山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

エベレスト街道(1-14)

2009-11-30 | 海外の旅
川の上流

吊り橋の真ん中あたりから川の上流を見ています。
氷河から流れてくるという水は青い色をしていました。
これからこの川に沿って上流に歩きます。




吊り橋はかなり揺れました。
向こうからくる人やゾッキョがいない間に渡ります。
ステンレスの板がガタガタ音を立てていました。


ゾッキョ

ロッジに到着しました。
先に着いていたゾッキョが出迎えてくれました。
ここはパクディンという場所です。
ルクラから4時間30分の歩程でした。
標高は2610mです。
現地時間で13:30です。



ロッジの前の広場ではテントを張っています。
テントで泊まることもできるようです。
ヨーロッパからきたグループのようでした。



荷物を持ったゾッキョが次々に到着します。
袋に入っているのは穀物のようです。
おとなしく荷物を降ろす順番を待っているようでした。



ロッジに入って暖かいお茶とクッキーを頂きます。
それほど寒くはありませんが、暖かい飲み物は
体が温まります。



しばらく休んでから外に出てみました。
マリーゴールドがたくさん咲いています。
日本で見る花よりかなり大きいです。
甘い香りが漂っていました。



ロッジの後ろを見ると大きな山が見えます。
名前は特にないようです。
夕食は午後6時からです。
時間があったので近くを散策することにしました。



渡ってきた吊り橋のところに行って見ました。
ポーターが大きな荷物を担いで渡ってきています。
向こう側に渡る人も見えます。
途中のロッジで泊まるようです。



ロッジの裏側に回ってみました。
野菜畑がありました。
チンゲンサイのようです。
この野菜は比較的作りやすいのか、他にもたくさん
ありました。

アクセサリー

ロッジの中庭でアクセサリーを売っている女性がいました。
これは石でできたネックレスのようです。
価格はRS1000~2000くらいでした。
日本円だと¥1300~2500くらいに
なると思います。
安いものはRS200~500くらいでした。



こちらはペンダントとかイヤリングのようです。
やはり同じくらいの価格でした。
でも交渉すれば幾らかデスカウントできます。
カラフルなものが多かったです。


◎付 録
地図(1)


今回のコースの地図です。
ルクラから歩いて現在パクディンまできています。
ここに泊まり、翌日はナムチェバザールまで歩きます。
ここに2泊してシャンボチェ、クムジュンあたりを
トレッキングしました。


地図(2)


もう少し大きな地図です。
エベレストやローチェは右上のほうにあります。
アマダブラムは右の真ん中あたりです。
今回のシリーズの一番最初にご紹介した写真が
シャンボチェの丘からみた写真です。
エベレスト、ローチェ、アマダブラムが横1列に
見えましたが、距離にするとかなり離れています。

この地図の一番上にあるカラタパール(標高5200m)
まで行くともっと近くにエベレストが見えます。
日数も3週間くらいかかります。
左に見えるゴーキョピークのコースもよいそうです。
エベレストはなかなか奥が深いようです。

エベレスト街道(1-13)

2009-11-29 | 海外の旅

ポーターが休んでいます。
石でできたベンチのようなところで休むことが
多いのですが、このように手の持っている棒を
荷物の下に入れて休みます。

我々が山歩きしていて、休憩する時「1本(いっぽん)!」と
掛け声をかけますが、「1本(いっぽん)!」とはこの棒の
ことを指すようです。
手に持って歩く時はこの棒はストックの役目をしていました。



石に何か書いてあります。
山の奥にお寺がみえます。
そのお寺の名前のようです。
ここから歩いて2時間と書いてありました。



快適な道が続きます。
サーダーの荷物はかなり大きかったです。
でも衣類がほとんどのようで、それほど重くはなさそうです。
山の姿が刻々と変わってきます。
空気が美味しかったです。



ゾッキョが休んでいます。
足が太くて強そうです。
ゾッキョが休む時は棒を使いません。
ただ、ボゥーとしているだけのようでした。



ロッジが現れました。
ここにもレストランや宿泊所があります。
我々が宿泊する場所はもう少し先になります。



村の入り口と出口には必ずこのようなマニ石があります。
やはり旅の無事を祈っているようです。
ここにもたくさんのトレッカーが休んでいました。




このあたり一帯を「パクディン」と呼ぶようです。
下に「ナムチェ方面」と書いた標識がありました。
ここを左に曲がります。



女の子が飛び出してきました。
5歳くらいでしょうか?
中には「スィーティ!(甘いもの頂戴!)」といって
手をだす子がいます。
この子は特にねだることはありませんでした。



こちらは男の子です。
やはり5歳くらいでしょうか?
いろんな国のトレッカーが通るので珍しいようです。



この子は盛んに何かいっていました。
どこの国でも子供達はかわいいものです。
このような自然の中で育てば逞しくなることと
思います。
風邪など無縁のようでした。



右奥に青い屋根の家がみえます。
あそこが今晩の宿泊所です。
黄色い花はマリーゴールドのようです。




吊り橋が見えてきました。
あの橋を渡ればロッジはすぐのようです。
川はドゥドゥコシ川といいます。
きれいな水が流れています。
氷河から流れてきているそうです。




ステンレスでできた立派な吊り橋です。
真ん中あたりにくるとかなり揺れます。
高所恐怖症の人にはつらいかも知れません。
たくさんのゾッキョも渡ります。
途中ですれ違うことができませんから、入り口で
譲り合って通過していました。
もうすぐロッジに到着です。

エベレスト街道(1-12)

2009-11-28 | 海外の旅
街道

緩やかな登りです。
昔からたくさんの人が歩いた道です。
しっかり踏み固められています。
暖かい日差しが降り注いでいました。

ゾッキョ

振り向くとゾッキョがすぐ後ろまできていました。
おとなしい性格なので悪さはしません。
大きくてかわいい目をしていました。




目的のロッジに到着しました。
ここでお昼です。
黄色いシャツのお嬢さん?が今回のツアーリーダーです。
日本から一緒にきました。
ネパールには何回もきていてすっかり好きになったそうです。
ネパール語は日本語より上手でした。
ポーターとコックが先に着いていて用意してくれます。
表に手を洗うお湯と石鹸があります。
グリーンのバケツに入っているのがそれです。
「みなさん、手を洗ってから中に入りましょうね!」
まるで幼稚園の先生のように叫んでいました。(笑)

昼食

昼食メニューです。
コックが我々日本人の口に合うよう調理してくれます。
時計回りにパン、缶詰の魚、ジャガイモと野菜、トマト、
野菜サラダです。
飲み物はお茶(紅茶)、お湯が選べます。
お湯はコーヒー、ココアを自分で入れて飲みます。
紅茶に蜂蜜を入れて飲んだら美味しかったです。
パンやサラダはお代わりできます。
食事時間はたっぷり1時間ありました。

ヌプラ

ヌプラが姿を見せています。
頂上付近に白く雪があります。
標高5885mの岩山です。
雲が少し湧いてきました。
日本と同じく山は午前中がよいようです。



再び歩き出しました。
ここにはロッジがたくさんあります。
どのロッジでも食事や宿泊ができるようです。
このあたりで標高2500mくらいでした。




ゾッキョやポーターの集団が時々通ります。
後ろからくるとつい道を譲ります。
これもトレッカーの荷物を運んでいるようです。
一般にヨーロッパからくるトレッカーの荷物は
大きいようです。
我々の倍以上ありました。




どこかのコックが農家からカリフラワーを分けて貰って
いるようです。
新鮮な野菜はこのように現地で調達しています。
よい食材を調達するのもコックの腕のようです。

農家の女性

畑に女性がいたので声をかけました。
野菜はチンゲンサイです。
煮物や炒め物として使います。
この女性、典型的なネパール美人のようでした。

マニ車

ここように独立したマニ車もあります。
下に看板があり、時計回りに回るよう書いてあります。
時間のない人はその場に立って回してもよいそうです。
回すとよい音が響きます。
日本のようにお賽銭はいらないようでした。



これは連続して並んでいるマニ車です。
きれいな色彩が施されていました。
この場合は右手で次々に回して行きます。
それだけでお経を唱えたことになるそうです。
文字の読めない人には有り難いようです。

マニ石

大きなマニ石です。
マニ石を右にして歩きます。
左手は「不浄の手」だそうです。
タルチョやヌンチョが風に揺れています。
風によってお経が世界中に広まっているそうです。



こんな姿のマニ石もありました。
何と書いてあるのでしょう。
ここを歩くポーター達はこのようなマニ石に元気付けられて
歩いているようです。



板状の石に書いた経文を積み上げたマニ石もあります。
ここはかなりたくさんのマニ石がありました。
ネパールやチベットの人々は信仰心が深いようです。
この経文をみているだけで心が癒されます。
エベレスト街道の歴史を感じながら歩きました。

エベレスト街道(1-11)

2009-11-27 | 海外の旅
水場

水場があります。
誰かが洗濯中のようです。
ここでは洗濯機などありません。
水に漬けて手で揉み洗いするだけです。
洗剤なども使っていないようでした。


ポーター

ポーターが反対側から歩いてきます。
いろんなものを運んでいます。
彼らは重さで賃金が決まるようです。
重いものは80から100キロくらい担ぐようです。
この人達の荷物は50キロぐらいのようでした。
手に持っている棒は休む時、荷物の下におきます。
重い荷物の時は頻繁にこの棒を使っていました。



ここから大きく下ります。
後ろからくるポーターは足早に追い抜いて行きます。
ほとんどがロッジに運ぶ荷物のようです。
靴を履いているポーターはよいほうで、ゴム草履の
若者もたくさんいました。




緩やかな道です。
この時期は乾季なので、雨が少なく埃っぽいのが
気になります。
マスクをかけて歩いている人もいました。


吊り橋

最初の吊り橋が現れました。
このコースには幾つかの吊り橋があります。
ここをゾッキョも渡ります。
かなりしっかり造られていました。

ゾッキョ

ゾッキョが後ろからきました。
後ろのゾッキョは干し草を積んでいます。
彼らの餌になります。
この日の荷物は軽くて楽をしているようでした。
横を歩いているのがゾッキョ使いです。
手に持っているロープ一つで何頭も操っていました。



下を見ると川が流れています。
ドゥードゥコシ川といいます。
途中までこの川に沿って歩きます。
きれいな水が流れていました。


クスムカングル

右手に大きな山が見えてきました。
クスムカングル(標高6370m)という山です。
チベット語で「三つの雪の峰」という意味だそうです。
白い峰が輝いていました。

マニ石

大きなマニ石です。
経文が書かれています。
このマニ石は必ず右側を向けて通ります。
石を挟んで両方に道がついています。
やっと川に下りてきたようです。




ところどころにこのようなロッジがあります。
ここは宿泊や食事もできるようです。
皇帝ダリアがたくさん咲いていました。
日本でもこの時期に咲いています。
時差がマイナス3時間15分ありますが、
花もその土地に合わせて生活しているようでした。


マニ石

先ほどのマニ石を下からみるとこんな感じです。
石全体に文字が彫刻してあります。
何人がかりで彫ったのでしょう。
文字はチベット文字だそうです。


クスムカングル

クスムカングルが正面になりました。
威風堂々としています。
こんな大きな山は日本では絶対見られません。
しばらく眺めていました。
空の色が眩しかったです。


エベレスト街道(1-10)

2009-11-26 | 海外の旅
皇帝ダリア

遠くに皇帝ダリアが咲いています。
今日本のあちこちにも咲いているようです。
背丈が3m以上にもなるので、遠くからでもよく
目立ちます。
耐寒性もあるようです。



畑と家が点在しています。
のどかな風景です。
ここに住んでいれば時間が経つのも忘れてしまいそうです。
ラジオから「昼の憩い」の音楽が流れてきそうです。



収穫した豆が干してありました。
日本の「ささげ」より大きい豆です。
サヤが青くても立派な実がなっていました。



こちらは少し細長い豆を手で剥いています。
畑からドッコで担いできてひなたぼっこをしながら
剥いているようです。
剥いた実と殻を分けているようすはありませんでした。
あとで篩い分けるようです。

トイレ

途中のロッジでトイレを借りました。
傾斜地に小さな小屋を建て、内部は板を渡して
あるだけです。
周囲には落ち葉がたくさん摘んでありました。
なお、ネパールでは「紙」を使う習慣がありません。
宿泊するロッジのトイレにも紙はありませんから、
トイレットペーパーは必携です。
男性は青空トイレのほうが快適ですが、女性はトイレを
借りるしかないようでした。

クンビラ

ヌプラの奥に新しい山が見えてきました。
クンビラという山です。
ここでは「聖なる山」と呼ばれ、登ることはできません。
家が点在していますが、あの横を歩きます。



ところどころにこのようなロッジがあります。
宿泊したり食事したりできるようです。
日陰に入ると空気がひんやりしていました。

マニ石

経文が書かれた石が積んであります。
この石は「マニ石」と呼ばれています。
手前のカマドはお祈りする時、火を焚くカマドのようです。
タルチョの手前には大きなマニ車があります。
廻すとよい音が響きました。



たくさんの経文が書かれています。
有り難い「お経」が書いてあるそうです。
「世の中が平和でありますように!・・・」
このような意味もあるのかも知れません。




どこまでも静かな道が続きます。
ヌプラがだんだんと大きくなってきました。
みなさん、マイペースで歩いています。
ここでは急ぐ必要がないようです。


マニ石

大きなマニ石です。
なお、マニ石は必ず右回り(時計回り)に通ります。
左手が「不浄」とされているからです。
旅の無事を祈ってくれていました。

リンゴ園

ここは「リンゴ園」だそうです。
日本のNPO法人「HAT-J」がリンゴの木を植樹したそうです。
奥にそれらしき木がみえましたが、まだそれほど大きくなって
いません。
皇帝ダリアのほうがよく目立ちました。



「HAT-J」は「Himalayan Adventure Trust of Japan」の略で
田部井淳子さんが代表になっています。
山の環境保護についていろんな取り組みをしているようです。
無事にリンゴの木が育って欲しいと思いました。
遠くに見える皇帝ダリアは6mくらいありました。
ここでは何でも伸び伸びと大きく育っているようでした。
空の青さが眼に痛いくらいでした。



エベレスト街道(1-9)

2009-11-25 | 海外の旅
タルチョとヌンチョ

暖かい日差しが降り注いでいます。
タルチョやヌンチョも静かに揺れています。
この旗には経文が書かれていて、風に揺れると
有り難いお経が世界中に流れるそうです。
色にもそれぞれ意味があり、青は空、白は風、赤は火、
緑は水、黄は大地を表しているそうです。

カリヤルンと月

カリヤルンの左上には月が浮かんでいます。
海に浮かぶクラゲのように見えました。
青い空が眼に痛いくらいでした。



この道は生活道路になっています。
降りる人もあれば登ってくる人もいます。
ネパールの挨拶は朝も昼も夜もすべて「ナマステ!」です。
声をかけると必ず返事があります。
左を歩いているのがシェルパ頭(サーダー)です。
ベテランのシェルパでした。

ドッコ

学生が歩いています。
近くに学校があるようです。
ここで「近く」といっても1時間くらい歩くのは普通だそうです。
家が遠過ぎて学校に通えない子供もいるそうです。
大きな籠は「ドッコ」といいます。
ポーターや地元の人はこれで何でも運んでいます。

農村風景

静かな農村風景が広がっています。
ネパールは基本的には農業国だそうです。
昨年歩いたアンナプルナではジャガイモを年に4回
作るといっていました。
気候が暖かいからのようです。



一般に石積みの家が多いのですが、このような近代的な
家もあります。
冬は雪も降るそうですが、多くは積もらないようです。
ここに住んでいれば時計はいらないと思います。



道端に黄色い花が咲いていました。
日本で見る「アキノキリンソウ」に似ていました。
この時期はあまり花がありません。
少ないだけによく目立っていました。




サーダーは時々会う人と立ち止まって話をしています。
この道を何度も歩いているようで、顔見知りも多いようです。
お互い情報交換もしているようでした。

ヌプラ

ヌプラが正面に見えます。
少しズーミングして見ました。
標高5885mです。
この奥は尾根になっていてナムチェから見える
コンデリに続いているそうです。
頂上にだけ白く雪が積もっているようです。



歩いている左側にはこのような風景が続いています。
日本にも昔はこのような風景がたくさんありました。
畑は牛を使って耕しています。
いつの間にか日本はどこかに忘れてきてしまったようです。



突然子供が飛び出してきました。
アンナプルナでもたくさんの子供達に会いました。
日本人によく似た顔をしています。
まだ学校には通っていないようです。
特に何かねだるということもありませんでした。
子供はどこの国に行ってもかわいいものですね。



◎付録

23日、日向山に登ってきました。
暖かい日差しの中の登山でした。
デジブックにまとめましたので、ご覧ください。





エベレスト街道(1-8)

2009-11-24 | 海外の旅
カリヤルンとヌプラ

遠くに尖った山がみえます。
ヌプラ(5885m)といいます。
左の白い山はカリヤルン(6611m)です。
これからのトレッキングを祝福してくれているようでした。


ヤマハハコ

道端にヤマハハコが咲いていました。
日本の夏山でもよく出会う花です。
もう最盛期は過ぎてドライフラワーのように
なっていました。



この植物もたくさんありました。
ツクシによく似ています。
シャルパに聞いてみましたが、「知らない」という
返事でした。
名もない雑草かも知れません。


ポーター

ポーターが食器を整理しています。
大きな荷物はゾッキョが運びますが、それ以外は
ポーターが運びます。
コックも含めて全部で10人近く付くようです。
彼らは我々より先を歩いて行く先々で食事の世話を
してくれます。




ロッジに住んでいる女の子のようです。
5歳くらいでしょうか?
棒や石で1人遊びをしていました。
思わず孫娘の小さい頃を思い出しました。


ゾッキョ

これがゾッキョです。
牛とヤクの交配種だそうです。
ヤクは標高3000m以上に住む動物です。
性格がおとなしいので、荷物の運搬に使われているようです。
これからずっと我々の荷物や食料を運んでくれます。



いよいよトレッキングに出発です。
シャルパの頭(かしら)をサーダーと呼んでいます。
コックにはコック長がいます。
サーダーはポーターも管理しているようです。
先頭をシェルパ、最後をサーダーが歩きます。
総勢10名のグループになりました。



ルクラの街にもこのようにいろんな店があります。
山の道具もたくさん並んでいます。
今はまだ出発したばかりです。
帰りにここで1泊します。
時間があれば見て廻れると思います。


ケレンボード

道の脇で若者が何かしています。
「ケレンボード」といっておはじきとビリヤードを
ミックスしたような遊びだそうです。
平たい石を指で弾いて四隅の穴に玉を入れて点数を
競うようです。


マニグルマ

大きなマニグルマがあります。
これを廻せばお経を唱えたことになるそうです。
廻すと鐘がなってよい音が響きます。
随所にありました。


ゲート

ゲートに差し掛かりました。
ここからが本当のスタートのようです。
横にいるゾッキョは我々のものではありません。
2頭のゾッキョとポーター達は先に出発しています。


パサン・ラム

「パサン・ラム・メモリアル・ゲート」と書いてあります。
真ん中に女性の胸像があります。
「パサン・ラム」はネパールで初めてエベレストに
登った女性だそうです。
彼女は残念ながら帰ってくることができなかったそうです。



ゲートをくぐると急な下りが続きます。
正面にヌプラが大きくそびえています。
これからあの山に向かってトレッキングします。
ここまでロッジから約1時間の歩程でした。
空は眩しいくらいに晴れています。
気温は10℃でしたが、シャツ1枚で丁度よかったです。



エベレスト街道(1-7)

2009-11-23 | 海外の旅
国内線

翌朝は4:30モーニングコール、5:00朝食、
5:30出発です。
カトマンズ空港の国内線に着きました。
荷物はトレッキング中に使うものをダッフルバッグに
入れるよう指示がありました。
大きなスーツケースなどはホテルに置いて行きます。
私の場合は特に置いて行くものがなかったので、そっくり
持って行きました。



朝日が眩しいくらいです。
ここでハプニングがありました。
我々の乗る飛行機が見当たらないようです。
マイクロバスに乗って空港内を30分くらいグルグル
廻って探していました。



やっと乗る飛行機が見つかりました。
プロペラエンジンの小さな飛行機です。
「タナ航空」といって「星のマーク」が目印です。
あとは無事に飛んで貰うのを祈るだけです。



全部で18人ほど乗れます。
席は自由席だというので、前から2番目の窓側を確保しました。
操縦席がすぐ前に見えます。
離陸前にキャンディと綿が配られました。
綿は耳栓に使うようです。

雲海

何とか無事に離陸しました。
確かにエンジンの音がうるさいです。
眼下には雲海が広がっていました。

ルクラ空港

約40分くらいのフライトでルクラに到着しました。
ルクラ空港は標高2800mの高地にあります。
滑走路が400mくらいの小さな空港です。
谷から入ってきてこのスロープをうまく使って
離着陸しています。
気温は10℃くらいでしたが、風がないので寒くは
ありませんでした。



乗ってきた飛行機です。
タナ空港はこれを3機持っていてピストン輸送して
いるそうです。
こんな小さな空港ですから、濃霧などの悪天候だと
飛びません。



ルクラ空港は全体にこんな感じです。
奥の建物が空港の出入り口になっています。
ネパールでは国内線は水の持ち込みはOKです。
ホテルにあったサービス用のミネラルウォーターを
1リットルザックに入れて持ってきました。
3日間くらいは大丈夫のようです。



空港から歩いて10分くらいのロッジに入りました。
ここで今回お世話になるシェルパと合流しました。
トレッキング中はシェルパが2名同行します。
他にコックが数名同行するようです。

カリヤルン

ロッジの奥に大きな山が見えていました。
カリヤルン(6611m)といっていました。
早速ヒマラヤの山がお出迎えしてくれたようです。

ルクラリゾート

ルクラは周りを山に囲まれた小さな村です。
ロッジの後ろにも大きな山がありました。
このロッジで暖かい飲み物を頂きました。
帰りにここで1泊します。




シェルパやポーターが我々の荷物とこれから山で使う
食料を袋に詰めています。
今回は荷物の運搬にゾッキョを使いました。
ゾッキョとは牛とヤクの交配種で性格がおとなしいので
荷物の運搬によく使われるようです。
奥に白く見える山がカリヤルンです。




出発までの時間、ロッジの周りを散策しました。
小屋のすぐ近くにナスタチュームが咲いていました。
日本でもたくさん見かける花です。
こんな標高が高いところでも咲く花のようです。
懐かしい思いがしました。

エベレスト街道(1-6)

2009-11-22 | 海外の旅
古いお寺

これらのお寺は15~18世紀のものだそうです。
昔、何かの雑誌でみたことがありますが、実際に
見たのは初めてです。
カトマンズの代表的な風景のようです。



道端で干物を売っていました。
川魚のようです。
一度水で戻して煮て食べるようです。
無造作に並べられていました。



ここでは豆類が売られています。
特に市場という訳ではないのですが、人が多く出る
ところではこのように食べ物を並べて売っています。


輪タク

観光客目当ての「輪タク」が並んでいました。
日本の浅草などにも「人力車」が多くなりました。
10分間¥1000でした。
この「輪タク」はもっと安いと思います。



夕暮れに近い時間です。
たくさんの若者がたむろしていました。
日本の繁華街のような派手さはありません。
それぞれの時間を楽しんでいるようでした。

シバ神

窓から下を覗いている「人形」がいます。
「シバ神」だそうです。
シバ神はヒンズー教の三大神の1人だそうです。
こうやって街を歩く人々をジッと眺めているようです。

屋根の上のヘビ

屋根の上から下まで長く延びた「ヘビ」がいます。
ヘビも神様の使いとして崇められているようです。
相変わらず街の中はたくさんの人で混雑していました。




ここにはたくさんのお寺が建っていました。
どの角度から撮っても「絵」になる風景でした。
日がどんどん落ちて行きます。



何故か牛がゆうゆうとしていました。
ヒンズー教では牛は食べません。
日本では「野良犬」がいますが、これは「野良牛」だそうです。
街の中で勝手に生活しているようでした。

閻魔大王

大きな壁画があります。
「閻魔様」だそうです。
みんな盛んにお祈りしていました。



少しズームしてみました。
閻魔様というと怖い顔を連想しますが、これは優しい顔を
しています。
よく見ると片手に刀、もう1方の手には手首を掴んでいます。
これから「お仕置き」をするところでしょうか?
マリーゴールドの花のレイできれいに飾られていました。


民族舞踊

古い街の散策を終えて一度ホテルに帰りました。
再びバスで夕食に出掛けました。
ここは日本でいえば「古民家風」の食堂です。
座敷に座って食事をしていると「民族舞踊」のサービスが
ありました。
昔の農村の踊りだそうです。
「ロキシー」という強いお酒を頂きましたが、飲み口がよく
何度もお代わりしました。



ネパールのお金です。
日本から円を持って行けばホテルで両替できます。
今回は現地ガイドが¥3000パックを用意していました。
¥3000=RS2365(ルピー)でした。
この換金率は毎日変わります。
これから山に入るのでそれほど使わないと思いましたが、
とりあえず2パック両替しました。

いよいよ明日はカトマンズからルクラに飛んでトレッキングの
始まりです。



エベレスト街道(1-5)

2009-11-21 | 海外の旅
カトマンズ市内

このお寺からカトマンズ市内が一望できます。
全体に緑より茶色が多い感じです。
建物はほとんどがレンガでできています。
遠くに白い山が見えます。
ヒマラヤの1部のようでした。



少し右にカメラを振ってみました。
画面の左に煙突のようなものが見えますが、古い塔だそうです。
その左の森が元王様の住まいがあったところのようです。
カトマンズの街を眺めるのは初めてでした。



太陽がだいぶ西に傾いてきました。
ヌンチョが風に揺れています。
静かな雰囲気が漂っていました。


お寺をグルッと一回りして降りてきました。
建物の一角にきれいに着飾った女性のグループがいます。
結婚式か何かのお祝いがあったようです。
ネパールの女性はお腹の肉が出ているほど美人だそうです。
布を巻きつけても落ちないからのようです。
日本で腰に贅肉がついたら、ネパールに行けば美人として
扱われます。
心あたりのある女性(ひと)はぜひネパールに移住してください。


水場

ここは水場です。
市内にもところどころにこのような水場があります。
ここで水を汲んで持ち帰るようです。
ネパールの水は硬水といって日本人のお腹には合いません。
生水は絶対飲まないほうがよいです。
ミネラルウオーターなら大丈夫です。



お寺に別れを告げて市内に下りてきました。
今度は別の古い街を見学します。
レンガ造りの建物が多かったです。
地震が少ないからのようです。



これは古い木造の建物です。
柱や軒先に彫刻が施されていました。
ここは街全体が世界遺産になっているそうです。
カトマンズ市内だけでも7つの世界遺産があると
いっていました。



これもかなり古い建物です。
夕方でしたが、たくさんの人が出ていました。
「迷子になったらタクシーを拾ってホテルに帰ってください。」
と現地ガイドにいわれましたが、タクシーがどこを走っているか
わかりません。
ガイドが見える範囲で歩きました。



レイを売っています。
マリーゴールドの甘い香りが漂っていました。
自分達で造ってきて売っているようです。
値段は聞きませんでしたが、それほど高いものでは
なさそうです。



このように無造作に積まれています。
ここのマリーゴールドは背丈が1m以上にもなる
大きな花でした。
この時期は花が少ないのですが、この花だけは
たくさん見かけました。
お祝い事には欠かせない花のようです。




かなり古い街です。
車も人も自転車も勝手に通っています。
ここには「歩行者優先」などというルールはないようです。
向こうからくる車が「タクシー」です。
前面ガラスに大きく「SUZUKI」と書いてあります。
もう少し歩きます。


エベレスト街道(1-4)

2009-11-20 | 海外の旅
ヒマラヤ山脈

ラサを飛び立った飛行機は途中で大きく右に角度を変えて
ヒマラヤ山脈に入ります。
大きな山が見えてきました。
しかし雲がかかっていてどの山かわかりません。
でも素晴らしい景観でした。

エベレスト

しばらくすると機内がざわめいてきました。
右にエベレストが見え出しました。
思い切ってズームで狙って見ました。
念願のエベレストです。
この姿は飛行機でしか見られないそうです。
これから地上を歩いてこの山に会いに行きます。



エベレストが過ぎても大きな山が連なって見えます。
日本の北アルプスのようですが、山のスケールが違います。
このヒマラヤ越えはこの時期が一番よいそうです。
機内はしばらく興奮していました。



カトマンズが近くなったようです。
外の景色が変わってきました。
カトマンズもかなり広い盆地のようです。
そろそろ着陸します。

歓迎

手続きを終えて空港の外に出てみると、賑やかな音楽が
聴こえてきました。
我々を歓迎してくれているようです。
今回はエベレスト街道に7名、ランタン谷に9名、
それぞれのツアリーダーを入れて18名が行きと帰りだけ一緒です。
ランタン谷の10名のうち、男性は3名で残り7名は女性でした。
さすが日本の女性パワーは凄いです。
我々のほうはツアリーダーを含めて女性が4名、男性4名です。



この歓迎サービスは地元のツア会社が企画したもののようです。
一緒に行ったツアリーダーも知らなかったといっていました。
ネパールでは結婚式などのお祝いの時このような音楽隊が
街を練り歩くそうです。
空港を出たところでそれぞれにレイを掛けられました。
空港の出口からバスのところまで賑やかに先導されました。
思いがけないハプニングでした。



カトマンズは標高1300mのところにあります。
降りた時の時間は午後2時でした。
日本とはマイナス3時間15分の時差があります。
時計を現地時間に合わせ、体内時計もしっかり修正しました。
とりあえずバスでホテルに入ります。
窓の外を見ると民族衣装に身を包んだ女性が歩いています。
2年ぶりのカトマンズです。
昨年は夜中に着いたので、外のようすはわかりませんでした。



ホテルは5つ星の立派なホテルです。
昨年も泊まりました。
今回の男性4人のうち1人はご夫婦、残り3人は単独参加です。
ローテーションを組んで宿泊することにしました。
最初は私が1人で大きな部屋を独占です。
相手がいないので、これから一緒に歩くザックにレイをかけて
あげました。
花はマリーゴールドの花で、甘い香りが漂っていました。



時間が早いので、カトマンズ市内の観光に出掛けました。
費用は1人$30でしたが、日本円で¥3000払いました。
最初に行ったのがこのお寺です。
世界自然遺産になっているところだそうです。
大きな眼は仏陀の眼だそうで世界中を見つめているそうです。
縦の旗はタルチョ、横になびいているのはヌンチョと呼ぶそうです。
それぞれの色に意味があります。



大きな塔がありましたが、工事中でした。
丸い輪は13個あります。
日本の五重塔の九輪塔のようなものだと思います。



ここにはいろんなお寺がありました。
ほとんどが15世紀から18世紀にかけて建てられたそうです。
このお寺は正面からの撮影は禁止でした。
これは裏側ですが、きれいな彫刻が施されています。



お坊さんが二人座っていました。
「写真を撮っていいか?」と聞いたら快く応じてくれました。
ネパールでは写真に撮られることを極端に嫌う人がいます。
一応断ってからカメラを向けるのがマナーのようです。



このお寺にくるにはこの長い階段を登ってこなければならない
そうです。
途中に野生の猿もたくさんいました。
我々はバスでかなり上まで上りました。
足腰を鍛えるには階段を登るのもよかったかも知れません。
ヨーロッパあたりからの観光客も多かったようです。







エベレスト街道(1-3)

2009-11-19 | 海外の旅

今度はかなり高そうな山が見えてきました。
風が強いのか雪煙をあげています。
だいぶ遠いので何という山かわかりませんでした。



これは左側に見えましたので、スークーニャンだと
思います。
中国でも有名な山です。
麓ではブルーポピーが咲くと聞いています。
いつか行って見たいところです。




次々に雪を被って山が見えてきます。
3列の真ん中の席だったのですが、窓側の人に断って
膝の上に乗るようにして撮影しました。
山脈の上のほうは茶色くなっています。
どうやらチベット高原のようです。



機内サービスがあります。
ここは国内線なのでビールはありません。
ソフトドリンクに簡単なパンの食事です。
コーヒーは美味しかったです。



荒涼とした山が現れました。
チベットの山のようです。
まったく緑がありません。
遠くの山にはうっすらと雪が積もっていました。




日本の北アルプスのようにも見えます。
窓側ならもっとよく見えたことだと思います。
時々隣の人に断って窓の下を覗きました。



大きな谷に川が流れているようです。
人が住んでいるようすはまったくありません。
地球にはまだまだ不毛地帯があるようです。

ラサ空港

約1時間くらいのフライトでラサに到着しました。
ここで中国からの出国手続きをします。
手荷物を持って一度降りて再び検査をして同じ飛行機に
乗ります。
面倒ですが規則なので仕方ありません。



ラサは標高3200mあります。
ここにいきなり降りると高度障害を起こす人がいます。
山にはまったく緑がありません。
空の青さが眩しいくらいでした。
気温は6℃でひんやりしていました。



広い飛行場です。
ここなら拡張工事をしても何も障害になるものは
なさそうです。
中国の西寧から5000mの峠を越えてラサまでくる
鉄道があります。
青蔵鉄道と呼ばれ、かなり人気があるようです。
ゆっくりした鉄道の旅もよいかも知れません。

ナムチェバルワ

無事に出国手続きを終えて再び同じ飛行機に乗り込みました。
これからヒマラヤを越えてカトマンズに入ります。
飛び立ってしばらくすると左側に大きな山が見えて
きました。
左の窓側に座っていた女性が手招きをして席を譲ってくれました。
ナムチェバルワのようです。
日本の登山隊も何度か挑戦している山です。
これからまだまだヒマラヤの大きな山が現れてくると
思います。




エベレスト街道(1-2)

2009-11-18 | 海外の旅
成都空港

成都空港には当然ながら中国国際航空(CA)の飛行機が
たくさんあります。
空は北京より少し晴れていました。



空港から出迎えのバスでホテルに向かいます。
高い建物は管制塔です。
例によって中国の略字が目につきました。



成都市内です。
日本とは時差がマイナス1時間です。
人口は約9000万だそうです。
四川省の中にある大都市です。
山に近いので、冬は霧が多いそうです。

パンダ

ホテルは銀河王朝大酒店というホテルでした。
玄関入り口に大きなパンダの壁画があります。
水が流れ、夜にはこのようにライトアップされていました。
四川省は「パンダの故郷(ふるさと)」といわれています。



ホテルの窓から外を見ています。
この日もやはり霧が濃かったようです。
中国は携帯電話の普及が進んでいて、新しい機種も
たくさん出ているようでした。
ちなみに私の携帯も3Gで電源を入れたとたん、日本からの
メールが数通入ってきました。

四川料理

夕食は四川料理に案内されました。
中国元を持っていなかったのですが、日本円で1人¥1000で
食べることができました。
ビールはビンで1本¥300でした。
マーボ豆腐はかなり辛かったです。
右のオコゲは人気がありました。



ホテルに帰ってきたら、玄関入り口にこのようなテロップが
流れていました。
なかなか立派なホテルでした。
帰りにもここに1泊する予定です。




翌朝は5:00モーニングコール、5:20ロビー集合、
5:30出発です。
朝食はサンドイッチの弁当でした。
空港でも慌しいというので、バスが到着する前に食べました。
成都空港はかなりきれいな空港でした。

濃霧

手続きを済ませ、飛行機に乗り込みました。
予定では7:40出発です。
ところが霧が濃くてなかなか出発しません。
3時間遅れて10:30にやっと出発しました。
中国の国内線が遅れるのは珍しくないようです。
シルクロードに行った時は6時間遅れたことがあります。
航空会社から食事がでて、空港内で食べた思い出があります。




これから横断山脈を越えてラサまで飛びます。
しばらくすると大きな山が左に見えてくれました。
座席は右の真ん中でしたが、左の窓側に座っていた中国女性が
快く席を立ってくれました。
スークーニャンだといっていましたが、私には梅里雪山(ばいりせつざん)
のように見えました。

横断山脈

横断山脈は中国の西に位置する山脈です。
ラサまで続いていてその先にヒマラヤ山脈があります。
右奥に先ほどの山が見えます。
かなり離れていました。
この上空を飛ぶのは初めてです。
右に行ったり、左に行ったりで機内はかなり騒然として
いました。



エベレスト街道(1-1)

2009-11-17 | 海外の旅
11月6日から15日までエベレスト街道を歩いてきました。
昨年のアンナプルナ・ダウラギリに続いて2回目のヒマラヤ
トレッキングでした。
今日から2回に分けて旅のようすをご紹介します。

荷物

成田集合が午前7時と早いので、空港近くに前泊しました。
「旅の荷物はできるだけ軽く」を心掛けています。
今回もこれだけの荷物にしました。
ダッフルバッグに登山靴や着替えを入れてあります。
ザックには雨具や防寒具等です。
最近、飛行機への持込が厳しいので、液体物は何もありません。
ダッフルバックが6キロ、ザックが5キロ、両方で11キロでした。


搭乗口

今回は中国の成都に泊まって翌日ヒマラヤを越えてカトマンズに
入ります。
カトマンズまではエベレスト街道組みとランタンヘリ組みが
一緒に行動します。
エベレスト組みが7名、ランタン組みが9名でした。
それぞれに日本からのツアーリーダーが同行します。
中国国際航空を利用しました。



搭乗する飛行機です。
便名はCA422、北京経由で成都に入ります。
手荷物検査が厳しく、液体物やマッチ、ライターの持ち込みも
できません。


機内

機内のようすです。
片側3列の座席です。
カーテンの奥はビジネスクラスになっています。
全部で200人くらい乗れるようでした。



成田から北京までは約3時間30分くらいです。
1度北京空港で降りて中国への入国手続きをします。
その度に荷物検査を行ないます。
中国と日本とはマイナス1時間の時差があります。



ガラスの奥が通関です。
ここで入国手続きと荷物検査を受けます。
荷物は開けて内部まで調べます。
その後、再び同じ飛行機に乗りました。

北京空港

北京空港はガスが多いそうです。
この日も降りたら、石炭の匂いがしました。
中国ではまだまだ燃料に石炭を使っているようです。




霧の中から飛行機が姿を現しました。
オリンピックの時は工場の操業を制限しました。
それでも煤煙の匂いは消えなかったようです。




中国への入国手続きが終るとまた同じ飛行機に乗ります。
但し、今度は国内線扱いです。
これに乗って成都に向かいます。

機内食

すぐに機内食がでました。
ご飯を挟んで肉の炒めた物とキャベツを茹でた物があります。
左奥はダイコンとニンジンの酢の物です。
国際線ではビールがオーダーできますが、国内線では
ソフトドリンクだけです。

成都空港

成都空港に到着です。
北京から約2時間30分のフライトでした。

時間は現地時間で午後3時40分でした。
ここで迎えのバスに乗り、ホテルに向かいます。
気温は15℃くらいで寒くはありませんでした。







エベレスト街道

2009-11-16 | 海外の旅
◎速報

昨夜遅く無事にネパールから帰国しました。
まだ写真の整理ができていません。
とりあえず1枚だけご紹介します。


エベレスト


標高4000mから眺めた景観です。
左からエベレスト、ローチェ、一番右がアマダブラムです。
詳細は記事の中でご紹介します。