総勢22名のナース達やヘルパーさん、掃除のおばちゃんたち。それから、顔見知りになった他の入院患者たちの名前を覚え、廊下ですれ違うたびにいろいろな話題を見つけて会話を楽しんだ。
実は、こうした他人への積極的な会話は、ちょうど入院して間もなく読んだ司馬遼太郎の「功名が辻」に出てくる木下籐吉郎、後の太閤秀吉の記述に感銘を受けたからだった。といっても、別に戦国時代の大名になりたかったわけではなく、ただ単に長い研究者生活で身に付いた嫌な悪癖、つまり感情を抑圧する傾向を直したかっただけなのだが。
入院患者たちは基本的にヒマだから、いつでもぼくの馬鹿話に付き合ってくれた。一方、やさしいナース達はすれちがう廊下での短い会話を楽しんでくれる人もいたのが、なかにはウザイヤツと思うナースもいたに違いない。というのも、毎日が単調な変わり映えのしない入院生活では、話のネタがどうしても尽きてしまう。だから話題は、自然とその日のナースの観察結果にならざるを得ない。団子にしていた髪の毛がある朝ポニーテールだったり、スカート派だったのにズボンをはいていたり、メガネじゃなくコンタクトに変わっていたり・・・・・・。当のナースにしてみれば、たまたま朝忙しくて髪の毛をまとめている時間がなかっただけなのに、廊下ですれ違うたびに患者から髪の形が変わっていることを指摘されるので、もうその話題は止めてと思っているのだろう。
だが、それにも増して、ナースの反応は人によって異なり個性が現れた。
人はそれぞれ違っていて、実に面白いと感じる毎日だった。
ところで、やさしいナース達に毎日一定時間ごとに血圧を測ってもらうときに、ぼくはいつも一瞬の指先の痺れを感じていた。しかもこの痺れは特に、スタジオジブリの”魔女の宅急便”のキキにそっくりのナースに測ってもらう時がひどかった。とうとう腕にまで障害がやってきたのだろうかと一時は心配していた。だが、何のことはない、ナース達の白衣にたまった静電気が原因だった。夜の検温で、カーテンの陰で薄暗くなったベッドの上で血圧を測ってもらった時に、伸ばしたぼくの腕の指先にキキの白衣の胸元が触れたその瞬間、指先から紫電が走ったのが見えた。
人はとっさの場合に、こんな衝撃的な場面であらぬことを口走るものなのかもしれない。
「胸が・・・・・・腕に触って・・・・・・」
ぼくが何を言おうとしているのか理解できないキキは、ぼくの視線の先にある自分の胸の辺りを目で追い、
「大丈夫よ。胸に触っていないし・・・・・・」
まるでボケ老人にでも言い聞かすように答えた。キキよ。「触っていないし・・・・・・」で会話を終わるなよ。続きがあると思ってしまうし。そんな会話はどうでもよく、どうやら、ぼくは血圧を測ってもらうたびにナースから電撃を受けていたようだった。彼女達が発する100万ボルトの電撃を、生で見られたのは怪我の功名というべきなのだろうか。
キキよ。うまく制御して電撃を発せられるようになれば、ぼくのような言うことを聞かない患者を懲らしめたりと、いろいろ便利だと思うのだがどうなんだ?