彦四郎の中国生活

中国滞在記

十数年ぶりに見る「京都時代祭り」❶―秋の京都を彩る絢爛豪華な歴史絵巻だった

2022-10-26 06:03:07 | 滞在記

 10月23日付京都新聞には、「秋の京 彩る 歴史絵巻」「秋の京 豪華行列に酔う 3年ぶり時代祭—沿道に6万3千人」などの見出し記事が掲載された。2020年からのコロナ禍下による中止以来、3年ぶりの開催となった。私は2013年9月から中国に赴任している関係から、この時期の京都時代祭りを見るのは十数年前に京都御所で見て以来となった。

 1868年に、京都から江戸(東京)に都が遷都された。この1868年の明治維新の時代からさかのぼり、古代の平安・奈良時代末期(794年前後)までの約1100年間、京都(平安京)が日本の都だった時代の歴史を物語るのが「京都時代祭り」だ。約2000人の時代衣装を身にまとった人々と物、そして約70頭の馬、2頭の牛が行列を作る。

 毎年10月22日に開催される時代祭り。正午12時に京都御所を出発し、丸太町通り、烏丸通り、御池通り、河原町通り、三条通り、神宮道などを行列は行く。そして、午後2時半頃に、行列の先頭は平安神宮に到着する。(行列の最後尾が平安神宮に到着するのは午後3時半頃となる。約2000人の行列は2kmにも及ぶ。)  京都御所、京都市役所前、平安神宮前の3箇所には観覧席(有料)が設けられる。だが、この時代祭りの巡行の行列を最も間近で見られる場所は、道幅が狭くなる平安神宮手前の神宮道。

 10月22日(土)、この京都時代祭りを久しぶりに見るために京都市内の神宮道に向かった。神宮道を行列の先頭が通過するのは午後2時10分。これに間に合うように道を急ぐ。京阪電鉄の「三条駅」から地上に出ると、三条通りの沿道はもう人で、ずらっとあふれていた。10月22日が今年は土曜日となり、3年ぶりの開催でもあるためか、沿道の人々のこの祭りへのすごい期待と盛り上がりを感じた。沿道の歩道に人があふれて通行しにくい三条通りを避けて、脇道の細い通りをぬけて神宮道に向かう。途中、白川の流れには、季節の花である金木犀(きんもくせい)が咲き香り、橙色に色づいた柿が川面の上に‥。平安神宮の大鳥居が見えてきた。京都市京セラ美術館前の欅(ケヤキ)の大木がすでに紅葉していた。

 ―平安神宮と時代祭—

 平安神宮は、明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して創建された。「平安京遷都」の794年10月22日を記念して、毎年10月22日に、京都市民あげて始められた祭りが「京都時代祭」だ。各時代行列は、平安神宮の創建と同時にそのその維持母体として組織された全市にわたる市民組織「平安講社」や「学区」、「保存会」などによって執り行われている。行列は、明治維新から平安時代へ遡る倒叙法で構成され、当初6列(6時代)だった行列も、折々に加増され、現在は20列(20時代)、およそ2000人もの大行列となっている。

 ちなみに、京都三大祭りにおいて、それを執行する社(やしろ)は、次の三神社となる。①5月の葵祭りは上賀茂神社、②7月の祇園祭りは八坂神社、③10月の時代祭りは平安神宮。その三つの祭りともに、京都の町衆によって支えられている。

 時代祭りの先頭が神宮道にやってきた。先頭を行くのは、京都府警の男女二人による騎馬警官。その後を、「1300年に向けて いつも新しい古都」の横断幕を持った時代衣装を身にまとった女性たちの列。時代祭と書かれた幟(のぼり)。そして、明治維新の「維新勤王隊」の笛や太鼓、鉄砲や刀で武装した隊列が行く。

 この「維新勤王隊」の隊列だけでも100人をはるかに超える人。♪ピーヒャラ、ラッタッタと軽快なリズムに錦の御旗がひらめく。丹波の国、北桑田郡山国村(現在の京都市右京区京北町山国地区)から官軍に参加した「山国隊」の姿に倣ったもの。当初は山国村有志がこの時代祭に参加していたが、途中で参加できなくなったため、大正10年(1921)から平安講社第8区(壬生・朱雀学区)が引き継ぎ「維新勤王隊」として参加している。行列の中には、大人たちとともに、5〜6年生の小学生たちや中学生たちの姿も見られた。この学区の小学・中学生たちなのだろう。このようにして、時代祭を世代に受け継がれていく。

 

 

 


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