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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

けんかしてもいいんだけど・・・・・・(2)

2008-04-06 12:56:25 | 日記

ミーイズムは1980年以降、心の豊かさを求める人々が物の豊かさを求める人々よりも多くなったことによる。消費市場の中核が、必需品から言わば「自己実現材」に変わってきたことを受けて、豊かな心や人間性を取り戻そうとするのではなく、自己実現のために心や人間性追い求めていく「自分主義」になってしまった。つまり、私権獲得を最優先課題とするがりがりの利己主義がはびこりだしたのだ。空白の10年間と言われる90年代以降の社会の閉塞化も、ミーイズム拡大のもう一つの背景だろう。生活水準の停滞による自己実現志向の膠着化。生活水準を下げられないからの自己防衛だ。かくして社会よりも自分を大切にし、既得権としての豊かさを守るための要求を声高に叫ぶという攻撃的なミーイズムが巷であふれている。

<なぜ、他の患者のことを考えない?>
<お前も社会の一員だろう?>
悲しかったのは、彼のこちらに背中を向けて本を服の下に隠すと言う行動が、僕の視線を避けたものではなく、看護婦など病院のスタッフを気にするものだったことだ。食堂に一人で本を読んでいる患者としての僕は、病院側の人間じゃないから本を盗むのを見つけられても何にも言われることは無いと彼は考えたに違いない。事実、彼は僕を全く気にする様子はなかった。また、右足を骨折した彼の友人もこちらを気にする気配はない。

僕はその現場にいてどうしようか迷った。へたに声をかけたらとんでもないことになるかもしれない。でも、相手は2人だが一人は車椅子、もう一人は歩けるものの点滴台を引きずっている。いざ喧嘩となれば、松葉杖を振り回せばなんとかなるかもしれない。一瞬、口うるさい看護婦Kの顔が脳裏に浮かんだ。これで怪我でもした日には何を言われるかわからない。
放っておこう。一旦は見て見ぬフリをしようと決めたのだが、心臓がバクバクしていた。「社会のルールを若者に教えるのは社会人の務め」こんな陳腐な言葉が頭をよぎる。

そそくさと、お腹に隠した本を抱えて食堂から出て行こうとする彼に
「読み終わったら、本を返せよ」
「・・・・・・」
思い切って声をかけたのだが、返事はない。シカトを決め込まれた。瞬間に、頭に血が上ったのを感じた。
「おい!持ってってもいいけど、返せよな」
僕の声の調子に彼らは驚いたような顔で振り向いた。
「堂々と本を持っていけ。片手じゃページめくるの大変かもしれないけど、読んだら必ず本を返しときなよ」
僕らはテーブルを挟んで視線が一瞬、交差した。本を盗んだ方の若者はすぐにうつむき、そして小声で答えた。
「はい」
<はい>と答えた彼の返事が、本を必ず返すことに繋がるとは思えなかったのだが、彼を信じるほかない。骨折と言う同じようなハンディキャップを背負った人間から注意をされた理由が彼には理解できたと信じてやまなかった。

なぜあの時、若者に注意をしたのか今ではよくわからない。たぶん、お互いに健常者で、彼の万引きを書店で見つけたのなら僕は見て見ぬフリをしていただろう。トラブルに巻き込まれるのを恐れるからだ。だが、骨折というにわかハンディキャップを背負い、他人の親切に頼らざるを得ない状況になって、少しは社会とのつながりに目覚めてきたせいかもしれない。怪我して入院して、初めて世の中のことが少しだけわかったような気がした。