数年前、ワケあって失職してたときに、昼ごはんはいつも冷たいご飯にインスタントのコーンスープだった。毎日のように全国の大学の助教授や助手のポストの公募を探してはリクルート関係の書類を書いていた。tetujinの人に言えない秘密のこと。でも、今では笑って言える。死ぬほど苦しい時期だったけど、今は思い出としてもう乗り越えられたような気がする。
耳の不自由な女性ハンナのお弁当は、タッパーウエアに詰め込んだライスとチキンとそして半分のリンゴだった。彼女は毎日同じお弁当を持ってフィルムの製造工場で働いていた。始業の合図と共に淡々と作業に浸り、誰とも付き合わず、言葉を交わすこともなく、単調な日々を過ごしていた。まわりになじまない彼女は、疎んじられて浮いた存在だった。勤務態度のまじめな彼女をクビにする理由を見出せない上司は、彼女に半強制的に長期休暇をとらせる。人生にさしたる楽しみを見出せない彼女は、海上の油田掘削所で事故により火傷と角膜の外傷により一時的に視力を失った患者の面倒を看る仕事に着くことで長期休暇を過ごす。
患者の男の秘密は、海底油田で働く身でありながら実は泳げないことだった。彼は自分を茶化して彼女に打ち明けるのだが、本人にとっては小さい頃にトラウマになった人生の重要な秘密だった。彼は泳げないことで命を落としかけていた・・・・・・。
彼女の抱えた秘密がなんであるのかが映画の後半に明かされる。その時に、なぜ、彼女のお弁当が毎日ライスとチキンとリンゴだったのか、なぜ、せっかくの長期休暇を看護婦の仕事で潰そうとするのかが明確になる。この映画を見終わってから、彼女が患者の男の残した夕食の皿を運ぶ途中、階段に座り皿の上のパスタ(ニョッキ)やビーフ、アイスクリームなどをなぜ頬張ったのかを考えて、彼女の気持ちを推すると涙がこみ上げてくるのを止められなかった。彼女は「生き残ったことを恥じて」いた。
人は誰でも、なにか重い気持ちにとらわれている時は人生を楽しもうとする気力が起きず、淡々とその時期をやりすごすものなのだろう。そんな彼女だが、看護婦という他人の面倒を看なければならない立場に身を置いたからこそ、そして、患者の男が一時的に視力を失っていたからこそ、自分のつらい過去を患者の男に言うことができたのだ。
そして、自分のことを口に出して言えれば、それまでに苦しんでいたいろいろな重荷をいつの間にか吹っ切れるようになるのだろう。人に対し強い偏見を持っていた彼女は、偶然に看護学生だったということから看護婦の仕事に就き、そして捨てていた人生をもう一度やり直す機会を得た。どんなにひどい人生でも、やり直せる。忘れられない過去でも、人はそこから立ちあがることができる。
映画の中に出てくる「ポルトガル文(ぽるとがるふみ)」という本は、フランスで刊行されたものだ。17世紀のポルトガルの尼僧マリアナ・アルコフォラードが恋人のフランス軍人シャミリー侯爵に宛てた5通のラブレターをまとめたもので、失恋経験者の必読書と言われる一冊である。当時フランスでは、女性が恋愛感情をストレートに表すことがなかったので、フランスをはじめ、ヨーロッパで評判を呼んだ。
愛をはじめて知ったハンナ。彼女はこの先幸せに暮らして欲しい。そんな思いでつつまれた。
The Secret Life of Words