山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

中山道(最終回-1)

2010-12-10 | 中山道
大津駅

11月26日、大津駅から京都三条大橋まで
歩いて中山道の打ち上げをしてきました。
実際には大津~三条大橋間は東海道と重複しています。

大津駅の上には紫式部の絵が描かれています。
石山寺で紫式部が源氏物語を書いたそうです。

大津宿

大津宿はすっかり昔の面影がなくなっています。
10年前に東海道を歩き、ここも歩いたハズですが、
その時から比べても建物が変わっていました。


京阪電鉄

目の前を電車が通過して行きました。
京阪電鉄の電車です。
これに乗れば京都まですぐ行けるようです。
我々は真っすぐ歩きます。


蝉丸神社下社

この神社は踏み切りを渡って入ります。
踏み切りの手前に石灯籠があります。
まるで神社の境内を電車が走っているような感じでした。


街道

しばらくは緩やかな上りが続きます。
右は国道1号線ですが、交通量は多いようです。
バイクがけたたましい音をたてて通り過ぎて
行きました。


逢坂山関跡

ここは東海道、東山道、北陸道の3つの道路が集中する
交通の要になっていたようです。
「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」
という蝉丸が歌った百人一首の句で有名です。


モミジの紅葉

モミジが真っ赤に紅葉しています。
この先に「走り井餅」を作っている家があります。
湧き出る清水で作った餅だそうです。


イチョウの黄葉

大きなイチョウの黄葉です。
石段が見えますが、ここを上れば蝉丸神社の分社が
あるようです。

逢坂の関の句

陸橋を渡って線路を越えます。
ここは水がよいのか「うなぎ屋」さんも多かったです。
手前に「逢坂の関」の句が書かれた看板が立っていました。


荷車の輪

それとなく荷車の輪が置かれていました。
昔は「大八車」が荷物の運搬に大活躍していたようです。
その後、リヤカーででてきて衰退してしまいました。
手前の石は車石と呼ばれています。
牛に引かれた荷車がこの窪みの間を通りました。
京都の街にも残っているようです。



中山道(20)

2010-11-30 | 中山道
中山道、26日に大津から京都三条大橋まで歩いて完歩しました。

中山道は草津で終点ですが、草津から京都までは東海道です。

この区間は東海道の時にも歩いています。

4年間、延べ日数35日間かかりました。

最終回はまだ整理できていません。

その前に歩いたコースをご紹介します。

デジブックにしましたので、お時間のある時にご覧ください。




清水寺の紅葉
26日の朝、京都駅から歩いて行ってきました。
紅葉は丁度よかったようです。
朝早くから修学旅行生や観光客がたくさんきていました。



イロハモミジです。
真っ赤に燃えていました。


朝日があたると色も鮮やかです。
息を飲むような美しさでした。



有名な清水の舞台です。
たくさんの観光客がいました。
まだ楽しめるかも知れません。
夜はライトアップされるようです。
夜遅くまで駅前のバス乗り場は長蛇の列でした。




中山道(18-最終回)

2010-05-28 | 中山道
中山道、18回目の最終回です。

キンギョソウ

柏原宿を歩いています。
右の一角にお堂がありました。
すぐ近くにキンギョソウがきれいに咲いています。
花が金魚によく似ているので、この名があります。


伊吹艾(もぐさ)

古い看板が掲げられている家がありました。
「伊吹艾(もぐさ)」と書いてあります。
このあたりは「艾(もぐさ)」の生産で有名だそうです。
艾(もぐさ)はヨモギを乾燥させてその繊維から作られ、
お灸として使われます。


大きなお多福さん

スダレの中を覗いてみました。
誰もいません。
古い看板の奥に大きな「お多福さん」が座っています。
ガラスが波打ちガラスになっていました。
「撮影禁止」のマークがあったのは写真をみてから
気づきました。
この大きなお多福さんは有名なものだそうです。


柏原宿

柏原宿の中です。
休日だというのに人がまったくいません。
子供の声も聞こえませんでした。
みんなどこにいるのでしょうか?

田園風景

柏原宿を過ぎると広々とした田園風景が広がっています。
ここでも田植えの真っ最中のようでした。
山の新緑がきれいでした。

醒井宿

いよいよ醒井(さめがい)宿に入ります。
ここにも浮世絵のプレートがありました。
江戸から数えて61番目の宿場です。


エニシダ

エニシダがきれいに咲いていました。
エニシダはマメ科の植物です。
昔は黄色だけの花でしたが、最近は花の中にオレンジ色が
ある種類が多いようです。


清流

歩いている右手に清流が流れています。
ここには湧き水も多いようです。
水の中に見えるのは「梅花藻(バイカモ)」です。
冷たくてきれいな水の中にだけ生きて行ける水生植物です。

バイカモ

バイカモはその名の通り梅の花に似た白い花を咲かせます。
点々と白く見えるのが花です。
まだ開花には少し早いようです。

バイカモの花

探していたら、1ヶ所だけきれいに咲いているところが
ありました。
これがバイカモの花です。
速い流れの中から顔を出していました。
ここには「ハリヨ」という魚が棲んでいます。
体に針を持った魚で、やはり清流にしか棲めないそうです。
このバイカモの中に巣を作って小さな生物を食べて生活して
いるそうです。
清流の中に何匹か泳いでいました。

清流に沿った道

清流に沿って道が続いています。
あずきさんもこの「バイカモ」を楽しみにしていたようです。
咲いている花を見つけると熱心にカメラを向けていました。
旅行会社によるツアーもたくさんあるようです。
にぎやかな団体に一組会いました。

番場宿

番場宿につきました。
今回はここで解散です。
関ヶ原の宿を出発してから約18キロ、6時間30分の
歩きでした。
次回はここから歩きます。

バス停

ここから米原にでるバスがあります。
ところが1時間に1本しかありません。
次のバスを待つには中途半端な時間でした。
近くの家の人に頼んでタクシーを呼んで貰いました。
3台頼んだそうですが、人数は14名です。
私とあずきさんは歩くことにしました。
米原駅まで約3キロ、30分で歩きました。
途中でタクシーに抜かれましたが、駅でみんなと
一緒になりました。
天気に恵まれて気持よい街道歩きでした。
次回は秋口になる予定です。


中山道(18-5)

2010-05-27 | 中山道
ヤマフジ

新緑の中にヤマフジがきれいでした。
ヤマフジは他の木に巻きつきながら成長します。
この時期、よく目立つ花です。


今須宿

今須宿は中山道16宿の最も西にある宿場です。
ここには一里塚が残っていました。


クレソン

川の中に白い花がたくさん咲いています。
クレソンの花です。
クレソンはミズガラシ、オランダガラシなどと呼ばれ、
ヨーロッパが原産地です。
ステーキなどの付け合せとして利用されています。
野生化してこのように群生しています。

問屋場

問屋場です。
宿場で人馬の調達や荷物の運搬の取次ぎをなどを
行なったそうです。
1ヶ所とは限らず、幾つかの問屋場がある宿場も
あるそうです。

永楽通宝の瓦

「永楽通宝」と書かれた丸瓦があります。
当時の面影を残す貴重なものです。
宿場の繁栄を願って作られたようです。

岐阜県と滋賀県の国境

岐阜県と滋賀県の国境です。
この溝を境にして美濃の国から近江の国に入ります。
4年目にしてやっとここまできました。
何となく感慨深いものがありました。

寝物語の碑

国境のすぐ近くにこんな碑がありました。
ここにはたくさんの旅籠があり、両国の人が壁越しに
寝物語をしたそうです。


ベンガラを塗った家

この地方には赤い塗料を塗った家が多くありました。
塗料は「ベンガラ」と呼ばれています。
これを塗ることによって雪の付着を防ぐそうです。
また木材の防虫防腐にも役立つそうです。
ベンガラとは鉄分を含む黄土に柿渋や松脂などを混ぜて
作られるそうです。
夏の白馬大雪渓などでもこれを使って描かれた登山ルートを
見ることができます。


楓並木

右側に大きなカエデの並木があります。
ここには「楓並木」と書かれた標識がありました。
秋の紅葉もきれいだと思います。


ヤマフジ

カエデの奥にヤマフジが咲いていました。
緑の中でよく目立つ花です。
ヤマフジのツルは丈夫なので、昔は縄の代わりに使いました。
山から採ってくるのが、子供の頃の仕事でした。



東海道本線

東海道本線を渡ります。
まもなく柏原宿に差し掛かります。

柏原宿の入り口

柏原宿の入り口にある石碑です。
石碑には浮世絵のプレートが埋め込まれています。
これまでにも何ヶ所かありました。


伊吹山

伊吹山がかなり大きくなってきました。
左側の斜面はスキー場だそうです。
電線が邪魔でした。

柏原宿

柏原宿です。
すっかりきれいになって昔の面影はありません。
道路の真ん中に融雪パイプが埋められているようです。
雪国ではよく見られます。
雪が降ると溝の穴から噴水のように水がでて雪を解かします。
ここも冬は雪が深いようです。

中山道(18-4)

2010-05-26 | 中山道
野上の松並木

やがて松並木がみえてきました。
岐阜県ないではここにしか残っていない
貴重な松並木だそうです。
新しい松も植えられていました。

関ヶ原宿

いよいよ関ヶ原宿に入ります。
関ヶ原は今も昔も交通の要所になっています。

徳川家康最初陣の地

右奥にのぼり旗が立っていました。
徳川家康最初陣の地と書いてあります。
桃配山ともいわれ、ここで桃を配って陣をあげたそうです。
かなり高いところにありました。

関ヶ原宿

関ヶ原宿の中に入りました。
宿場はきれいに整備され、昔の面影はありません。
太陽がだいぶ西に傾いていました。

旅籠 枡屋

この日の宿に到着しました。
美江寺から約20キロ、6時間半の歩きでした。
創業永長元年 枡屋(ますや)です。
創業900年の旅籠だそうです。
この日は我々13名の貸切でした。

中庭

立派な中庭がありました。
女将さんが1人で働いていました。
女性陣が急遽お手伝いです。
山の女性はこんな時はなかなか気が利きます。
夕食はブタ鍋、朝食もまずまずでした。

ブログ仲間

一夜明けました。
素晴らしい晴天です。
今回もブログで知り合った「あずきさん」が名古屋から
駆けつけてくれました。
前回はご主人と一緒でしたが、今回は1人での参加です。
右が「あずきさん」です。


不破の関

ここは不破の関跡です。
壬申の乱の時、天武天皇がおいた破ることができない関というので、
この名があります。
ここは東海道に対して東山道とも呼ばれています。


分岐

分岐があります。
ここは標識どおり左に進みました。


東海道新幹線

東海道新幹線のガードを潜ります。
この先には東海道線も通っています。
トンネルに入って行くようです。

常盤御前のお墓

常盤御前のお墓がありました。
ここで小休止です。
常盤御前は牛若丸(源義経)の母として」知られています。
鞍馬山から牛若丸が東国に走ったと聞いて心配になり、
その後を追ったそうですが、この地で土賊に襲われて命を
絶ったそうです。
右奥にお墓がありました。


のどかな田んぼ風景

田んぼの中に人がいます。
田植えのあと、機械で植えた苗が倒れたりしているのを
直しているようです。
植えられたばかりの田んぼに暖かい日差しが降り注いでいました。


今日はこれから日光の中禅寺湖の湖畔を歩きに行きます。
天気が心配ですが、何とかなると思います。


中山道(18-3)

2010-05-25 | 中山道

青墓宿

赤坂宿を過ぎると広々とした風景が続きます。
途中にこんな標識がありました。
青墓宿とありますが、繋ぎの宿場だったようです。
周りに家はありませんでした。
はるか彼方に見える山は伊吹山です。

美濃国分寺

大きな看板が建っていました。
ここは昔、国分寺があった場所です。
とりあえずもっと近くまで行ってみます。


国分寺跡

内部はかなり広々としていました。
建物は何もありません。
案内書では柱の跡などがあるようですが、
入り口まで先を急ぎました。

麦畑

麦が青々として風に揺れていました。
ヒゲが短いので、小麦のようです。
アングルを低くして撮ってみました。
この麦わらでホタルを入れるカゴを作りました。
遠い子供の頃の思い出が浮かんできました。

田植え機

丁度、田植えの最中でした。
今は機械で植えるようです。
珍しいのか、みんな立ち止まってみていました。

田植え風景

すぐ近くで機械に乗って田植えをしています。
昔から比べれば随分楽になったようです。
遠くに茶色く見える山は金生山です。
石灰岩を採掘している山です。

広々とした田んぼ

田植えが終わった田んぼをよいものです。
都会ではなかなか見られない風景です。
夜になるとカエルの声が聴こえてくることでしょう。
ぽっかり浮かんだ白い雲が印象的でした。


追分

やがて「追分」に着きました。
ここは美濃路(大垣方面)と中山道の分岐です。
我々は左に進みます。


相川

相川橋を渡ります。
昔は橋がなく人足渡しの川だったそうです。
今では立派な橋がかかっています。


伊吹山

伊吹山がかなり大きくなってきました。
車で登れる山だそうです。
花の名山として知られています。
どっしりとした姿のよい山です。

垂井宿

いよいよ垂井宿に入ります。
垂井宿は江戸から数えて58番目の宿場です。
垂井市の花はツバキだそうです。

東海道本線

東海道本線を渡ります。
線路がまっすぐ続いています。
この奥に垂井駅があります。

垂井の一里塚

垂井の一里塚です。
この一里塚は中山道全線の中で2ヶ所しかない「国の史蹟」に
指定されている一里塚だそうです。
立派な標識が建っていました。

伊富岐神社の大鳥居

「伊富岐神社」とかかれた大きな鳥居がありました。
この奥に神社があるようです。
伊吹山もこの神社からつけられたようです。
字が違いますが、「いぶき」と読めます。
まもなく関ヶ原です。

中山道(18-2)

2010-05-24 | 中山道
鷺田橋

鷺田橋を渡ります。
夏を思わせるような雲が浮かんでいました。


揖斐川

下を流れるのは「揖斐(いび)川」です。
静かな流れでした。


長屋門

立派な長屋門がありました。
ここは呂久(ろく)というところです。
昔の揖斐川はこの集落の西側を流れていたのですが、
大正時代の河川改修のため、現在の流れになったそうです。

小簾紅園

小簾紅園(おずこうえん)です。
皇女和宮が降嫁の折り、立ち寄ったところだそうです。
きれいに整備された公園でした。


皇女和宮の和歌

奥にはこんな石碑が建っていました。
皇女和宮の和歌が刻まれています。
「おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の
 人なつかしく こがれこそすれ」
ここのモミジがあまりにもきれいだったので詠まれたそうです。


道標

公園をでてしばらく歩くとこんな道標がありました。
「左木曽路」は読めますが、右はよくわかりません。
中山道は右の方でした。

タツナミソウ

草むらから白い花が顔を出していました。
タツナミソウのようです。
山で咲くタツナミソウは濃いムラサキ色をしています。
これは真っ白でしたから、園芸種が逃げ出してきたのかも
知れません。


近鉄養老線

踏み切りを渡ります。
この鉄道は近鉄養老線です。
奥にみえる駅は「東赤坂駅」です。
本数は少ないのでしょうか?
ホームに人が見えませんでした。

標識

街道にはこのような標識がところどころに立っています。
道路が整備されていて、昔の面影はありません。
人も歩いていませんでした。

杭瀬川

杭瀬川を渡ります。
ここを過ぎれば「赤坂宿」のようです。
きれいな水が流れていました。

赤坂宿

いよいよ赤坂宿です。
家も改築されて昔の姿はありません。
道の雰囲気から何となく宿場という感じが
ありました。

赤坂港跡

ここは昔「港」として栄えたところです。
「赤坂港跡」とありました。
ここにはベンチもあります。
ここで「ランチ」にしました。


本陣跡

再び歩き出します。
しばらく行くと「本陣跡」がありました。
ここは公園としてきれいに整備されていました。


赤坂宿

少し宿場らしい雰囲気のある建物がありました。
宿場の出入り口は道路が曲がっています。
賊が入った時、逃げにくくしてあるそうです。
それにしても人も車もいません。
みんなどこで何をしているのか、不思議でした。
このあたりで美江寺駅を出発してから約3時間の
歩きでした。
まだまだ歩きます。






中山道(18-1)

2010-05-23 | 中山道
電車

中山道も回を重ねて18回目になります。
14日~15日と歩いてきました。
前回(4月)に美江寺駅で終わりました。
今回はここがスタートです。
大垣から乗ってきた樽見鉄道の電車です。
下りたのは我々だけでした。

美江寺駅

この駅は無人駅です。
電車もワンマンカーで運転手が車掌の役目もします。
4月の時には八重桜が満開でした。
もうすっかり葉っぱがでていました。

宿場まつり

日曜日に宿場まつりが行なわれるようです。
どんな「まつり」か興味がありましたが、2日後では
待っている訳には行きません。


のぼり旗

こんな「のぼり旗」が宿場のあちこちに掲げられています。
風に揺れてまつりムードを盛り上げています。
天気はよく晴れていました。

美江寺観音

前回もここを訪ねました。
美江寺観音は天台宗のお寺で、多発していた水害から守って
貰おうと建てられたお堂だそうです。


看板

見覚えのある看板です。
美江寺宿は江戸から数えて56番目の宿場です。
4月に満開だった八重桜はすっかり葉桜になっていました。


富有柿

宿場を過ぎると「柿の木」が目立つようになりました。
このあたりは「富有(ふゆ)柿」の産地だそうです。
電車でくる時にも沿線にたくさんの「柿畑」がありました。
秋には美味しい柿が実りようです。


犀川と柳

犀川です。
柳の緑がきれいでした。


田園風景

広々とした田園風景です。
白い雲がぽっかり浮かんでいます。
のどかな春を感じさせてくれました。


中山道の案内板

しばらくはこのような道を歩きます。
このような看板がところどころに立っています。
何故かどれも高い位置にありました。

キツネアザミ

道端に咲いていました。
風に大きく揺れてなかなか止まってくれません。
アザミに似ていますが、アザミのようにトゲがありません。
いろんなところで見かけます。
昔はこの葉っぱを餅に入れて食べたそうです。


ノアザミ

春早くから野原などに咲いています。
花の下を触ると粘りがあります。
かなり長い間咲いています。
これから高原などでも楽しめます。
時々吹く風が顔にあたって気持よい日でした。

中山道(17-最終回)

2010-05-07 | 中山道
鏡島地区

ここは鏡島(かがしま)地区というところです。
この先の長良川の鏡島湊で栄えたところだそうですが、
現在はその面影があまりありません。
道路も大きく拡張されていました。


ベニバナトキワマンサク

道の脇に咲いていました。
アカバナトキワマンサクともいわれます。
トキワマンサクは白い花ですが、これは鮮やかな紅色を
しています。
最近、生垣などにもたくさん使われているようです。


長良川

長良川です。
昔はこの奥に「渡し」があったようです。
空に浮かぶ雲がすっかり春を感じさせて
くれました。


岐阜の街と岐阜城

少し右にカメラを振ってみました。
高いビルが見えるあたりがJR岐阜駅です。
左の小高い山が金華山(稲葉山)です。
頂上に岐阜城があります。
10年くらい前に能郷白山に登りにきた時、立ち寄りましたが
改修工事をしていました。
もうすっかりきれいになったことと思います。


マメ科の植物

橋を渡った土手で3種類のマメ科の植物をみつけました。
右からカラスノエンドウ、スズメノエンドウ、カスマグサです。
カラスノエンドウはどこにでもあります。
真ん中のスズメノエンドウは花が小さくて房状についています。
一番左のカスマグサは花が枝先に必ず2つ咲きます。
カラスとスズメノの中間なので、「カスマグサ」という名前がつきました。
カラスとスズメはよくみかけますが、カスマは少ないようです。

渡ってきた橋

渡ってきた橋です。
ここから土手に沿ってしばらく歩きます。
この先に「河渡の渡し」があるようです。


河渡宿の入り口

土手を下りたところにこんな標識が立っていました。
ここから先が河渡(ごうど)宿のようです。
昔は長良川の渡しで栄えた宿場です。

記念碑

河渡宿は長良川の氾濫によって苦しめられました。
その後、宿場全体を地上げ工事を行なったそうです。
その工事の記念碑が宿場に入り口にありました。
ここは昔一里塚があった場所のようです。


菜の花

河渡宿には往年を忍ばせるような建物は残って
いませんでした。
しばらくは田園風景の中を歩きます。
道路の脇の菜の花がきれいでした。


美江寺駅

線路の奥に駅がみえてきました。
美江寺駅です。
今回はここが終点です。
電車の時間まで少しあります。
もう少し先まで歩いてみました。

八重桜

少し先に美江寺観音がありました。
八重桜が咲き出しています。
八重桜は山桜に対して里桜とも呼ばれます。
「美江寺宿」という案内板との対比がよかったです。

大垣行きの電車

駅は無人駅です。
しばらく待っていると電車が入ってきました。
この鉄道は樽見鉄道といって昔はJRだったようですが、
現在は第三セクターで運営しているそうです。
反対側に行けば「根尾谷の淡墨桜」を見に行くことができます。
我々は大垣から名古屋に出て解散しました。
今回は初日が約16キロ、2日目が約20キロの歩きでした。

次回は今月14日~15日と決定しました。
14日、9時30分この駅に集合してこの先を歩く予定です。



◎付 録

名古屋駅でフラワーガーデンのライトアップをやっていました。
ここは昨年暮れにイルミネーションをやっていた場所です。
お時間がある時にご覧ください。





明日(8日)~明後日(9日)と北アルプスの燕岳に登る予定です。
明日の朝が早いので、午後から松本に行って泊まります。
晴天を期待して行ってきます。



中山道(17-5)

2010-05-06 | 中山道
荒田川

荒田川を渡ります。
水に映る雲が春を感じさせてくれます。
まさに「水ぬるむ春」という感じでした。


標識

こんな標識がありました。
道路の拡張工事をしてこれだけ残したようです。
「右 岐阜」に向かって進みます。

御鮨街道

道路の側溝にこんなプレートが埋められていました。
鯖街道というのは聞いたことがありますが、こんな名前は
初めてです。
たまたま近くの人に聞いてみたら、「昔、御鮨を運んだ道」だそうです。
いろんな街道があるようです。

東番所跡

これもうっかりすると見過ごしてしまいそうなところです。
番所があったようです。
街道も姿を消してしまったところもたくさんあります。


専福寺

立派なお寺です。
中に大きなイチョウの木がありました。
そのまま素通りしました。

大手門跡

遠くの歩道橋の下に石碑が立っていました。
ここには大手門があったようです。
この近くに加納城があったようですが、現在は
公園になっているようです。

当分本陣跡

ここも「跡」だけです。
明治天皇も休まれたようです。
建物の面影はありませんでした。


天満宮

ここで小休止です。
街道歩きで困るのは「トイレ」です。
コンビニや公民館などで借りることもありますが、
公園や神社に入って休憩し、そこにあれば借ります。
ここにも立派なトイレがありました。


淡墨桜(うすずみざくら)

境内にありました。
根尾谷から分家してきたようです。
樹齢50年でこの大きさです。
小さな花のサクラです。
もう花は終わっていました。

JR岐阜駅

大きな通りにでました。
突き当りがJR岐阜駅です。
昔、ここにきたことがありますが、駅前が立派になって
いたのには驚きました。
駅には寄らずまっすぐ進みます。


東海道本線

上を走っているのは東海道本線です。
東京から新幹線できた人は名古屋で乗り換え岐阜経由で
美濃太田まできたようです。
そのほうが運賃が安いそうです。
私は名古屋から多治見経由で美濃太田に来ました。
集合場所と解散場所は決まっていますが、そこまでの
交通手段は自由です。


3つの神社

岐阜駅を過ぎてしばらくするとこんな神社がありました。
この奥には3つの神社が並んでいるようです。
鳥居は1つで共有のようです。
1度に3ヶ所がお参りできるとは便利ですね。
「1粒で3度美味しい」というキャラメルを思い出しました。


◎付 録

ヒメアリアケカズラ

中国の海南島で自生しているアリアケカズラをみたことが
あります。
甘い香りがする花です。
これは小さいので「ヒメ」がついたようです。
たくさん咲いていました。

イランイランの花

変わった姿の花です。
この花を蒸留して得られた精油(イランイランオイル)を
高級香水の原料とするそうです。
イランイランとはタガログ語で「花の中の花」という意味だ
そうです。
タイやフィリピンなどでは公園などに植えられているようです。

ブルーポピー

ヒマラヤの青いケシとして知られています。
黄色いケシは中国の黄龍でみたことがあります。
ヒマラヤの標高が3000m以上のところで咲く花です。
3月に訪れたブータンのチェレ峠でも7月になれば咲くと
いっていました。
中国の雲南省の山でも咲くようです。
一般にはブルーポピーと呼んでいますが、正式名は
メコノプシスと呼んでいます。
日本でも見られるところがたくさんあるようです。

今日の3点はいずれも温室育ちでした。
自然界の花とはどこか違います。
やはり自然の中で咲いている姿をみたいです。





中山道(17-4)

2010-05-05 | 中山道
光回線が切断し、今朝更新できませんでした。
午後5時50分に工事が終わり、復旧しました。
遅くなりましたが、続けます。


日吉神社

日吉神社と書いてありました。
赤い鳥居が印象的でした。

古い標識

ここを右に曲がろうとしたら、おばさんが走ってきて「いつもこの標識を
見過ごして通るようなので、ぜひ見て行ってください」と教えてくれました。
確かに古い標識のようです。
真ん中から折れたのと繋いでいるようでした。


東海北陸自動車道

上を走っている道路は「東海北陸自動車道」です。
のどかな田園風景が続いていました。
線路はJR高山本線です。



境川
境川のサクラも終わっていました。
丁度、左から電車がきました。
あずきさんは先頭車両をうまくキャッチしたようです。


大きなしめ縄

大きなしめ縄がありました。
「手力雄神社」の鳥居です。
みんな不思議そうな顔をして見上げていました。


カリンの花

カリンの花です。
道端に咲いていました。
小さな花なので、見過ごしそうです。
淡いピンクをしていました。


あずきさん

あずきさんとその相棒さんです。
会ったのは2度目ですが、一緒に歩くのは初めてです。
山には車で行くことが多いそうです。
しっかりした歩きをしていました。


茶所駅

名鉄名古屋本線の茶所(ちゃじょ)という駅の横を
通過しました。
この先から加納宿に入ります。

標識

加納宿入り口に立っていた標識です。
まだ新しいものでした。


説明文

加納宿についていろいろ説明が書いてあります。
読んでいる時間がないので、とりあえず撮りました。
横のシダレ桜が満開の頃はきれいだと思います。



◎付 録

イカリソウ

先日、高尾山でも見かけました。
イカリのような姿をしています。
葉っぱが3枚で枝が3本なので、「三枝九葉草」ともいいます。
UFOのような姿がおもしろい花です。

トキワイカリソウ

イカリソウのシロバナをこのように呼んでいます。
透き通るような白さがきれいでした。

バイカイカリソウ

葉っぱはイカリソウに似ていますが、花はウメの花です。
小さい花なので、風に揺れてなかなかうまく撮れませんでした。
小さくてもかわいい花です。

今日は電話も使えませんでした。
光回線の盲点をみたような1日でした。








中山道(17-3)

2010-05-04 | 中山道
大安寺大橋

大安寺川を渡ります。
ヤナギの芽吹きがきれいでした。
この頃から雨がポツポツ落ちてきました。
この先が思いやられます。


鵜沼宿

鵜沼宿に入りました。
江戸から数えて52番目の宿場です。
街道はすっかり整備されたようです。
左側に昔の面影を残す建物がありました。

標識

こんな標識が立っていました。
後ろの建物は公民館のようです。
利用者がいないのか、閉まっていました。

空安寺

立派なお寺です。
門の中は鍵手になっています。
由緒あるお寺のようでした。

国道21号線

雨が本降りになってきました。
左は国道21号線です。
しばらくは淡々とした道が続きます。


JR各務ヶ原駅

右手に駅が見えました。
JR高山本線の駅です。
ここは各務原(かかみがはら)市です。
最初はなかなか読めませんでした。
駅名には各務ヶ原と「ヶ」が入っていました。
雨が激しくなってきたので、この日は少し早かった
のですが、宿に入ることにしました。

宿泊したホテル

一夜明けました。
昨日の雨はすっかり止んでよい天気です。
宿泊したビジネスホテルです。
居酒屋もあり、なかなかよい宿でした。
朝、散歩しましたが周囲は「川崎重工」の工場になっていて、
何も見るものはありませんでした。

三柿野駅

ホテルのすぐ隣が駅になっています。
名鉄各務原線の三柿野(みかきの)駅です。
ホテルのパンフレットには「駅から1分」とありましたが、
歩いて10秒もかかりませんでした。


六軒一里塚

スタートしてすぐに「一里塚」がありました。
もう「塚」はありません。
後ろに貼ってある自治会の「標語」がいいです。
私の自治会も今年の目標に「挨拶」を掲げています。
大切なことだと思います。

飛び入り参加

この日は仲間が増えました。
ブログで知り合った「あずき」さんが、名古屋から駆けつけて
くれました。
昨年の暮れに名古屋駅で初めてお会いしました。
彼女はご主人と一緒に山登りもされています。
この日は手作りパンを13名全員に2個ずつ頂きました。
みんな大喜びでした。

2日に富士山五合目にいた時「大山(だいせん)に登っています!」
とメールが届きました。
大山もよかったようです。


各務原市役所

各務原(かかみがはら)市役所です。
なかなか立派な市役所でした。
この日は土曜日だったので、お休みのようです。
この前で休息させて貰いました。


新境川

新境川です。
サクラは残念ながら終わっています。
左側だけ名残のサクラが咲いていました。
今年はサクラが咲き出してからも寒い日が続きました。
お陰で長い間「お花見」が楽しめました。

連休で今日も交通渋滞が激しいようです。
くれぐれも安全運転をお願いします。


◎付 録
★ボタン特集



各地からボタンの便りが届いています。
最近はいろんな色がありますが、ボタンといえば
この色が代表のようです。
風に揺れながら微笑んでいました。




横顔を撮ってみました。
午後の日差しを浴びて輝いていました。
大きな花なので、なかなか撮るのが難しいです。



真っ白というよりはややピンク色をした花です。
昔から「立てばシャクヤク、座ればボタン」と美人に例えられて
います。
いつか、「歩く姿」を見たいものです。(笑)










中山道(17-2)

2010-05-03 | 中山道
木曽川

ここを舟で下ります。
ところどころに大きな流れがあり、スリル満点です。
山の新緑も始まっていました。

JR高山線

これから岩屋観音に向かいます。
右を走っているのはJR高山本線です。
時々列車が走っているのを見ることができます。

岩屋観音

建物の中に祠があります。
なかなか立派な観音様です。
これからの旅の無事を祈りました。


トンネル

岩屋観音を過ぎるとトンネルがあります。
この上をJR高山線が走っています。
ここから先は山道に入って行きます。


うとう峠の入り口

こんな標識がありました。
この先が「うとう峠」のようです。
少しアスファルトの道から開放されるようです。


峠への道

緩やかな上りが続きます。
今回の参加者は13名です。
このあたりまでくると顔ぶれはほとんど固定化されています。
右を歩いている女性は今年傘寿だそうです。
10年前に東海道も一緒に完歩しました。
普段からプールなどで体を鍛えているそうです。
彼女のペースで歩きます。


坂道

うとう峠の途中で「ランチ」にしました。
ウグイスの声が心地よく響いていました。
更に苔むした坂道を進みます。
雨の日は滑りそうです。

コバノミツバツツジ

ミツバツツジがきれいでした。
葉っぱが小さいので「コバノミツバツツジ」と呼ぶそうです。
このあたり一帯は「うぬまの森」として整備されているようです。

一里塚

一里塚がありました。
よくみないと見過ごしてしまいそうな一里塚です。
昔の旅人はここで足を休めました。
旅歩きの目標にもなっています。


標識

こんな標識もところどころにあります。
地図を見ながら歩いていますが、こんな標識があると
助かります。
鵜沼宿はもうすぐのようです。

ニガイチゴ

ニガイチゴの花が咲いていました。
このイチゴは食べられますが、種を噛むと苦いので
このような名前がついています。
葉っぱの形を覚えておいてください。


石碑

うとう峠を下りたところにありました。
これは京都のほうからきた時の目印のようです。
鵜沼宿の出口になります。
これから鵜沼宿に入って行きます。

ゴールデンウィークの真ん中です。
高速道路は上りも下りも大渋滞するようです。
それぞれの休暇を楽しんでください。

中山道(17-1)

2010-05-02 | 中山道
中山道も数えて17回目になります。
4月16日~17日と歩いてきました。

美濃太田駅

昨年の暮れの美濃太田まで歩いて解散しました。
今回はここがスタートです。
9:30に13名が集合しました。
天気は曇り空でした。


太田宿

駅からしばらく歩くと中山道にでます。
建物に幾らか昔の面影が残っていました。


脇本陣

脇本陣林屋住宅です。
1769年に建てられたもので、両脇に立派な「うだつ」
が上がり、江戸時代の町屋の形態をそのまま伝えています。
「うだつ」は防火壁も兼ねているようです。


木曽川

木曽川に出ました。
川は左から右に流れています。
しばらくはこの堤防の上を歩きます。



日本ライン

堤防の上には立派な遊歩道がありました。
このあたりは「日本ライン」といって舟下りができる
ところです。
昔、乗ったことがありますが、小さな舟でした。
今はどうなんでしょう?


新緑とヤマザクラ

新緑が始まっています。
ヤマザクラがきれいでした。
時々、ウグイスの声も聴こえます。
まだ幼い声でした。




このあたりはかなり急な流れのようです。
岩にいろんな名前がついたいたように記憶しています。
船頭さんの「木曾節」が懐かしいです。

ロマンチック街道

この遊歩道にこんな名前がついています。
全長3450mあるそうです。
勝山入り口までこのまま歩くことにしました。


行幸公園

行幸公園というところに立派な碑が立っていました。
昭和天皇が立ち寄ったところだそうです。
ここで小休止です。
きれいなトイレもありました。

八重桜

八重桜がきれいに咲いていました。
里に咲くのでヤマザクラに対して里桜とも呼ばれます。
また花の姿からボタン桜とも呼ばれるようです。
天気が何となく心配になってきました。



◎付 録


シジミバナ

近くの公園で咲いていました。
ユキヤナギのように大きくシダレています。
花が「シジミ」に似ているのでついた名前です。


ハンカチノキ(1)

この公園には「ハンカチノキ」が2本あります。
そのうちの1本が咲き出していました。


ハンカチノキ(2)

丸い花のすぐ下にあるホウは真っ白になり、それ風に揺れると
ハンカチを振っているように見えます。
まだ咲き出したばかりで葉っぱと同じような色でした。
高い木ですが、望遠で何とかキャッチできました。
もうそろそろ白くなっているかも知れません。


今日はこれからバスで富士山の五合目まで行く予定です。
そこから一合目の富士吉田駅まで歩くプランです。
雪がどのくらいあるかわかりません。
連休中なので道路がかなり渋滞すると思います。
とりあえず行ってきます。




中山道(最終回)

2010-01-11 | 中山道

太田宿

太田宿のところどころにこのような箱型のものが
取り付けられていました。
正面には和歌が書かれています。
少しでも昔の雰囲気をだそうとする演出のようでした。


脇本陣

ここは太田宿の脇本陣の建物です。
両側に立派な「うだつ」が上がっています。
「うだつ」とは建築用語で棟の上に一段高く作られた
壁のことで防火壁の役目もするそうです。
上から押さえつけられて一向に出世できないことを
「うだつがあがらない」といいました。



反対側からの景観です。
現在も人が住んでいて左のほうは見学できませんが、
入り口があり右の建物は中に入って見学できます。
大きな座敷が幾つもありました。
昭和初期に建てられた建物だそうです。

太田宿中山道会館

更に進むと大きな門があります。
太田宿中山道会館とありました。
中に入って見ます。



奥で地元で取れた野菜などを売っていました。
かなり広い場所で、休息もできます。
資料館には入りませんでしたが、みんな野菜を買い求めていました。
値段もかなり安かったです。

ヤドリギ

大きな木が1本あり、丸い玉のようなものがたくさん
くっついています。
ヤドリギという寄生植物です。
山でも時々みかけます。
遠くから見ると鳥の巣のように見えます。
この木は住みやすいのかたくさん寄生していました。




中山道会館をでて駅に向かいます。
もう一度脇本陣を別の角度から眺めました。
立派な「うだつ」があがっています。
この建物全体が重要文化財になっているそうです。




ここは造り酒屋のようです。
大きな建物が両側に建っていました。
2つの建物は渡り廊下で結ばれています。
これも生活の智恵のようです。




美濃太田の中心街です。
まっすぐ進めば駅があります。
街並みも再開発されてすっかりきれいに
なっていました。

美濃太田駅

美濃太田駅です。
昔この駅に降りたことがありますが、小さな駅でした。
すっかり大きな駅に生まれ変わっていました。
今回はここで解散しました。
次回はここに集合してスタートします。
たぶん4月に入ってからになると思います。