴族たちの下劣なたくらみを、貴族たちが得意とする歌で対抗したわけだ。
小ばかにしていた頼政が、思いもしなかっ高尚な手段で応対したから、今度は鳥羽院が困った。へたをすると自分が笑いものになってしまう。
やむなく鳥羽院は、あやめの前の手を取り、頼政に賜った。

・・・きっと、下賎なおいらなら、
「さみだれが降ろうが 槍が降ろうが おいらが選んだ女性があやめの前」
とか言って、長澤まさみに一票入れるんだろうなあ。
んで、「おっさん、長澤まさみはAKB48とはちげーよ」とか失笑をさそうんだろうなあ。

ということで、大人の諸事情により、明日、京都に前泊し、翌朝、関空からパリへ出発です。
しばらく留守しますm(__)m。


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