長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

一円は一縁かもなんばん

2016-01-13 08:11:56 | Weblog

中里恒子さんの「時雨の記」を読み終えた。

古本屋で見つけた雑誌の中でこの本を知り、ネットで「一円」と送料で注文したら、次の日に届いた。

一行が、百万、いやそれ以上の価値のある小説だ。

ひと山ふた山越え、そろそろ人生も残りのほうが少ない、という時に読むにいい。お茶とか軸とか

花とか器のことが少しわかれば、もっといい。男と女の割り切れないものを何度か経験したりした後に

読むともっともっといい、と思う。酒は独酌に限り、男と女は、ひめごとに限る、という実感がわくような本。

今年は還暦だし、ということは、まわりも同じ「くくり」の人も多いし、九州の友や大学の友

あたりから、なんやら会、みたいな提案がメールできたり、実際昨年あたりは、わざわざお店に

きてお誘いを受けたりすることが、あった。もちろんていねいにお断りさせていただいている。

「還暦にホノルルマラソンにいこう」というお誘いも年末に受けた。これも少しこころが動いたけど、

お断りした。はげた頭に鉢巻まいて走る、というのは自分の美学に少し反する。昔つきあった人

なんかが、「あ、見つけた」ということがあっても、そっとしておいてね。もう禿げたおっちゃんになってるし・・

昔から変わらない夢がある。

「海辺の小さな掘立小屋に住み、朝まずめに1時間釣りをして、それから20人分の蕎麦を打つ。

そばがなくなれば晴耕雨読の時間があり、夕方に若いお弟子様がやってきて、朝釣った魚を

調理して、それを酒肴に海に沈む夕日でも眺めながら酒を飲む。」

こんなささいな夢ではあるが、来月から能登に移り住み、そんな生活を始めるお弟子様がいる。

生まれた土地と、大学時代を過ごした京都と、そのころからよく遊びにいった金沢あたりには、

前世からか、と思われる「縁」が少なからずあるようだ。夕べは、手取川の燗にしながら、本を読んだ。

「ああ、あの人はいまごろ何をしているのだろう」とか思う日がある。SNSとかいうもんで、オールドフレンドなんかと

繋がっていくのも一考かもしれない。でも「そっと」しておきたいものが、ひとつやふたつあってもいい。

日曜の「なんとなく蕎麦を喰う会」には、金沢出身のお弟子様が「つじうら」を土産にもってきて

くれたので、みんなでやった。金沢の正月菓子で、小さく折りたたんだおみくじがお菓子にはさんである。

「つじうら」とは「辻占い」の略。3つひいて、順番に読む。「かなう 昔の夢 ・・・ 」。最後は忘れた。

ぼくたちは、この星にきたほんの束の間の旅人。今、ここに居る、ことに感謝しながら毎日を過ごして

いくのが一番である。

今朝もお店の前の枯れ葉を、寒山拾得よろしく掃きながら、

ウィンドウの中の南條先生の額を読む。「泣くも 笑うも 人生よ」、と書いている。

今日明日は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」 ぞくぞくと「大型新人」が、老いぼれたしわだらけの指に

集まってくる不思議な今日このごろ。天恩感謝。