まずは効きすぎのルームエアコンをOFFにして、部屋に荷物を置くや、すぐさま、ぼくは松葉杖をついてサヌールの夜の街へ繰り出した。バリ島では車とバイクが交通手段の主流で、左側通行の道には多くの車がひしめき合っている。空港からクタを経由してサヌールに至る幹線道路は片道2~3車線なのだが、道行く車は前の車がちょっとでも遅いと、追い越しのため猛烈な車線変更を繰り返し飛ばすから結構スリリングだ。モータリゼーションはのんびりとした神々の島の人々に利便性を与えたのだが、その一方で、世界中の道路がそうであるように、より速い移動を追及するドライバーの焦りも与えたのかもしれない。
ホテルの前の2車線の道路を松葉杖で横断するのは度胸が必要だった。歩行者は日中でもほとんどいないうえに、左折の車やバイクは信号に関係なく横断歩道に突っ込んでくる。信号で停まっているたくさんの車やバイクから注目を浴びつつも、なんとか渡り終えて目指すジャズバーへ。
ジャズバーの店内は、おそらくオーストラリアから来た旅行者であろう年配の白人のカップルたちや、外国のどこの飲み屋にでもいそうな年齢の推定が困難な男どもが、ジャズライブの開演待って飲んでいた。ここのジャズバーはグリルもあって、食事も頼める。
店の奥のカウンターに座ると厨房の奥が見え、何人ものバリニーズが忙しそうに働いていた。カウンターの中いる30歳代と40歳代の2人のバーテンダーに加え、4~5名のシェフやスタッフがいるのだが、ここも客の数と同じぐらいのスタッフ人数だった。先ほどの免税店でのレストランといい、この店といい、どうやら、バリは雇用機会創出のためワークシェアリングが進んでいるのかもしれない。
2人のバーテンダーは、ロシティとナナといった。ともに、ニックネーム。彼らを相手にいろいろな話をしている間に9時になり、ジャズライブが始まった。エレクトリックギターを中心としたドラムスとベースとピアノのカルテット。ギターの音色が南国のムードにマッチしてとても気持ち良い音楽だった。
小一時間の演奏で休憩が入り、ジャズメンたちがカウンターにやってきて、それぞれビールで一休みしていた。こんな時に、ミュージッシャンの彼らと話をするチャンスなのだが、ぼくは一つ離れたイスにいつの間にか腰掛けていた女性との会話で盛り上がっていて、彼らと話すチャンスを逃してしまっていた。
「Do you come here, many times?」
「あのっ、私は日本人です」
「ごめん。この店のミュージッシャンは毎日変るんですか?」
彼女が店のスタッフたちにインドネシア語で話しかけていたから、ぼくは彼女の顔も見ずに、バリの女性と思ってしまっていたのだった。
彼女は笑って答えてくれた。
「ミュージッシャンは毎日変るようだけど、今日の人たちは本格的なジャズメンと彼が言ってましたよ」
彼女の視線をたどると、カウンターの一番隅っこのイスに日本人の男性がいつの間にか腰掛けてビールのジョッキを傾けていた。目が合って彼と会釈をかわしたのだが、彼は定年退職後、生活費の安いバリで優雅なシニア生活を送っているロングスティ年金生活者だった。そして、彼女もバリの魅力に取り付かれて、何度もバリに遊びに来ているリピーターなのだそうだ。
「ぼくは現在、病院から一時保釈されてリハビリ中。さっき、バリについたばかりなんだ」
右手についたままの病院のIDタグを見せながら言うぼくに、彼女はカウンターの隅に置いておいた松葉杖に目をやり呆れて言った。
「よく飛行機に乗れましたね。それで(酒を)飲んでも大丈夫なんですか?」
「大丈夫も何も、飛行機に乗ってからすっと飲んでいるけど、今のところ大丈夫みたい」
と答えると彼女はケラケラ笑っていた。
バリに来る日本人は2種類いる。インドネシア語、あるいは、バリニーズを覚えバリの日常生活にどっぷり浸るタイプと、日本語以外は言葉を全く発せずに日本語の通る場所にしか行かないタイプの2種類だ。旅行スタイルの違いなのだが、ぼくはこの旅行で、なぜこうもバリに引き付けられる前者の人々がいるのか、そのバリの魅力を少しでも自分なりに理解してみようと思っていた。