山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その13)

2009-01-14 | 海外の旅

黄色い花が一面に咲いていました。
「菜の花」といっていましたが、日本でみる菜の花と少し違う
感じでした。
日本ではほとんどは「セイヨウアブラナ」です。
3月頃まで咲いているそうです。



木を利用して藁を干しています。
この藁は家畜の餌にしたり、縄を編んで使っているようです。
日本でも藁を束ねて納屋の二階などに積んで保存していました。
いろんな利用価値があります。



村の道です。
建物はほとんどがこのような石積みの家です。
これなら腐ることもないでしょう。
歩いていて心が和む風景でした。



ところどころにこんな仕掛けがありました。
家の入口ですから、「門扉」のようです。
動物除けとしても動物は牛か犬くらいです。
石柱に穴をあけて作ったものもありました。



野生のサクラソウです。
たくさん自生していました。
日本で見る園芸種と葉っぱが違っていました。
幾つかの種類があるようでした。




ここにはなだらかな畑が広がっています。
このくらいなら耕しやすいでしょうね。
下から賑やかな声が聞こえました。
何か作業をしているようです。




村の人が総出で高いところの土を崩して奥のほうに運んでいます。
男も女もありません。
崩すのに棒を使っていました。
日本ならブルドーザーであっという間に終ります。
このような共同作業から人間の信頼関係が生まれるのだと
思いました。
手前の男性が肩から掛けているのはグルン族独特の衣装です。
袋になっていて何でも入れるようでした。
籠などの荷物は肩でなく頭に紐をかけて運んでいました。



学校の入口に案内板のようなものがありました。
日本でいう高校のようです。
ESTDというのはネパール歴だそうです。
西暦では65年前くらいになるそうです。
ネパールではこの他に部族だけの暦も持っているそうです。
おもしろいと思いました。



校庭で子供達がボール遊びをしていました。
教室は小さく仕切られているようです。
すぐ近くの教室では先生が大工道具で何か作っていました。
ボールが目の前に飛んできてぶつかりそうになったので
慌てて場所を移動しました。
頭を下げて謝っていました。



たまたま近くに「副校長」という男性がいました。
「日本から来た」といったら嬉しそうにして「この学校は日本人の
寄付によって建てられた」と話していました。
建物の壁にそのようなことが書いてありました。
ネパールにはまだまだ学校が足りないようです。



すぐ近くに見たことのある花が咲いていました。
キンポウジュ(別名:ブラシノキ)のようですが、みんな下を
向いています。
もう終わりの頃で種ができていました。



洗濯をしている女性がいました。
共同洗い場のようです。
石の上に布を置いて擦っています。
この時は小雨が降っていました。
雨でも関係ないようです。



菜の花を近くで見ました。
花は確かに似ていますが、葉っぱが違うようです。
奥にはインゲンの白い花がみえます。
建物は宿泊するロッジです。



ここにも藁が積んでありました。
手前に見える花は和名ではキダチチョウセンアサガオ、一般に
エンジェルトランペットと呼ばれています。
このあたりから日本に渡ってきたようです。
近くにお寺があるというので行ってみることにしました。

◎付 録(1)

11日に筑波山に登ってきました。
女体山の頂上あたりには木に氷がついていました。
かなり冷え込んだようです。



木の枝にたくさんの氷がついています。
霧氷という現象です。
空気中に程よい水分があり、それが枝について凍ります。
氷は透明です。



女体山の頂上から男体山の方向です。
北側が真っ白に凍りついています。
頂上のアンテナの右奥に薄く浅間山が見えました。
富士山も見えたのですが、天気が良過ぎて霞んでいました。




男体山を近くで眺めました。
山全体に桜の花が咲いたように見えます。
ここまではケーブルカーで登ってくることができるので
たくさんの人がいました。




大きな木の全体に氷がついています。
「枯木に花が咲いた」ようでした。

昔、金時山で見たことがありますが、規模が違います。
登山道も凍りついていて尻餅をついている人が多かったです。
気温があがると音をたてて落ちていました。



ネパール・ヒマラヤトレッキング(その12)

2009-01-13 | 海外の旅

雨が上がって柔らかい日が差してきました。
気温がぐんぐん上がっています。
時々後ろを振り返りながら歩きました。
もっと人がいるのかと思いましたが、いませんでした。




やがて大きな門がありました。
遠くに見える建物が今晩宿泊するロッジです。
なかなか立派に見えました。
もうすぐ到着します。




土手の横にサクラソウが咲いていました。
野生種です。
葉っぱは園芸種より小さいように見えました。
このあともたくさん出会いました。




ロッジまでもうすぐです。
上のほうで我々がくるのをジッと見ている人がいます。
近づいて挨拶すると、明るく応えてくれました。



宿泊するロッジです。
ここでは「ホテル」と呼んでいました。
シャウレバザールを出発してから丁度4時間の歩きでした。
ここは標高1950mです。
約800m登ってきました。



部屋に入ってからしばらく休んで昼食にしました。
これが昼食メニューです。
先に野菜スープがでてきます。
メニューは時計回りにパン、からし菜のおひたし、野菜サラダ、オイルサーデン、
ジャガイモの炒め物です。
オイルサーデン以外はすべてお代わりできます。
ジャガイモや生野菜は現地調達のようでした。
パンも食べやすく美味しかったです。
最後に飲み物がオーダーできます。
私はブラックコーヒー、2人はミルクコーヒーでした。



この日から1人1部屋が与えられました。
このロッジに宿泊しているのは我々だけでした。
3階の部屋の一番奥です。
部屋にはベッドが2つあり、奥にトイレがあります。
ここには電気もあり、部屋にコンセントもありました。
タイプはBタイプです。
早速カメラの電池と携帯を充電しました。



ここはグルン族が住んでいる村です。
他にもロッジがたくさんありました。
上に見える建物もロッジのようです。
ガスで山は霞んでいました。



部屋の前のベランダから見た光景です。
建物の屋根は薄い板状の石でできています。
これで雨漏りがしないのでしょうか?
かなりいい加減な葺き方です。



ここでネパールのお金をご紹介します。
今回はお札ばかりでした。
硬貨もあるようですが、見かけませんでした。
カトマンズに着いた時、ホテルで日本語ガイドが用意していました。
¥3000=RS2460(ルピー)でした。
換算すると1RS=¥0.82です。
パンフレットなどでは1RS=¥1.7と書いてありました。
かなり円高の影響がでているようでした。
とりあえず、¥3000両替しました。
お札の裏にはいろんな動物が描かれています。
RS50には2種類ありました。

ネパールにはチップの習慣があり、ホテルのボーイなどには
RS20でよいそうです。
同行していたポーターにも時々あげました。
我々にとっては僅かですが、それでも彼らは喜んでいました。



昼食後、しばらく休んでから村を歩いてみることにしました。
すぐ近くに博物館があるというので行ってみました。
その入口にフクシアが咲いていました。
お爺さんが1人いて有料でした。
内部は真っ暗で懐中電灯で照らしながら見学しました。
展示品は日本にもあるような昔の農機具が主でした。




博物館をでて学校に行ってみることにしました。
途中で3人の子供が近づいてきました。
左の2人が姉弟で、右の男の子は友達だそうです。
挨拶をすると元気な声が返ってきました。
まったく「文明」に縁のない子供たちです。
どの顔もいい顔をしていました。

日本の子供に声をかけると逃げて行きます。
何かが狂っているようです。



晴れていればこの山の奥に大きな山が見えるそうです。
残念ながらまた雨が降ってきました。
明日に期待しましょう。
黄色いのは菜の花です。
学校はこの下にあります。
これから行ってみます。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その11)

2009-01-12 | 海外の旅

かなり高度が上がってきました。
ここは少しガレています。
右に大きく切れ込んでいて、滑れば谷底です。
日本の山にもこのようなところがあります。
慎重に歩きました。



歩いてきた道を振り返ってみました。
煙がでているところの脇を歩いてきました。
山全体が棚田です。
日本では見たことがない風景でした。




なだらかなトレッキング道路です。
このあたりには民家もありませんでした。
歩いているのは我々だけです。
贅沢なトレッキングでした。



再び振り返ってみました。
よく踏まれた石畳です。
雨だったので、カメラは雨具のポケットに仕舞っています。
時々出しては撮りました。



前方に民家がみえます。
やはり石を積んでできていました。
大きな木があります。
暑い時にはよい日陰をつくるようです。
中から話し声が聞こえました。
覗いてみましたが、真っ暗でよくわかりませんでした。



雨は1時間くらいで止みました。
雲が切れて青空が覗いています。
遠くの山に雲海が広がっています。
雨上がりの風景もよいものでした。



再びヒメツルソバをみつけました。
葉っぱに細かい毛がたくさんあります。
日本にはこのあたりから渡ってきたようです。
葉っぱにあるV字のマークもここでは薄かったです。



これはアザミのようです。
葉っぱが枯れていてありませんでした。
白いアザミは初めてです。
ネパールでは別の名前があるようです。
アザミの仲間としておきます。



歩いている左に祠のようなものがありました。
「バラハ」といってヒンズー教の神様を祭っている祠だそうです。
日本では村はずれにあるお堂のようなものでしょうか。
静かにこのあたりを護っているようでした。




日が射してきました。
気温は10℃前後で寒くはありません。
もう雨は大丈夫のようです。
雨具を脱ぎました。



前を行く二人は傘を差したままです。
乾かしているようです。
日本の山を歩いていても同じようなことをします。
2人とも山歩きに慣れているようでした。




谷の反対側の眺めです。
山全体が棚田になっています。
ここには向こう側からこちらに登ってくる道がありました。
この先で合流していました。
水は天水だそうです。
まさに自然と共に生活しているようでした。



小さな花が咲いていました。
サクラソウの仲間です。
まだ咲き始めのようです。
このあとたくさん出会いました。
もうすぐガンドルンです。




ネパール・ヒマラヤトレッキング(その10)

2009-01-11 | 海外の旅

棚田を近くで見るとこんな感じです。
このすぐ脇を歩きます。
なだらかなトレッキング道は延々と続いていました。



鋭いトゲを持った植物がありました。
アザミのようです。
日本ではこれだけのトゲを持ったアザミはみたことがありません。
どんな花が咲くのか見たかったです。




脱穀機のようです。
しばらく見ていたら、子供が飛んできて足で踏んで見せました。
日本なら水車でやるのでしょうが、ここではすべて人力の
ようでした。




この頃から雨が降り出しました。
ここはキムチェというところです。
ここでしばらく様子を見ることにしました。
シャエレバザールから約2時間です。
標高は1570mでした。



歩いてきた方向を振り返ってみました。
ポインセチアの手前にアメジストセージが見えます。
花はほとんど終わっていました。
別名:メキシカンブッシュセージともいいます。
日本にもたくさんあります。



ここには離れたところにトイレがありました。
右はシャワールームですが、水しかでません。
トイレは粗末なものでした。
男性はどこでもよいですが、女性は囲いがあるだけでも
助かるのでしょうね。




この小屋の中ではこのようなアクセサリーが売られていました。
ネパールらしい飾り物です。
値段は高いものでも日本円で¥1000以下でした。



こちらはリストバンドのようです。
上のものでRS200(200ルピー)くらいです。
日本円では¥170くらいになります。
雨宿り代だと思って1個買いました。
飲み物もあり、メニューをみるとコーヒー1杯¥40くらいでした。



雨は激しくなるばかりです。
30分くらい待っていたのですが止みそうもないので
雨具をつけて出発しました。
途中に分岐がありました。
ここを右に歩きます。



棚田の中の平らな道が続きます。
風がないので雨が吹き付けることはありませんでした。
山岳ガイドはビニールを頭から被っただけです。
慣れたものでした。



歩いてきた道を振り返ってみました。
雨は写っていませんが、遠くが霞んでいます。
この雨はどうやら通り雨のようでした。




このあたりは歩きやすい道でした。
まさに生活道路です。
それにしても人に会いません。
雨が降れば家の中でジッとしているようです。




途中でこのような沢を渡りました。
傘を指している男性は反対側からすれ違った人です。
初めて出会った人でした。
「ナマステ!」と声をかけたら明るく返事が返ってきました。
異国でも挨拶をして返事が返ると気持ちよいものです。
静かな歩きが続きます。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その9)

2009-01-10 | 海外の旅

小屋の横に薪が積んでありました。
シャウレバザールには電気がありましたが、このあたりには
ありません。
煮炊きはすべてこの薪を使っていました。
自然保護区なので勝手に取れないそうです。
ある期間だけ決めて倒木などを集めて薪にしているようでした。




長い石段が続きます。
家も垣根も道もすべて石でできていました。
すべて平らな石です。
このあたりの山で取れるようでした。
赤い花は八重のポインセチアです。



またまた子供達がでてきました。
腰に下げていたカメラを見つけると「撮ってくれ」と
いいます。
撮ってあげるとすぐに「見せて欲しい」とねだります。
デジカメが珍しいようでした。
どの子の顔もいい顔でした。
家の軒下にはトウモロコシがたくさん干してありました。



このあたりで標高1400mくらいです
振り返ってみると出発したシャウレバザールが小さく見えます。
ここまで約1時間でした。
シャウレバザールが標高1170mですから230m登った
ことになります。



しばらくはこのような登りが続きました。
大きな木が見えますが、日本では見たことがない木でした。
スタートし時の気温は7℃くらいでしたが、ここでは
10℃以上ありました。
風がなかったので寒さは感じませんでした。



真っ赤なポインセチアがありました。
棚田をバックに撮りました。
のどかな風景です。
意外と鳥の声が聞こえませんでした。




棚田がきれいな曲線を描いていました。
春の田植えの頃は緑一色になることでしょう。
その頃には山は霞んで見えなくなるそうです。
これだけの田んぼを管理するのはたいへんだと思いました。
家はポツンとしかありませんでした。




谷を挟んで対岸にも棚田が広がっています。
煙が上がっていましたが、何か燃やしているようでした。
家の数も少ないようです。
自然相手の生活をしていました。



ロバを使って荷揚げをしている家のようです。
たくさんのロバが休んでいました。
電気もなく質素な生活をしているようです。
このあたりには雪が降らないようなので、
比較的暖かいようでした。



ロバは道一杯に広がっていて除けてくれません。
時々尻尾を振るので、彼女が躊躇しています。
先頭を歩くガイドが心配そうに見ていました。
私のことはまったく心配してくれませんでした。
女性は得ですね。



このロバたちは休息中は口に袋のようなものを
被せられています。
余計な物を食べないようにするためのようです。
それでも袋の上から地面をかじっていました。
習性のようでした。




2人の男の子が遊んでいました。
ネパールの学校は小学が5年、中学が2年、高校が3年で
合計10年だそうです。
いずれあと2年増やして日本と同じく12年にしたいといっていました。
教科書は国から無料で支給されるそうです。
「ここの学校はどこのあるの?」と聞いてみました。
下のほうを指差しました。



かなり下のほうにそれらしき建物がありました。
ここでは小、中が200人くらい一緒に勉強しているそうです。
先生は9人いるそうです。
高校になるとかなり離れたところまで出て行くようです。
マレーシアの援助で建てられたそうです。
最近コンピューターが10台入ったのですが電気がないので
使えないと話していました。
前日がクリスマスでお休み、そのまま冬休みになったようです。
2人とも明るい少年でした。
通訳を交えてしばらく話をしました。

家が遠くて学校に通えない子供もいるようです。
少し考えさせられました。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その8)

2009-01-09 | 海外の旅

今日は日本を発ってから3日目です。
天気は少し曇っていました。
ザラナフルのアップです。
筒状の先端は4つに裂けていて、そのうちの1つは更に咲けています。
蜂の巣から大きな目玉が飛び出したように見えます。
日本でも「カエンカズラ」という名で温室の中にあるようです。
南国の花らしい鮮やかな色をしていました。




道端にベニバナボロギクに似た花が咲いていました。
ネパールでの名前は聞いてみたのですが、わかりません。
夏の終わりから秋にかけて咲きます。
原産地はアフリカだそうです。



鋭いトゲで武装した草がありました。
イラクサの仲間だそうです。
この繊維で布を織るそうです。
後日うっかり触り、2~3日痛みが取れませんでした。
かなり大きくなるようでした。



歩いていたら突然子供が3人飛び出してきました。
歌を歌いながら踊ります。
明るいメロディで聞いたことがある歌でした。
3人姉妹で真ん中がお姉ちゃんのようでした。



先頭はどんどん進んでいますが、しばらく足を止めて
見ていました。
あとでガイドに聞いたら「レッサンピリリ」という愛の歌だそうです。
歌はネパール語でわかりませんでしたが、
「♪私は黄色いハンカチを飛ばしました。それを追って会いに行きます。」
というような内容の歌だそうです。
動画で撮る時間がなくて残念でした。
かわいい子供たちでした。



ネパールの竹です。
あまり大きな株にはなっていません。
これを裂いて籠などを作るようです。
新芽も出ていました。



この花もたくさん自生していました。
ハイビスカスに似ていますが、花が開いていません。
すべてこのような状態でした。
帰ってから調べてきたら、ヒメブッソウゲというそうです。
別名:眠れる森の美女、英名ではスリーピングハイビスカスだそうです。
沖縄あたりにもあるそうですが、初めての出会いでした。



途中でこのような吊り橋を渡りました。
かなり立派な吊り橋でロバも通ります。
まさに生活道路です。



このあたりから石畳の登りになります。
山岳ガイドと日本語ガイドは部族が違うようですが、共通語の
ネパール語で話していました。
部族によってはまったく言葉がわからないそうです。



歩いている左側に棚田が見えます。
ここには大きな田んぼはなく、すべてこのような小さなものでした。
水は天水だそうです。
すべて自然が相手の生活をしているようでした。
赤い実がみえますが、何でしょう?




少しズーミングして見ました。
真ん中に黒い種があり、周りに赤いホウのようなものが
あります。
ガイドに聞いてみましたが、わからないということでした。
草や花はあまり気にしないようです。




よく踏まれた道路です。
石垣もしっかり積まれています。
右の石垣には階段状に飛び出した石がありました。
上るためのステップのようです。
ここでも生活の智恵を感じました。



ミカンが自生していました。
手入れをしていないので、かなり上のほうに延びています。
道端でも売っていました。
2個で10ルピーでした。
日本円では10円もしません。
コックがたくさん買ってザックに入れていました。
毎朝、朝食後に1個ずつ出してくれました。
種が大きく酸っぱかったですが、ビタミンの補充にはよいと
思って食べました。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その7)

2009-01-08 | 海外の旅

これから向かう山の上のほうです。
重く雲が垂れています。
雨か雪が降っているようです。
田んぼに緑がみえますが、ジャガイモです。
ここでは1年に何回も作るようです。



シャウレバザールに到着しました。
車を降りたナヤプルから3時間40分の歩きでした。
標高1170mです。
たくさんのロッジがありますが、宿泊客は我々だけでした。
静かなところです。




ここが食堂です。
オレンジ色のザラナフルが咲いています。
建物全体に覆い被さっていました。
まさに「滝の花」ですね。
気温は18℃くらい、寒さはありませんでした。



食堂の内部です。
テーブルなど手造りのようですが、これで充分です。
到着すると暖かい飲み物がでてきます。
私はいつもブラックコーヒー、あとの2人はミルクコーヒーでした。
このサービスはよかったです。



これは隣のロッジです。
壁に「NAMASTE」と書いてあります。
「ナマステ」はネパールの挨拶で「おはよう、こんにちは、こんばんわ」と
いつでも使えます。
歩きながらこの挨拶をすると子供も返してくれました。



真っ赤な花がありました。
近づいてみるとポインセチアの仲間のようです。
枝の先に丸い玉をつけたように見えます。
これは初めてでした。




ポインセチアの色違いです。
周りの花に見える部分はホウで本当の花は真ん中にあります。
黄色い唇のような形をしていました。
これは園芸種のようです。



少し離れたところから眺めてみました。
左奥が先ほどの食堂です。
ちなみにシャウレバザールのシャウレとは地名でバザールは
このようにたくさんの店があるという意味だそうです。
店といっていましたが宿のことも含まれるようです。



今度は反対側から食堂を見ました。
奥からこの川に沿って歩いてきました。
ここまではなだらかな道でした。
時間は現地時間で午後5時過ぎでした。



ロッジの室内です。
一つの部屋にベッドが2つあります。
寝袋が用意されていました。
羽毛の寝袋でインナーもあったのですが、これだけで充分でした。
これから先も使うので袋に目印をつけました。
これも朝たたんで袋に入れておけば荷物と一緒にポーターが
運んでくれます。




夕食です。
野菜スープにチキンカレーでした。
カリフラワーが添えてあります。
ご飯は粘りがありました。
ネパールのお米には粘りがなく我々には食べられないそうです。
特別に運んでくれているようでした。



翌日の朝食はお粥でした。
それに味噌汁、ホットケーキのようなもの、
ゆで卵が付いています。
梅干は後輩の女性が持ってきてくれました。

朝起きるとポーターがお湯を洗面器に入れて持ってきてくれます。
それで顔を洗い、手足を拭きます。
朝はモーニングティもありました。
午前7時朝食、午前8時が出発です。
これが毎日の日課になりました。


地 図

今回トレッキングしたコースです。
マーキングしたところが宿泊地です。
上に行くほど標高が高くなります。
ゴラパニまでは登りが続きます。
その後は長い下りです。



これは概念図です。
下のオレンジでマークしたところがトレッキングした場所です。
青いマークが今回見ることができた山です。
一番左奥の文字が欠けていますが「ダウラギリ」です。
プーンヒルから素晴らしくみえました。
あとでご紹介します。





ネパール・ヒマラヤトレッキング(その6)

2009-01-07 | 海外の旅

ポーターの1人です。
荷物は紐で縛り、頭にかけて運びます。
このほうが楽なのでしょうか?
全部で50~60キロくらいあるのでしょうか?
食料はだんだん少なくなるので、日にちが経てば軽くなるようです。
我々を追い越してどんどん進みました。



穀物が干してありました。
トウモロコシのようです。
粉にして食べるようです。
軒下などにもたくさん干してありました。




農家です。
藁は積んであります。
このようにして乾燥し、家畜の餌や屋根の材料にするそうです。
高床式にすれば下が腐らないですね。
生活の智恵のようでした。



突然ニワトリが挨拶にきました。
チャボに似ていますが、かなり大きかったです。
日本では見かけない鳥でした。
日本ではニワトリは「コケコッコー」と鳴きます。
ネパールでは「ククリーター」と鳴くそうです。
何度か鳴き声を聞きましたが、私にはどちらにも聞こえました。



屋根を葺いている人がいました。
材料はススキの似ていましたが、少し違うようでした。
簡単な葺き方です。
これで雨が漏らないのかと気になりました。




収穫を終えた田んぼで牛が草を食べていました。
放し飼いにしています。
牛は労力の1部です。
春の田起しまで休暇のようです。



小さな棚田が広がっています。
まったくのんびりした風景です。
一つずつの田んぼは小さいので、すべて手で田植えをするそうです。
1軒では手が足りないので、村中総出で行なうようです。



すぐ近くに藁の山がありました。
日本では藁も貴重になりました。
昔はこれを叩いて柔らかくし、縄を編みました。
冬の間の仕事でした。



村の入口に紐が張ってありました。
草や花を挟んで「魔除け」にするそうです。
家の屋根は薄くはいだ石で葺いてあります。
建物はほとんどがこのような石積みの家でした。
ネパールには地震がないので崩れないそうです。




遠くから鈴の音がしてロバの一行がきました。
10頭以上いましたが、一番後ろの少年がコントロールしています。
山の上に荷揚げを終えて帰るところのようです。
重い荷物はロバで運ぶようでした。





真ん中あたりに大きな鈴をつけたのがいました。
なかなかよい音が響きます。
すぐ近くを通ったのですが、我々にはわき目も振らずに
通り過ぎていきました。
通った後にはたくさんのフンが落ちていました。
ここでは「遠慮」がないようです。




ワルナスビの若い実です。
ピンポン玉くらいありました。
これが少し経つと黄色くなります。
スイカの小さい時のように見えました。




道はゆっくり登っています。
下を見ると川が流れています。
このあたりは「モディ渓谷」と呼ばれているようです。
今晩の宿泊地、シャウレバザールまでは標高差100mくらいの
緩やかな登りが続きました。


ネパール・ヒマラヤトレッキング(その5)

2009-01-06 | 海外の旅

石積みの畑に青々としたものがありました。
近づいてみると、ジャガイモでした。
ネパールは米が主食になっているようですが、ジャガイモも
よく食べるようです。
今回もたくさん食べましたが、美味しかったです。




オレンジ色の花が石垣に這っていました。
つる性の植物です。
ネパール語で「ザラナフル」と呼んでいました。
ザラナとは滝、フルは花のことです。
このあとたくさん見かけました。




これは日本でもよく見かけます。
和名では金蓮花(きんれんか)、別名ナスタチュウムです。
葉っぱがハスの葉に似ています。
サラダとして花や葉を食べます。
日本語ガイドも知らないようでメモしていました。



遠くにトレッキング基地が見えてきました。
ここにはたくさんのレストランがあります。
我々はこの手前で食事をしました。



この橋を渡って右に歩きます。
山の奥は曇っているようです。
赤い花はブーゲンビリアでした。



川に向かってポインセチヤがありました。
日本でもお馴染みですが、鉢植えでしか見たことがありません。
野生化するとかなり大きな木になるようです。
この先たくさん出会いました。



橋を渡ると分岐がありました。
今回のルートはぐるりと一周できるコースです。
ゴラパニに行くには右からのほうが楽だそうです。
帰りにこちらに降りてきます。
5泊6日のトレッキングになります。



ここはビレハンティというところです。
ここで入山許可を受けます。
この山域に入るには事前に許可を受ける必要があります。
ネパールに入ってからでも受けられるようですが、
我々は旅行会社を通して受けました。
許可証には写真が2枚必要です。




道端に咲いていました。
アメリカアサガオのようです。
日本でも雑草化しています。
この日の気温は20℃くらいでした。
思っていたより暖かかったです。



普通の民家です。
ほとんどがこのような石積みの家です。
夜はかなり冷えるのですが、隙間だらけです。
このあたりには電気がきているようですが、灯り程度だそうです。
煮炊きする燃料は薪が主です。
どこかに出かけているのか人影は見えませんでした。




今回のポーター2人です。
道中我々の荷物を運んでくれます。
「ポーターに預ける荷物は1人15キロまで」とありました。
私のダッフルバッグに詰めた荷物は6キロです。
ザックは5キロで全部持たせても規定以内でした。
他の2人も同じくらいだったと思います。
白い袋には食料や調味料が入っています。
我々のための食材です。



しばらくはこのような道が続きます。
ここで今回のメンバーを紹介します。

一番先頭を歩いているのがポカラ空港で合流した山岳ガイドです。
名前はヒマールといっていました。
ネパールではヒマラヤのことをヒマールと呼んでいます。
グルン族の出身だそうです。
その後ろが日本語ガイドの女性です。
日本に4年留学して日本語を勉強したといっていました。
3番目と4番目は仲間です。
男性は昨年7月にカムチャッカで一緒だった人でした。
紅1点の女性は新潟からの参加です。
話しているうちに高校の後輩だということがわかりました。
それにコック1名いますが、写真には写っていません。
後日ご紹介します。

それぞれ一人参加の申し込みでしたが、3人で出してくれた
旅行会社に感謝です。



ポーターは頭に紐をかけて荷物を担ぎます。
ネパールではよく見かける光景です。
暖かいのでTシャツ1枚で歩いていました。
ピンクのポーターが少し年配で、若い方はポカラからかなり
離れたところからきたそうです。
言葉はまったくわかりませんでしたが、意思は通じました。





生活道路ということですが、車はまったく通りません。
田舎道をのんびり歩くという感じです。
日本語ガイドは6歳の子供がいるといっていました。
日本語ができるということで、かなり仕事があるようです。
出身はネワール族だそうです。
部族の言葉、共通語のネパール語、それに日本語、たぶん英語も話せるのでは
ないかと思います。
また日本に行きたいと話していました。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その4)

2009-01-05 | 海外の旅

ポカラ空港の管制塔です。
後ろに大きな山が見えます。
ポカラは標高900mくらい、霧が多く飛行機が飛ばない時も
よくあるそうです。
気温は20℃くらいありました。




カトイマンズから乗ってきた飛行機です。
小さい空港なので飛行機は待合室のすぐ近くまで横付けします。
歩いて出口まで来て荷物を待ちました。
荷物はリアカーのような物に乗せて運んできました。
出口で車が待っていました。
ここで山岳ガイド、ポーター、コックと合流しました。



ブーゲビリアが咲いていました。
南国の花です。
ネパールは緯度では日本の奄美大島あたりに位置します。
標高が高いので同じ気候とはいえませんが、花は暖かいところで
咲く花がありました。




ポカラから車でナヤプルというところまで入りました。
途中ノーダラという標高1620mの峠を越えました。
時間にして約1時間です。
左が乗ってきた車です。
トヨタ車でした。
ネパールには日本車がかなり多いようでした。
ここからトレッキング開始です。



古い家並みをしばらく歩きます。
なにやら話し込んでいる地元の人がいました。
ネパールには36以上の民族、100以上の言葉があるそうです。
ネパール語が共通語になっています。
英語も多少通じますが、地方ではまったくダメでした。
屋根の上にみえる籠は背中に背負って荷物を運ぶ物です。



街並みです。
天気がよいので道路の出て日向ぼっこをしている人がいます。
靴を履いている人は少なくほとんどがゴム草履か裸足でした。
時々砂埃をあげて車が通りました。






ニワトリが狭いケージで飼われていました。
ネパールでは牛は食べません。
豚は食べるそうですが、見かけませんでした。
肉といえば鶏肉でした。
これも食用にするようです。





しばらく行くと少女が座っていました。
学校を建てるための寄付を募っているようでした。
幾らでもよいというので寄付しました。
日本人にもよく似たかわいい少女でした。



吊り橋を渡って対岸に行きます。
川を渡る時はほとんどが吊り橋でした。
ここは生活道路の一部のようです。




吊り橋の中ほどから川を眺めてみました。
きれいな水が流れています。
山もみえますが、雪はありません。
気温は23℃で春を思わせるような天気です。
ここは標高1070mでした。




大きなバナナの木があります。
青いままのバナナも食後のデザートとしてでました。
少し硬かったですが、それなりに美味しかったです。




道端でヒメツルソバを見つけました。
日本では雑草化して咲いています。
ヒマラヤが原産地として紹介されています。
日本語ガイドは女性でしたが、花に詳しくないようでした。
説明してあげると一生懸命メモしていました。



黄色い実がたくさんありました。
ワルナスビの実です。
日本で見るものよりかなり大きいです。
葉っぱや茎に鋭いトゲがあります。
うっかり触るとヒドイ目にあいます。
動物も食べないようです。
これから少しずつ奥に入って行きます。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その3)

2009-01-04 | 海外の旅

飛行機に乗るとすぐに機内食がでました。
この日はクリスマスイヴです。
小さなケーキがついていました。
ビールは青島(チンタオ)ビールでした。



カトマンズ空港には現地時間で午後10時に到着しました。
日本とはマイナス3時間15分の時差があります。
入国窓口は数ヶ所しかありません。
ネパールに入国するにはビザが必要です。
事前に日本で取得しましたが、空港でも取れるようです。
ビザを持っていない人の列もできていました。

出口で女性が手を振っていました。
日本語ガイドです。
花でできた首飾りの歓迎を受けました。

待っていた車でホテルに入り、翌日の説明を受けました。
入口にはクリスマスツリーが飾ってありました。



部屋に入るとここにもクリスマスケーキがありました。
ここから体内時計を現地時間に合わせました。
朝8時に迎えが来るというのでシャワーを浴びてベッドに入りました。




翌朝、ホテルの窓から外を眺めてみました。
前で建物を工事しているようですが、ヘルメットなど被っていません。
すべて手作業でやっているようでした。



宿泊したホテルです。
帰りにもここに寄ります。
トランクなどの荷物はこのに置いて行きます。
大きなダッフルバックを渡されました。
これから先に必要な物はこれに入れて運びます。
私は残す物がないのですべてダッフルバッグに入れました。



カトマンズからポカラまでは国内線で移動します。
ここは国内線の空港内です。
水の持込は自由だというのでホテルにあったサービスの
ミネラルウオーターを1本(1リットル)持ちました。
ネパールは水が悪いので生水は飲めません。
カトマンズは標高1300mです。



ポカラまで乗る飛行機です。
プロペラ機でした。
日本人は我々3人だけでほとんどがネパール人のようでした。
ポカラまでは約30分の飛行です。




座席は2列で通路側でした。
日本語ガイドに話をしたらスチュワーデスの隣が空いているので
移動してもよいとのことでした。
進行方向にヒマラヤの山が見えてきます。
最初に見えた山がランタン・リルン(標高7225m)です。
富士山の2倍近い大きな山です。






大きな山群がみえました。
左からマナスル(8163m)、ダクラ、ヒマンチュリだそうです。
初めて見るヒマラヤの山々に感動しました。





雲の流れで山の形が変わって行きます。
ヒマラヤの山々はやはり神々しいです。
スチュワーデスの席なので進行方向後ろ向きです。
先がみえませんでした。



マナスルが近くなりました。
登れそうですが、なかなかたいへんだと思います。
世界には8000m級の山が14座あります。
そのうちの8座がネパール・ヒマラヤにあるそうです。


ズーミングして見ました。
左がマナスル、右がダクラです。
ダクラは標高7871mで別名ピーク29と呼ばれています。
30分の飛行はあっという間でした。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その2)

2009-01-03 | 海外の旅

最後に火力発電所のようなものがみえました。
どこのあたりかよくわかりません。
これ以降は太平洋の上です。
海に出ると雲が多くなり、楽しみはなくなりました。



約3時間半くらいのフライトで香港に到着です。
香港空港に降りるのは初めてです。
翼の奥に山がみえます。
ロープウエイがかかっているようでした。



雲が多いようですが、天気は晴れているようです。
空港のまわりに意外と山が多かったです。
乗り継ぎなので外には出ることができません。




日本と香港とはマイナス1時間の時差があります。
現地時間で午後3時過ぎでした。
日本を出る時、成田から香港までと香港からカトマンズまでのチケットを
渡されました。
カトマンズまでのチケットには座席は指定されていましたが、ゲートは
確認してください。とのことでした。



電光掲示板でゲートを確認し、とりあえずゲートまで行きました。
47番ゲートで中国語の表示がしてありました。
出発まで3時間あります。
外に出られれば何ヶ所か観光できる時間です。



この表示板はよくみていると中国語と英語が交互に変わります。
それぞれ便名の呼び方も違うようです。
ゲートを確認したらしばらく空港内を散歩してみることにしました。




空港内の移動には中央に動く歩道がありました。
足元にこんな注意書きがあります。
「子供と年配者は注意してください」ということのようです。
日本でも年配者を「高齢者」などと呼ばず「長者」と表現したほうが
よいのではないかと思いました。
日本で「長者」というと「所得が多い人」という意味ですね。




なかなか立派な空港です。
成田と同じく出発ゲートと到着ゲートは階数で分けられていました。
この日はクリスマスイヴです。
大きな金色のクリスマスツリーが飾られていました。



窓の外をみると日が沈むところでし
異国でみる夕陽には何故か哀愁を感じます。
ここからいろんな国に飛び立つようでした。





これからカトマンズまで乗る飛行機です。
香港からカトマンズまでは約5時間のフライトです。
通路を挟んで片側3列の座席配列でした。



搭乗口にある表示です。
成田で貰った案内には「KA102」便とありました。
ここでは「CX6704」便と表示されています。
便名だけだと間違えそうです。
いよいよカトマンズに向けて飛び立ちます。

ネパール・ヒマラヤトレッキング(その1)

2009-01-02 | 海外の旅
12月24日から31日までネパールのヒマラヤトレッキングに行ってきました。

荷物

いつも海外に行く時はこのザック1つで出掛けます。
今回は道中が長くなるので、登山靴と防寒具、念のためストックを
ダッフルバッグに入れました。
これは機内に持ち込めないので、預けます。
重さはどちらも5キロでした。
日本の山に登るより軽かったです。
液体物(アルコール類や水)がないからのようです。



成田空港には予定よりかなり早く着きました。
今回の参加者は女性1人を含めて3名です。
空港内になるカウンターでビザを取るために預けておいたパスポートと
航空券を受け取り、航空会社の窓口に行って搭乗券を受け取りました。
今回は香港経由でカトマンズに入ります。
香港まではこのキャセイパシフィック航空です。



比較的空いていて希望した右の窓側が取れました。
飛行ルートは分かりませんが、うまくすれば富士山が見えるかも
知れないと思ったからです。
地上には雲がありましたが、雲の上は晴れていました。



しばらくすると富士山がみえました。
富士山は上空からみても素晴らしい山です。
ぽっかりと開いた噴火口がよく見えます。
左には登山道がジグザグ模様を描いています。




少しズームにしてみました。
こんなにきれいに見えたのは久し振りです。
雪がだいぶ多くなったようです。
しばらくは肉眼でも楽しみました。




富士山が過ぎると南アルプスの山々が見えてきました。
上のほうから甲斐駒、北岳、間の岳から荒川三山あたりまで
よく見えます。
すっかり冬支度をしていました。




北のほうをズームしてみました。
上から甲斐駒、その下の高い山が北岳から続く白峰三山、
左は仙丈岳のようです。
素晴らしい眺めです。


更に奥に雪を被った山々がみえました。
遠過ぎてハッキリしませんが、八ヶ岳のようでした。
やはり雪で真っ白でした。


しばらくすると琵琶湖がみえてきました。
日本一の湖です。
手前に橋がみえますが、琵琶湖大橋のようです。
かなり遠くでしたが、識別できました。




大阪湾です。
川は淀川でしょうか。
湾の中はモザイクのようです。
クリスマスで街は賑わっていることでしょう。



関西空港がよく見えます。
海を埋め立てて造られた空港です。
まだ利用したことはありませんが、いつかここから
飛び立ってみたいです。




大阪湾から四国をかすめるように飛んでいるようです。
飛行場がみえます。
徳島空港でしょうか。
陸地に雲がないと地上の様子が楽しめます。
窓側でないと楽しめません。
少しずつ陸地から離れて行きました。


新年

2009-01-01 | 海外の旅
新年明けましておめでとうございます。

ネパール・ヒマラヤトレッキングから無事帰国いたしました。
本年もよろしくお願い申しあげます。



標高2725m、タダパニからのご来光です。
真っ赤な太陽が静かに上ってきました。
異国で眺めるご来光も厳かな雰囲気がありました。
気温はマイナス2℃で氷が張っていました。



左がアンナプルナ南峰(標高7219m)、右がヒウンチュリ(標高6442m)
です。
朝日があたって赤く輝いていました。
ネパールのヒマラヤは素晴らしいところでした。
詳しくはこのあと少しずつご紹介いたします。