山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

三頭山(その2)

2008-11-29 | 奥多摩
シモバシラを特集します。


これは4本の茎が裂けてそこから氷花ができています。
落ち葉も押しのけているようです。
氷の力は強いです。



地中の水分を吸い上げ、地表にでたとたん氷になります。
それがどんどん成長するようです。
それにしても薄い氷の膜は向こうが透けてみえるようでした。



水飴を割り箸につけてクルクル廻すとこのような姿ができます。
また縁日での綿菓子を連想させます。
なかなか足が前に進みません。




触るとすぐに壊れてしまいます。
また気温があがると解けてなくなります。
冷え込んだ朝だけの楽しみです。



緩やかな登りが続きます。
ここから頂上までは40分とありました。
久し振りの快晴です。
シモバシラはこの登山道の両側にありました。





茎の裂け目からできているのがよくわかります。
先端が薄く少しずつ解けかかっているようでした。
氷は風が吹く方向に向かってできるそうです。
きれいな曲線を描いていました。




太陽が当っているところはかなり薄くなっていました。
1時間もしないうちに消えてしまうでしょう。
短い命ですが、充分楽しませて貰えました。



これは土の中から顔を出していた霜柱です。
歩いている登山道にできていました。
踏むとザクザクと音がします。
この日はかなり冷え込んだようです。



このように上に向かって成長するシモバシラもありました。
自由に延びるようです。
これも少しずつ解け出しているようです。





1本の茎から両側に手を広げています。
これはまだ日陰にありました。
遠くから見るとテッシュペーパーを捨てたようにみえます。
人間の手では造れないでしょうね。



いろんな姿に会いました。
今年初めての出会いで充分満足です。
高尾山にも条件が揃えばたくさん氷花が咲くと思います。
頂上までもうすぐのようです。

三頭山(その1)

2008-11-28 | 奥多摩
22日、三頭山(みとうざん)に登ってきました。


今回も山の会のプランです。
集合場所は武蔵五日市駅です。
ここからバスで都民の森まで入ります。
駅の上から富士山が見えました。
窓越しだったので、網入りガラスの針金が薄く入ってしまいました。
数日前より雪の量が多くなったようです。
久し振りの快晴でした。



1時間弱でバスは都民の森に到着しました。
ここには広い駐車場があり、既にたくさんの車がきていました。
車だとまたここに戻ってこなければなりません。
我々は反対側の奥多摩湖のほうに降りる予定です。



駐車場の入口附近にきれいに紅葉したモミジがありました。
朝日に輝いて光っています。
出発まで少し時間があったので、近くに行ってみました。




裏側に廻ると色が鮮やかです。
このあたりでは一番目立っていました。
今年はいろんなところで紅葉をみましたが、
太陽の下でみるのは久し振りだったようです。




都民の森には大きな建物があり、工作室もあります。
子供達にもいろんな体験ができるようになっています。
登山道にはヒノキを細かく刻んだチップが敷いてあります。
フワフワして気持ちよく歩けます。
新しく敷かれたチップがまるで雪が積もったようにみえました。




しばらく登ると展望の良いところにでました。
遠くの山は「鷹ノ巣山」あたりでしょうか。
山の紅葉も進んでいるようです。
朝かなり冷え込んだので、空気が冷たく感じました。


三頭大滝

やがて三頭大滝につきました。
ここには吊り橋があり、正面からこの滝をみることが
できます。
水量が少ないようでした。


シモバシラの氷花

三頭大滝を過ぎてしばらくすると、登山道の脇に
白い物が現れました。
シモバシラの氷花です。
今年初めての対面でした。




高尾山にシモバシラが群生している場所があります。
昨年の暮れに行ってみましたが、空振りでした。
年明けに再度行って何とか出会うことができました。
なかなか見ることができません。





シモバシラの氷花ができる条件には幾つかあります。
地中が0℃以上でほどよい水分があり、地表面が0℃以下でないと
できないそうです。
シモバシラは夏に白い花を咲かせます。
枯れると根っこから水分を吸い上げ、このような芸術品を
作ります。
自然現象ですから同じ物はありません。
まだまだたくさんありました。

景信山(その2)

2008-11-27 | 里山

頂上の脇にはたくさんのベンチがあります。
この日は寒かったせいか、数人いるだけでした。
木の葉っぱが落ちて秋の深まりを感じます。
天気が心配でしたが、何とか持ってくれるようです。




早速餅つきを始めました。
事前に小屋に予約しておけばもち米を蒸してくれます。
また臼と杵を用意してくれます。
14名いましたが、ついた経験のある人は私ともう一人
富山の黒部生まれの人だけでした。
最初は杵でしっかりこねます。
そのあとつくのですが、返すのとつくタイミングが合わないと
たいへんです。



ある程度できてから、希望者について貰いました。
女性は見てるだけで手を出しません。
みなさん都会育ちが多くてダメのようでした。
ついたり、返したり、写真を撮ったり忙しかったです。



出来上がった餅を手でちぎってアンコやダイコンおろしに
絡めます。
男性陣はちぎった端からテーブルに持って行って食べています。
もちろん女性陣も遠慮していません。
ビールを飲みながら、ちぎります。
大きさなど適当です。
つきたての餅は美味しく、2升の餅があっという間に消えました。
少し残ったのは何人かがタッパに詰めて持ち帰りました。



山で餅つきをしたのは初めてでした。
この小屋の周辺にはモミジがたくさんあります。
まだ紅葉には早かったようです。
12月になってからのようでした。



帰りは尾根道を下りました。
途中からガスがでてきてヒノキ林が幻想的な雰囲気に
なってきました。
春にはよくみられますが、この時期としては珍しい
現象です。




向かい側の山が幾らか色づいていました。
このあたりには杉が多く色づく木は少ないようです。
餅でお腹が一杯になりましたが、降りた高尾駅でしっかり
反省会をしました。
こんなところで子供の頃の経験が役立つとは思いませんでした。
山でついて食べた餅の味に参加者も大満足したようです。
楽しい1日でした。

景信山(その1)

2008-11-26 | 里山

東京の奥に高尾山があります。
その尾根伝いに歩くと景信山(かげのぶやま)につきます。
今回は高尾駅からタクシーで直接登れるところまで入りました。
会の行事で14名集まりました。




ヒノキ林の中の登山道が続きます。
ここは根ががっちり張っていて歩きやすいところでした。
下りだと「つまずき」に注意が必要です。
上りはしっかり足をあげていればつまづくことはありません。



やがて明るい登山道に出ました。
右はヒノキの植生がキチンとされています。
左は雑木林です。
歩きやすい道でした。




尾根に出ました。
残念ながらこの日も曇り空でした。
草紅葉がすっかり秋を演出していました。
左に進めば陣馬山に行けます。




ここには2つの小屋があります。
最初の小屋が見えてきました。
モミジが色づいています。
このあたりの紅葉は少し遅いようです。




約1時間くらいで頂上に着きました。
標高727mの里山です。
ここにもう一つの小屋があります。
天気が悪かったせいか、登山者は少ないようです。
これからここで「餅つき」をします。

箱根・湯坂路(その2)

2008-11-25 | 箱根

足元に小さなモミジが紅葉していました。
背丈は20cmくらいです。
小さくても立派に紅葉しています。
親からしっかり躾(しつけ)されているようです。
人間も小さい時の躾(しつけ)が大切です。
そうすれば世間に迷惑をかけるような大人にはならないでしょう。


アキノキリンソウ

アキノキリンソウです。
夏の終わり頃から咲き出します。
もうそろそろ終わりかと思いますが、これはまだきれいな姿でした。
なかなか頑張り屋のようです。




鷹ノ巣山でお昼にしました。
ここには大きなカラマツの木があります。
普通、カラマツは真っ直ぐ伸びます。
これは少しいじめられたようです。
黄色く紅葉することだけは忘れていないようでした。



モリアザミ

きれいな姿のアザミです。
モリアザミは箱根に多いアザミだそうです。
ゴボウのような根を食用にします。
みやげ物屋などで「ヤマゴボウ」として売られているものは
ほとんどがアザミの根だそうです。



分岐にでました。
ここを左に行けば千条の滝を通って小涌園のほうに行けます。
我々はここを右に歩いて浅間山から箱根湯本に降ります。





天気はご覧のようにあまりよくありません。
紅葉もこの程度です。
途中からパラパラと雨が降ってきました。
気温も10℃以下です。
先を急ぎました。




しばらくすると浅間山につきました。
ここはかなり広い頂上です。
湯本まではまだ100分と書いてあります。
あまりのんびりできません。
さっさと通過しました。



このあたりからモミジがでてきます。
天気が悪いせいか、色がよくありません。
このルートにはモミジがたくさんあるのですが、
ほとんどが緑のままでした。



ノコンギクが咲いていました。
この時期になるとなかなかきれいな姿に出会いません。
箱根はまだ暖かいのでしょうか。
たくさん咲いていました。



アキノタムラソウ

シソ科の植物です。
「アキノ」と名前がついていますが、梅雨時から咲いています。
学名が「サルビア・ジャポニカ」日本のサルビアというそうです。
かなり背丈が高くなります。





石畳がでてきました。
これが現れると箱根湯本が近くなります。
石がツルツルしていて滑りやすい道です。
膝でバランスをとって慎重に歩きました。



やっと箱根湯本口に降りてきました。
畑宿から歩き出して約4時間の歩きでした。
ここから駅までは10分くらいです。
途中で雨がポツポツきましたが、傘を指すほどでは
ありませんでした。
下に降りたら道路が濡れていましたから、かなり降ったようです。
紅葉は期待したほどではありませんでしたが、のんびり歩くには
よいコースです。
降りたところで温泉に入れますが、それほど汗もかかなかったので
パスしました。
その費用は小田原でビールに化けました。
まずまずの1日でした。

箱根・湯坂路

2008-11-24 | 箱根
今月15日、箱根・湯坂路を歩いてきました。


山の会のプランです。
箱根湯本駅に集合し、バスで畑宿まで行きました。
ここが入口です。
芦の湯に向かって歩きます。



まだアザミが咲いていました。
ヤマアザミのようです。
箱根にも何種類かのアザミがあります。
かなり遅くまで咲いているようです。



ゆったりした上りが続きます。
途中に2本のヤマザクラがあります。
「連理の桜」と呼ばれています。
春には小さい花をたくさんつけます。
数年前の春にここを通りましたが、きれいでした。




足元の落ち葉を掻き分けてみると小さな花が顔を
出しました。
カンアオイです。
小さいのでヒメカンアオイの仲間だと思います。
箱根にはオトメアオイというのがありますが、葉っぱが
違うようでした。



飛竜の滝に寄ってみました。
水量が少ないようです。
モミジもまだ色づき始めたばかりのようです。
他と違って箱根の紅葉は少し遅いようでした。




しばらく登りが続きます。
ここは丸太でできた階段があります。
歩きにくいのか、ほとんどの人が脇道を歩いています。
私はどうどうと真ん中を歩きました。
大きく足を上げればそれだけよい運動になります。



分岐にでました。
ここから右に歩けば小涌谷に行けます。
我々は左に入りました。




白いキク科の花がたくさん咲いていました。
葉っぱや花の姿からユウガギクのようです。
花びらの先端が小さく切れ込んでいます。
葉っぱを揉むとユズの香りがするそうです。
やってみましたが、それほど匂いは感じませんでした。




しばらく行くと今度はリンドウが出てきました。
花の少ない時期には存在感があります。
かなりたくさん群生していました。
天気は曇り空でしたが、しっかり開いていました。
サービスしてくれたようです。
もうすぐ鷹ノ巣山です。



入間航空祭(その3)

2008-11-23 | 日常の出来事

午後1時丁度にアナウンスがあり、いよいよブルーインパルスの
登場です。
整然と並んでいた場所から1番機が滑走路に移動します。
続いて2番機、3番機と1秒の狂いもなく6番機までが飛び立ちました。
しばらくして会場の後方から4機が編隊を作って飛んできました。
青空ならスモークがきれいに映えるのですが、生憎の曇り空です。
でも頭の上を轟音と共に飛ぶ姿には迫力があります。
あっという間に飛び去ってしまいました。



しばらくすると前方から1増えて5機編隊で飛んできました。
それぞれの間隔は3mくらいでしょうか?
スピードは時速1000kmだそうです。
一糸乱れぬ演技です。
技にはいろんな名前がついていました。
現場では技についての説明がアナウンスされます。



これは4機できれいな4角形を描いています。
パイロットはそれぞれが無線で交信しているそうです。
またかなりの重力加速度が体にかかるそうです。
体をベルトでしっかり固定し、その重力加速度に耐えられる
精神力は日頃の訓練から生まれるそうです。




左手から1機だけもの凄いスピードで進入してきました。
同じように右手からも1機進入してきました。
スピードが速くてカメラに納めるのがやっとです。




2機が会場の前で交差しました。
左からきた機は反転しています。
少し間違えれば空中衝突します。
技が決まる度に会場では大きな拍手が沸きました。



今度は4機がそれぞれ別々の方向に上昇しました。
かなり上空に上がってから急降下しました。
空中に花を咲かせました。
青空なら素晴らしいスモークがみれるのですが、雲が多く
また上空は風も強いようですぐに消えてしまいました。



これは6機で直角三角形を描いています。
それぞれの機体間は1mくらいだそうです。
まさに神業です。
スピード、高度維持などいろんな技術が要求されるようです。
また機体の性能も優れていなければできません。
ハラハラ、ドキドキしながら見ていました。




これはきれいな正三角形です。
先頭の機だけスモークを出していません。
後続の邪魔になるからでしょうね。
この姿で飛び去り、再び体制を整えて別の演技に入ります。



左手から2機が飛んできました。
このあと別の角度で急上昇し、空中の大きハートのマークを
描きました。
左から別の1機が飛んできて矢を描きます。
この時ばかりは一段と大きな拍手が沸きました。
あっという間に消えてしまい、写真には撮れませんでした。




30分あまりのブルーインパルスの演技を見て会場をでました。
たくさんの人が移動するので出るまでに20分くらいかかりました。
西の空をみると青空が少し覗いていました。
願わくばもう少し青空を欲しかったです。

翌日の新聞を見たら、この日の人出は25万人だと書いて
ありました。
もうしばらくは行きたくありません。
でもそれなりに楽しめた航空祭でした。





入間航空祭(その2)

2008-11-21 | 日常の出来事

先ほどの救難機を反対側から見ました。
機体に大きく鷲の絵が描いてあります。
空から鋭い目で獲物を狙うようです。
なかなか洒落ていました。



これは練習機のようでした。
飛行機の免許をとるのも大変なようです。
小さな飛行機で練習してから少しずつ大きな飛行機に
挑戦するようです。




これも練習機と書いてありました。
ジェットエンジンですから、スピードが違います。
これに乗って大空が飛べたらまた別の世界があるでしょう。
どこか他の基地から飛んできたようです。




これは何に使うのでしょう。
あまり見たことがない飛行機でした。
花なら大体分かりますが、飛行機は苦手です。
これも他からきたのでしょうね。




これは戦闘機でしょうか。
前面に空気の吸い込み口が大きく開いています。
日本の空を守っているのでしょう。



これも戦闘機のようです。
大きなサメが口をあけています。
近くでないとこんな絵が描いてあるのはわかりません。
なかなかユニークでした。



これは偵察機のようです。
上の丸い円盤はレーダーだと思います。
主翼は可動できるようで折りたたんでいます。
コウモリの絵が描いてありました。



片側に5機、向かい合って10機いました。
整然と並んでいる姿はなかなか格好よかったです。
これも他の基地の所属のようです。




これは人間を運ぶ飛行機のようです。
かなりスマートでした。
航空自衛隊もいろんな種類の飛行機を持っているようです。
燃料が高いと維持管理もたいへんだと思います。




これも隊員を輸送するための飛行機のようです。
目の前に看板があり、説明が書いてありましたが
人が多くて読めませんでした。



これは入間基地でよくみかけます。
戦車などの大型機材を運ぶ輸送機のようです。
背中からでている主翼がいかにも力持ちという感じです。
時々家の上空を飛んでいます。



だいぶ端っこにこんなものがありました。
敵の飛行機を打ち落とす高射砲のようです。
自力では移動できず牽引されて動くようです。
この日は自衛隊員がおでんなども売っています。
たくさんの人で動くのがたいへんなのでコンビニ弁当を
立ったまま食べました。
いよいよブルーインパルスが登場します。


入間航空祭(その1)

2008-11-20 | 日常の出来事

航空自衛隊入間基地では毎年11月3日に航空祭が開かれています。
昔は何回か見に行ったことがありますが、ここ10年ばかりご無沙汰しています。
今年は基地ができてから50年になる節目のようです。
久し振りに行ってみました。
電車も増発しますが、自転車で30分くらいなので自転車で行きました。
もの凄い人で、歩くのがたいへんでした。
ゲート附近に大きな横断幕が掲げてありました。




エプロンに着いてみると既にたくさんの人が陣取っていました。
上空で飛行機がいろんな演技をします。
これは救難機のようです。
何か演技をして飛び去るところでした。
生憎の曇り空で色がパッとしません。




ヘリコプターが右手からきました。
何かぶら下げています。
山火事などで活躍する消火ヘリのようです。




会場近くまできてドラム缶のようなものから水を放出しました。
テレビなどでみたことがありますが、目の前で見るのは初めてです。
なかなか迫力がありました。
着いたのが昼少し前でした。
朝から落下傘降下などいろんな演技があったようです。




今度は左からヘリが飛んできました。
会場の上でホバリングし、人が降りてきました。
やはり災害時などで人を救助する時のようです。
一度地面に降りて再びロープで上がって行きました。



それぞれの演技を終えたヘリコプター2機と救難機1機が左に
飛び去って行きます。
飛行機はスピードが速いのでなかなか撮るのが大変でした。
デジカメだとシャッターを押してから少しタイムラグがあるようです。
何とか3機が納まってくれました。



先ほど飛び去った救難機が着陸して近くで駐機していました。
パイロットが笑顔を振り撒いています。
仕事を無事に終えた顔です。
機体に何か鳥のような絵が描いてありました。




このヘリは救助訓練をしていたヘリです。
かなり性能はよさそうです。
エプロンの前にはたくさんの人が座り込んでいて
なかなか近付けません。
これがやっとでした。




かなり左の奥にブルーインパルスが駐機していました。
全部で6機います。
このショーは航空祭の一番の目玉です。
午後1時の出番を静かに待っているようでした。




ブルーインパルスの手前に大きなヘリが駐機していました。
赤いブイのような物がみえますので、海上救難ヘリのようです。
あまり飛行機やヘリには詳しくないので機種や名前までは
わかりません。
他にもいろんな飛行機が駐機していました。
そちらのほうにも行ってみます。



生田緑地(最終回)

2008-11-19 | 日常の出来事

岡本太郎美術館から約30分くらい歩いたところに
「バラ園」がありました。
ここは昔「向ヶ丘遊園バラ園」と呼んでいましたが、
今は川崎市が管理しているようです。
無料で入れました。
赤いバラが出迎えてくれました。




いろんなバラがあり、それぞれ名前がついていました。
白いバラが目を惹きました。
清楚な感じです。
ここにはたくさんの人がいました。
芝生に座って弁当を食べている人もいました。



かなり広いバラ園です。
ところどころにこのような像が建っています。
小田急線の向ヶ丘遊園駅からモノレールがありましたが、もう
だいぶ前に廃止になったそうです。
駅から歩いても20分くらいでしょうか。




バラといえばピンクが好きです。
ほんのりとした暖かさを感じます。
バラは春と秋の2回楽しめるようです。
これにも名前がついていたようですが、メモするのを
忘れました。



淡いピンクとキイロが混ざっています。
「プリンセス・マーガレット」と書いてありました。
どこかの女王さまのようです。




赤とキイロが混在しています。
「プリンセス・ミチコ」という名前だそうです。
このバラは他のバラ園でもよく見かけます。
明るい感じがするバラでした。





「ロイヤル・セレブレーション」という名前がついていました。
イギリスからきたそうです。
淡いムラサキが柔らかい印象でした。
まだ数が少ないようです。



最初にみた白いバラよりももっと純白でした。
ベルギー産とありました。
バラはヨーロッパが多いようです。
太陽の光を浴びてより一層白く感じました。



バラ園で30分ほど遊び、再び歩きます。
1時間くらい歩いたら多摩川に出ました。
前方に見えるのは小田急線の鉄橋です。
丁度電車が通過中でした。
この川を挟んで右側が東京都、左側が神奈川県です。
昔はこの近くでよくボートに乗りました。
古きよき時代でした。



正面にみえるのは「二ヶ領宿河原堰」です。
川の中に白いコンクリートブロックがみえますが、
台風で崩壊した残骸だそうです。
現在、復旧工事中でした。

ここから土手に沿って歩き、スタートした登戸駅で
この日の散策を終了しました。
距離にして約10キロ、3時間くらいのウオーキングでした。
たまにはのんびり歩きもよいものだと思いました。



生田緑地(その3)

2008-11-18 | 日常の出来事

神奈川県川崎市の家とありましたから、このあたりの農家の
家のようです。
昔使った「大八車」の車輪が無造作に置いてあります。
リアカーが出る前はもっぱらこれが主に活躍していました。
リアカーを始めて引いた時はその軽さにビックリしました。
田んぼから稲を積んで運ぶのも子供の仕事でした。



これも神奈川県の家だそうです。
同じ茅葺き屋根でも少し形が違います。
屋根の上に何か乗っています。
聞いてみたかったのですが、近くに誰もいませんでした。




家の中に珍しい農具がありました。
木でできた六角形をしたものです。
確か「ころがし」と呼んでいたと思います。
田植えの時、これを転がして跡をつけ、交差したところに
苗を植えます。
今は機械化されてこれを使うところはないでしょうね。



三重県志摩市船越の舞台だそうです。
芝居小屋です。
真ん中に廻り舞台があり、縁の下に入ってみることができます。
数人で押して廻していたようです。
ここは階段状に席が設けられていて休憩所になっていました。



木小屋です。
囲炉裏やカマドで使う薪や焚き木を保管しておく小屋です。
ここでは外に独立してありましたが、納屋と並んでいる場合もあります。
屋根が苔むしていて風情を感じたので撮ってみました。
雨樋も竹でできています。
どこから持って来たかはわかりませんでした。



岩手県の「南部の曲り屋」です。
くの字に曲がった突き当たりに馬を飼っています。
馬も家族の一員だったようです。

東北に遠野というところがあります。
その近くの「千葉家」という家が見学できるようになっていました。
花巻から釜石に車ででた時に立ち寄ったことがあります。
そこでは実際に馬が飼われていました。
ここでは竹でできた馬が立っていました。
特に「餌をやらないでください」とは書いてありませんでした。(笑)



岡本太郎美術館

民家園を出て少し奥に歩いたところにありました。
岡本太郎は「芸術は爆発だ」という有名な言葉を残しています。
折しも昨日渋谷で大きな壁画が紹介されていました。
「明日の神話」という作品だそうで、原爆をモチーフにした作品だそうです。
渋谷の新しい名所になることでしょう。
大阪万博の時の「太陽の塔」も印象深い作品でした。




入ってすぐ右手に変わった姿の像がありました。
「樹霊」という作品だそうです。
確かに何か大きな口を開けて訴えているようでした。
角のようにみえる曲線が彼の特長になっているようです。



建物の奥に塔が立っていました。
「母の塔」と書いてありました。
子供達がたくさん両手を上げて喜んでいる姿のようです。
遠くにみえる建物は「専修大学」です。
ブラスバンドの音が聞こえていました。
学園祭の練習でもしているようでした。




近づいて下から仰ぎ見ました。
今にもこちらに向かって飛び降りてくるようです。
「母は偉大なり!」と表現しているのでしょうか。
見てるだけで元気が貰えました。
塔はコンクリートでできていて細かく砕いたタイルが
ビッシリと貼ってありました。




少し廻りこんで撮ってみました。
太陽に反射して表情がより輝いて見えました。
芸術は見る人の感性によっていろいろに見えます。
私には明るい笑い声が聞こえてきました。
更に歩いて「バラ園」に向かいました。



生田緑地(その2)

2008-11-17 | 日常の出来事

ここには幾つかの合掌造りの家があります。
歩きながら次々とこんな姿の家が現れます。
傾斜が厳しく冬の雪対策のようです。
ある程度積もると自然に落ちるようです。




一軒だけ囲炉裏に薪を燃やしている家がありました。
ボランティアの人が燃やしているようでした。
「上がって行きませんか?」と声をかけられましたが、それほど
のんびりもできなかったので、丁重にお断りしました。
炎が何故か懐かしく思えました。




大きな梁です。
雪国では雪の重みで自然に木が曲がります。
その曲がりをうまく利用して梁にしています。
自然が造った曲線美です。
「チョウナ」で削った跡も美しかったです。


岐阜県白川村から移築された合掌造りの家です。
飛騨高山にはこのような家を集めた場所があります。
「飛騨の里」と呼ばれていました。
実際に住んでいる家もたくさんありました。
2階部分には農機具など昔使った道具が並べられていました。
ここでは2階に上ることはできませんでした。
左奥にホウの木があります。
ホウ葉味噌の味が懐かしく思い出されました。



これは神奈川県秦野市の昔の農家です。
内部には土間、カマドがありました。
横に稲藁がかけてありましたが、実際には豆とか小豆、蕎麦などを
かけていました。



これは山形県鶴岡市の猟師の家です。
入口の横に大きな櫓(ろ)がかけてありました。

佐渡の実家にも舟がありました。
小学生の頃、祖父に朝早くたたき起こされて釣りにでました。
櫓(ろ)を漕いでかなり沖まででました。
夏の鯛釣りの場合は先に餌となる生きたエビを取らなければなりません。
大きな石の重りをつけた籠を沈め、一生懸命櫓を漕ぎますが、
なかなか舟が進みません。
この時が一番辛かったのを覚えています。



やはり土間にカマドがありました。
セイロは饅頭を蒸したり、もち米を蒸したりしました。
奥にある箱にはホウキが入っていますが、昔は薪(たきぎ)を入れていました。
いわゆる燃料保管庫です。
薪を山から運んでくるのも子供の仕事でした。
何でも嫌がらずにやりました。
そのお陰で自然が好きになったようです。



かなり大家族だったようです。
大きな広間がありました。
板の間を裸足で歩く生活です。
夏はこの上にゴザを敷いて寝ました。
ひんやりして自然のクーラーです。
冬は藁を敷いて寝ました。
ガサゴソ音がしましたが、暖かく自然の暖房でした。
天井の梁がよくできていました。



見事な梁(はり)の組み合わせです。
大工さんの腕がよくわかります。
設計図などなくても木をみて頭の中で描いたのでしょう。
耐震計算などしなくても立派にそれぞれの木が役目を果たしています。
素晴らしい芸術作品です。



鹿児島県沖永良部島の高倉です。
この中にいろんなものを保管したようです。
柱の上のほうに鉄板が巻いてあります。
「ネズミ返し」と称してネズミが上がれないようになっています。
高倉はこれ一軒だけでしたが、南の地方ではよく見かけます。



これは山梨県甲州市の農家のようです。
入口がかなり低かったです。
内部には同じように土間、カマドがありました。
窓が少なく内部はかなり薄暗かったです。



壁に背負子(しょいこ)がかけてありました。
昔はこれで薪や焚き木を運びました。
その他農作物は何でも背中で背負って運びました。
今は便利なザックがあります。
あと何年か経つとザックがここにかかっているかも知れません。




クチナシの実がなっていました。
追い羽根のような形をしています。
この実で染めるときれいな黄色い色がでます。
昔はおにぎりにも混ぜて持って歩いたようです。
殺菌効果もあったのでしょう。



茨城県笠間市の家だそうです。
茅葺き屋根はみんな同じように見えますが、どこか少しずつ
違っているようでした。
その土地に合った造りになっているようです。
もう少し奥まで歩いてみます。

生田緑地(その1)

2008-11-16 | 日常の出来事
神奈川県川崎市郊外に生田(いくた)緑地があります。
ここを散策しました。



スタート駅はJR登戸(のぼりと)駅です。
ここには小田急線も交差しています。
昔は小さな駅でしたが、随分立派になっていました。
駅前も再開発されたようです。


駅から30分ほど歩くと生田緑地につきました。
ここには古民家を集めた「日本民家園」があります。
中に入って見ました。
入口附近に大きな家がありました。




少し奥に行くと大きな茅葺き屋根の家がありました。
愛知県名古屋市から移築された建物だそうです。
昔はみんなこのような茅葺き屋根の家でした。
夏は涼しく冬は暖かかったようです。



台所のようです。
昔は大きなカマドが土間に必ずありました。
釜で炊いた時できるオコゲが美味しかったのを覚えています。
電気釜ではできません。



更に進むと小さな水車小屋がありました。
これは長野県長野市から移築されたとありました。
昔は田んぼの近くに必ずありました。
水の流れを使って水車を廻します。



内部には大きな歯車がいくつも噛み合っています。
これは石臼で粉を挽いているようです。
米や麦、蕎麦なども石臼で挽きました。
電気もガスもいりません。
昔の人は自然のエネルギーをうまく使っていました。




これは富山県から移築されたようです。
雪深いところの様子が屋根の形からわかります。
これだけの屋根を葺くにはかなりの茅や藁が必要です。
一度葺けば30年は持つといわれていました。
現在は材料も職人さんも少なくなったようです。



部屋には必ず囲炉裏があります。
囲炉裏の上に干し柿を吊るして煙で燻します。
そうすると甘くて美味しい干し柿ができます。
煙で燻せば殺菌効果もあります。
昔の人はよい智恵を持っていました。




奥に「でえ」という場所があります。
現在の居間(リビング)です。
ここにも囲炉裏があります。
板の間は子供達の遊び場でした。
古いハガキでメンコを作ってよく遊んだものです。



これも富山県の山奥から移築された物のようです。
かなり立派な豪農だったようです
もうこのような家をみる機会も少なくなりました。




この家の内部です。
立派な「でえ」と奥に「おまえ(客間)」がありました。
畳を敷くのが珍しかったようです。
板の間の拭き掃除は子供達の仕事でした。



ここには数軒の茅葺き屋根の家が並んでいました。
それぞれ内部を見ることができます。
中には国指定重要文化財に指定されているものも
あるようです。
維持するのもたいへんだと思いました。


鳴虫山(最終回)

2008-11-14 | 栃木の山

鳴虫山から降りてきたところは日光に近いところでした。
時間があったので立ち寄ってみました。
ここは輪王寺の本堂です。
輪王寺というのは日光の山にあるお寺の総称で、ここが
入口になります。
観光客や修学旅行の学生がたくさんいました。




輪王寺の脇にきれいに紅葉したモミジがありました。
だいぶ太陽が西に傾いていたので、光が少なかったです。
ここで一番目立っていました。
カメラを構えていたら、何人かの人に声をかけられシャッター係りに
されてしまいました。



「東照宮」と書かれた大きな石碑が建っていました。
この前で記念撮影する観光客が多かったです。
東照宮は徳川家康を「東照大権現」という神として祀っている
神社だそうです。




境内に入ると左側に立派な五重の塔がありました。
かなり古い物のようです。
近くでガイドが説明していましたが、何やら彫刻にいろんな
いわれがあるようでした。

馬車

更に奥に進むと馬車がいました。
この先に二荒山神社があります。
そこまで往復して1人¥1000だそうです。
昔はなかったので、最近できたようです。
観光地では人力車なども増えているようです。
見ている間には誰も乗るお客はいませんでした。



二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の入口です。
先ほどの馬車がいるところから歩いても10分くらいです。
ほとんどの人が歩くのも納得です。
ただ、砂利道なのでかかとの高い靴を履いたご婦人には辛そうでした。



二荒山神社の境内です。
かなり広く、この右側に幾つかの神社が建っていました。
日光は輪王寺、東照宮、二荒山神社の「二社一寺」からなっていて、
全体が世界文化遺産に指定されているようです。



二荒山神社

二荒山神社の本殿です。
内部も見学できるようですが、登山靴を脱ぐのが面倒だったので
パスしました。
二荒(にこう)が転化して日光(にっこう)になったそうです。



親子杉

境内の脇に親子杉というのがありました。
1本の杉が下で分かれて伸びています。
左からお父さん、お母さん、子供のようです。
2本だけなら夫婦杉だったでしょうね。

御神木

すぐ近くに大きな杉がありました。
これは3本とも御神木のようです。
だいぶ前に東京の日本橋から出発して日光街道を歩いたことが
あります。
宇都宮を過ぎると大きな杉並木が残っていました。
数回に分けて歩き、桜の花が咲く頃日光に着きました。
よい思い出が残っています。





正面に向かって「竹の輪くぐり」というのがありました。
正月に「茅の輪くぐり」というのはみたことがありますが、
これは初めてでした。
短冊に願い事を書いて縛り、正面から入って左から8の字に
廻るようです。
夫婦で手を取り合って廻っている姿が微笑ましかったです。



神橋

日光で1時間ほど遊び、出てきたところに橋がありました。
神橋です。
こちらから向こうに渡ることはできません。
反対側から入れますが、有料です。
数年前にリニューアルしたようです。
日光街道歩きの時はこの前で記念写真を撮りました。




神橋を正面からみました。
秋の陽射しが差し込んでいます。
ここから駅までバスもありますが、歩いても30分くらいです。
街並みを眺めながらのんびり歩きました。

鳴虫山は春の頃もよさそうです。
アカヤシオが咲くことで有名だそうです。
その頃にはたくさんの人が押し寄せるでしょう。
今回は歩いている人も少なく、静かな歩きができました。

鳴虫山(その4)

2008-11-13 | 栃木の山

しばらく下るとカラマツ林が現れました。
紅葉は始まっています。
カラマツは春の芽吹きもきれいですが、紅葉もきれいです。
葉っぱが散る時もキラキラ輝いてまるで黄色い雪が降っているように
見えます。




独標につきました。
標高925m、頂上から約40分の下りでした。
ここの下りは道がかなり荒れているので油断できません。
木の根っこもあり、バランスを取るのが大変です。
幸い、木があるので掴まって降りることができました。

北アルプスの西穂高岳に行く途中にも「独標」があります。
標高が2701mですから、こことはかなり違います。
この先がかなり厳しい岩稜なので、ここで引き返す人が
多かったです。西穂高岳もよい山でした。




やがて桧林が現れました。
登山道の両側にはコアジサイがたくさんありました。
春の花の頃には甘い香りが漂っているでしょう。
新緑の頃もよさそうです。


マユミの実

平坦な林道に出ました。
急坂の連続でかなり神経を使いました。
ホッとしたところでマユミの実が微笑んでいました。
かなり遅くまで実がなっています。
中から赤い種が覗き、笑っているように見えました。




しばらく歩くと水の音が聞こえてきました。
上では憾満ヶ淵と書いてありましたが、ここには含満ヶ淵
と書いてありました。
どちらでもよさそうです。
この川は大谷川(だいやがわ)というそうです。
この川の流れが不動明の真言を唱えるように響くので、
皇海大僧正が真言の最後の句「かんまん」をとって名付けたそうです。



近くに寄ってみると「かんまん」どころか、「ごうごう」と
音を立てて流れていました。
岩はツルツルしていて滑りやすくそのまま滑って落ちそうでした。
夏なら涼しそうですが、この時期に落ちたら大変だと思いました。




反対側をみるとアズマ屋がみえます。
このまま歩いて行けそうでしたが、右にある道に出ることにしました。
河原に何か花が咲いているかと思ったのですが、
何もありませんでした。




歩いている右側にたくさんのお地蔵さんが並んでいました。
「並び地蔵」というそうです。
ぜんぶでどの位あるのでしょうか?
中には頭の部分がないのもありました。





反対側に看板がありました。
数える度に数が違うので「化け地蔵」とも呼ばれているそうです。
往復して数えてみようと思いましたが、気味が悪かったので
止めておきました。
顔はどれも穏やかな顔をしていました。





先ほど見えたアズマ屋です。
若いカップルが話し込んでいました。
この対岸の岩に何やら文字らしいものが刻んでありました。
弘法大師が筆を投げて書いた文字だそうです。
昔のお坊さんは凄いことができたものですね。

今回は1人だったので3時間くらいで歩きましたが、地図では
4時間になっています。
5~6時間くらいかけて歩く人もいるようです。
上りよりも下りに注意が必要な山でした。
時間があったので日光東照宮に寄ってみます。