志賀高原は十数年前に、当時通っていたテニスクラブの仲間たちと新幹線で行ったのが最後だったように記憶している。その時も、2月のことだった。着いたその日は大雪で、ゲレンデはホワイトアウトの状態だった。湿った深雪にスキーをとられて、滑走中に転倒するスキーヤーが続出していた。転んだスキーヤーを避けてゲレンデに止まっていると、上から何人ものスキーヤーが転がりながら降ちてくる。油断していたら、不意に後ろから転倒したスキーヤーがまともにぶつかって来た。頭に強い衝撃を感じるとともに、ぼくはゲレンデに跳ね飛ばされてしまった。幸い、帽子をかぶっていたためスキーのエッジで頭を切るのは避けられたが、運が悪ければ頚椎捻挫なり切創なり重傷を負うところだった。視界が悪いにもかかわらず、スピードを控えるなどのケアをしないスキーヤーのマナーの悪さに強い怒りを覚えるとともに、あこがれの志賀高原の名門コースであるジャイアントコースに迷い込む初心者スキーヤーがとてつもなく多いことに悲しみを感じていた。そう、十数年前の当時は、悪天候であれスキー場には人が多すぎて溢れかえっていた。ゲレンデのほとんどのコブの頂上にスキーヤーが立っており、それを避けるためコース取りに苦労をした時代だった。そして、当時のスキー・バブルは各地のスキー場のインフラを充実させた。その後、バブルが破裂しスキー人口は減少したが、インフラはまだ残っているのでそういう意味ではスキーをする環境は以前よりも向上したと言えるのかもしれない。
志賀はいま、長い長い冬の真っ只中である。12月の初冠雪、そして5月末の雪解。例年、12月中旬から4月の中旬まで、白銀の世界となる志賀高原一帯であるが、今年は暖冬で比較的積雪が少ないらしい。ハイシーズンの2月に入っても、昨日まではずっーと天気が良く暖かい日が続いていたようだ。ぼくは、ゲレンデのそばの宿に行くと、先週送ってあったスキーと荷物を受け取り、さっそくスキーウエアに着替えた。今回のウエアは、これまた10数年前の薄めのモスグリーンのelesseのワンピース。ぼくは、当時このウエアを着ていて、会社の仲間と行った会津高原たかつえスキー場で、搭乗中のシングルリフトから3m下のゲレンデに落っこちたことがあった。最近、そのスキー場には行っていないので今はどうか知らないが、その当時は、シングルリフトの搬器に転落防止用のバーが付いていなかった。また、ゴアテックスのウエアは雪をはじいてよく滑った。そんなことが重なって、ぼくはリフトから転落して3m下のゲレンデに落っこちた。
志賀はいま、長い長い冬の真っ只中である。12月の初冠雪、そして5月末の雪解。例年、12月中旬から4月の中旬まで、白銀の世界となる志賀高原一帯であるが、今年は暖冬で比較的積雪が少ないらしい。ハイシーズンの2月に入っても、昨日まではずっーと天気が良く暖かい日が続いていたようだ。ぼくは、ゲレンデのそばの宿に行くと、先週送ってあったスキーと荷物を受け取り、さっそくスキーウエアに着替えた。今回のウエアは、これまた10数年前の薄めのモスグリーンのelesseのワンピース。ぼくは、当時このウエアを着ていて、会社の仲間と行った会津高原たかつえスキー場で、搭乗中のシングルリフトから3m下のゲレンデに落っこちたことがあった。最近、そのスキー場には行っていないので今はどうか知らないが、その当時は、シングルリフトの搬器に転落防止用のバーが付いていなかった。また、ゴアテックスのウエアは雪をはじいてよく滑った。そんなことが重なって、ぼくはリフトから転落して3m下のゲレンデに落っこちた。