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長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

月曜の朝は卵かけごはん

2011-03-07 07:25:13 | Weblog
今日は朝から冷たい雨がふっている。
思えば、卵かけごはんの初日も雪だった。
一般の堅気の人は、月曜日の朝がスタートなのに、
ここんところ、足元が悪くて、ダッシュできへんね。

昨日は、めちゃくちゃに混雑して、熟練?の3人では
「こなせない?」くらいだった。自分が五十肩で少し
動きがにぶくて、足をひっぱってる感じもあるけど・・・
今日は、「なき後」も大丈夫なように、自分は蕎麦をうって、
その後は家にもどって、こうして珈琲カップ片手にブログを
書いたり、メールのチェックをしたり、新聞を読んだりしている。

新聞はあさひだけど、明日の読売新聞のコラム?かなんかに、
天真庵のことが紹介されるらしい。どんなこと書かれるのだろう?

今日の夜は「タイムドメインの日」だ。
池袋時代から、イワジーが、不思議なオーディオをかついで
もってきてくれる。聴きたいCDと、飲みたい酒、つまみたいツマミを
もちこんで、ワイワイ騒ぐ日。メンバーが、池袋時代から、あまり
変化がないので、我と思わんものは、デビューしてほしい。
門がない、結界もない開かれた日。でも禅寺に最初にいくような
緊張感があるのかもしれない。主催するこちらの問題ではあるが・・

明日は「英語で蕎麦会」
また新しいメンバーが加わる。
春は入学のシーズンだ。

明後日はオーストラリアから友だちがくるので、新宿で飲む予定だ。

モンローさんと大石学さんのこと

2011-03-06 08:25:40 | Weblog
今日は啓蟄。冬眠していた虫たちも、春を感じてごそごそ
と動きだす。春近しを感じる季語だ。
先日の三味線と箏のライブの「万歳」という正月(春)を迎える
唄の中に、♪大鯛小鯛 鰤の大魚 鮑さざえ 蛤こ蛤こ 蛤々・・・
というくだりがあった。京都の市場の春のにぎわいを歌ったものだ。
生きとし生けるもの、虫も魚も貝も、鳥も、動物や木々や草や苔も、みんな仲間で
暖かい春がきたのを、楽しげにしている。啓蟄はそんな言霊。

昨日モンローさんが遊びにきた。マリリン・モンロー、うそ。
セシル・モンローさん。ジャズドラマーで、同じ文花一丁目に住んでいる。
昨年亡くなった浅川マキさんとも20年以上コンビを組んだりして、活躍している。
昨日は彼とよくコンビを組んでいる注目のジャズピアニスト・大石学さんのCDを
土産にもってきてくれて、流暢な日本語で、「こんどふたりで天真庵でライブを
やろう」というメッセージをもらった。昨日は1日そのCDを聴いていた。
落飾、とでもいうか、無駄がまったくない研ぎ澄まされた感性で奏でるピアノの
音から、声なき声みたいなメッセージが聞こえてくるような音だ。

夕方、高校時代に大石学さんと同じ高校だったN響の山根さんと、エリカ庵で
ぼくがえりさん、山根さんがりかさんに整体を受けながら、「いいね」「素晴らしいね」とかいいながら、こりこりをほぐしてもらった。
来週はN響はアメリカ公演。閉店後に、みんなで平井にラーメンを食べにいった。
「東京で博多ラーメン」ではないけど、「平井で谷中?」といった感じの名店が
ある。正確には「やなか草」という。スカイツリーを中心にして、半径5k以内で
ここが一番美味いと、自分はそう思う。作務衣をきた主人は、少し無愛想で、
強面(こわもて)だが、味は繊細。ま、ぼくと遠くない親戚なので、よろしく、
でもある。

明日は月曜日。月曜日の朝は卵かけごはん。
8-10で、週一で営業。「木曜日の朝きたら休みだった」とかいう声もあったり。
月曜、月見の卵。
火曜日が「かやく」とか「かゆ」とか「かしわめし」・・・慣れたらそんな
具合にしようかな?





残月

2011-03-05 08:31:58 | Weblog
昨日は初めて、箏と三弦のライブだった。
芸大時代の同級生、秋山恵子さんと、樋口美佐子さん
が、着物を着て、万歳(お正月の祝い唄)やみだれなどを
演奏してくれた。

秋山さんは、昨年の晩秋のころ、末期がんのお父さんを近くの
病院に救急車で運んだ後に、天真庵にきて珈琲を飲まれた。
その時に、ピアノを弾きながら、「来年の3月4日が父の誕生日
なので、その日に演奏会をやらせてください」ということになり、
昨日を迎えた。元気な時は、向島で遊んだというお父さんが、
結んでくれた不思議な縁であり、宴である。

休憩の後、秋山さんが、そんな話をした後に、地歌の名曲「残月」
を三弦を弾きながら、歌ってくれた。

作者・峰崎勾当(みねざき こうとう)が、大阪に住んでいた門人の娘さんが夭死したのを悼んで作曲されたものらしい。内田百の小説にもそれを題材にした『残月』がある。

♪磯邊の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の
光や夢の世を早う
覚めて真如の明らけき
月の都に住むやらん
今はつてだにおぼろ夜の
月日ばかりは廻り来て

今朝、ウォンさんの「ムーントーク」を聴きながら蕎麦を
打っていたら、昨日の演奏会の残り香が、残月みたいな
やわらい光みたいなものになって感じられた。
みんな淡い光に照らされながら橋を渡って、この世とあの世を
なんども往復していくのだろう。

今日は「エリカ庵」
えりさんとりかさんがやってきて、こりこりになった体を
ほぐしてくれる。
エリさんの妹さんは、名にしおう都一中節の名人だ。
1度、天真庵で演奏会をやってもらいたいと、ひそかに
思っている。

25日には、「リコーダーとギターの夕べ」がある。
演奏:富川勝智(ギター)・高橋明日香(リコーダー) 19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


ひな祭り

2011-03-04 08:45:57 | Weblog
昨日はブログを書いた後、本を読んでいたら、
「そうだ、今日はひな祭りだ」と思って、やっぱり田舎に
でかけた。昨年の今ごろ、真壁(まかべ)の石屋さん
に頼んで、珈琲の石臼をつくってもらった。その真壁と
は、町おこしのために、「ひな祭り」を企画した。古い
商家の残るまちのいたるところに、その家に伝わるゆかりの
ひな人形が飾られている。勝浦もそうだけど、「ひな祭り」で
町おこし、というのは、春をさきどりするような陽気な気分に
なっていい。小さな町に10万人くらい人がくる。

同じ作家の石臼をつかって、大豆を毎朝擦りつぶし、手作り豆腐と
蕎麦を食べさせてくれる蕎麦屋がある。そこで豆腐と、おからで一杯
飲んだあと蕎麦を手繰り、その後、峠をこえて笠間にいった。
小川甚八さんの窯の看板が目に入ったので、「ちわっす」と暖簾を
くぐった。織田流煎茶道の教室でも、ハレの時、つまりちょっとした
お茶会の時なんかに、彼の作った急須でお茶を入れたりする。
やさしい味の煎茶が、甚八作の汲みだし茶碗ででてきた。
思わず「たいへん、けっこうなおかげんで」といってしまう。
お茶が日常茶飯になり、ありがたさにかけたり、ほんとうの
おいしいお茶を飲む機会がなかなかないけど、彼の急須で
お茶が飲めたら、人生がより豊かになる、そんな気持ちになる。
焼締めの小ぶりの、まるで小雀(こがら)みたいな急須をひとつ
買ってきた。あたり前だけど、作家の家にお邪魔するのと、ギャラリーを
のぞくのは、意味が違う。作家の家にお邪魔するときは、「買う気持ち」を
もっていってほしい。

今日は「三味線と琴のライブ」の日だ。
リハーサルの前に新しい甚八さんの急須で小さなお茶会をしたいと思う。
あ、楽しみだ。「喫茶去」(きっさこ)

明日は「エリカ庵」





psという女性雑誌にでた!

2011-03-03 08:46:42 | Weblog
昨日と今日は連休。
連休の時は、東京を抜け出して、里山や温泉や農家があるところへ、
いくのいがならわしになった。きのうの夜は「かっぽれ」が
あったので、お昼に夏樹くんの「珈琲の樹」にいった。
きらきら橘商店街の出口(明治通に面したところ)にある。
毎日のように、日替わり店長がいて、モロッコ料理だの、スコーンや、
青木食堂など、いろいろ楽しめるところがいい。昨日は「チキンカレー」
の日だった。ぼくは、近くのspice cafeにいっても「チキンカレー」しか食べない。
今年はいっぱい義理人情チョコレートをもらったけど、チョコレートも、小学校のころから「ガーナチョコ」が大好物で、自分で買って食べるのは、あの赤い箱だけだ。
話が支離滅裂だけど、明日からspice cafeは、リニューアルオープン。先日みずみずしい新人スタッフさんたちが、蕎麦を食べにきてくれた。

昨日のチキンカレーも、タマネギが丁寧に炒めてあって、とてもおいしかった。
夏樹くんが「ピーエスにのってましたね」といった。「?」と思った。
いろいろ取材がきて、趣旨があわないのとか、のらないとこは、丁寧に
お断りさせてもらっているけど、ピーエスというのは初耳だった。
PS・・・プリティー スタイルの略らしい。「かわいい~」を連呼する
10代の女子たちをターゲットとした雑誌らしい。580円で、なんと、
くつした(ソックスといったほうが、かわいい?)のおまけ付。

確か先月、お客さんとして、その雑誌の人たちとモデルの女性が天真庵に
やってきた。「事前の打ち合わせなんかなしに、普通にお客さんとして
きて、その空気を伝えるような取材がしたい」といって、丁寧なプレゼンを
くれたのだが、頑固(仕事モード)に入っていたので、取材をお断りした。
に、かかわらず、今回の取材には、地図の中に「長屋茶房天真庵」が
載せてあった。しかも作務衣をきた庵主つまり自分が、かわい~く
イラストになっていた。それを観ながら、夏樹くんの珈琲を飲むと、
いつも以上に美味く感じた。人のこころや、味覚とはほんとうに不思議なものだ。

夜は「かっぽれ」だった。
蕎麦を打たなかったので、きのうは「ぼたん鍋」にした。
先月友だちの鉄砲打ちがもってきてもらった猪肉を
鍋にした。猪の赤い肉をスライスして、それをお皿に盛ると、
確かに「ぼたん」に見える。
それを味噌仕立ての汁に、野菜や蕎麦粉のすいとんや豆腐を入れて
食べる。かにを食べる時みたいに、みんなで無口になって、縄文時代
からわれわれの命を紡いでくれた猪くんに感謝しながら、酒を
飲んだ。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

美人を表現した風流な言葉だが、ぼたんは、食べてこそ価値がある。

明日は、天真庵に毛氈を敷いて、着物をきた美人ふたりがそこに座り、
三味線と琴を演奏してくれる。
秋山恵子さん、樋口美佐子さん、芸大で邦楽を学んだふたりの
しっぽりとした演奏を堪能したいと思う。
新しい1ページがめくられる気がする。なので、お店は4時に閉店。

明後日は「エリカ庵」
芍薬みたいなえりさんと、百合のようなりかさんが、コロコリに
なった体をほぐしてくれる日だ。
50肩になったけど、彼女たちのおかげで、軽い気持ちで、それに
つきあっている。意味のない病気はない。感謝。


蘇州夜曲

2011-03-02 09:30:17 | Weblog
昨日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語だった。
ダメから、という言霊がいい。だから、まいこ先生はじめ、
この言霊にひかれてくる人たちは、みんな不思議なオーラをもった
人たちで、この人たちと、勉強後に蕎麦を食べていると、大家族
のあたたかさ、みたいなものを感じる。
自然や人生には、右肩上がりとか、直線的なものは少ない。
ときどき挫折をしたり、たちどまって生き方を考え直したり、
またとぼとぼと新しい道を探して歩き出したり、いろいろたいへん
だけど、そんなところがおもしろいし、人間味という味の隠し味は、
挫折や煩悶をした人にこそ、醸し出す美味かもしれない、きっと。

昨日は「蘇州夜曲」(西條八十作詞)を中国語でうたった。

君がみ胸に 抱かれて聞くは
  夢の船唄 鳥の唄
  水の蘇州の 花散る春を
  惜しむか柳が すすり泣く


 花をうかべて 流れる水の
  明日の行方(ゆくえ)は 知らねども
  こよい映(うつ)した ふたりの姿
  消えてくれるな いつまでも


 髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
  君が手折(たお)りし 桃の花
  涙ぐむよな おぼろの月に
  鐘が鳴ります 寒山寺

寒山拾得(かんざんじゅっとく)ゆかりの寒山寺。
日本人のこころの原風景でもある。
昔から、お坊さんや画家たちが、好んで描いた
飄々と生きたふたりの姿。寒山は、洞窟の中で
ぼろを纏い、詩をつくったりしている。
「文殊菩薩」の化身といわれてきた。

拾得は、お寺に拾われ、典座(てんぞ)のように
炊事やほうきをもって、庭を掃除したりしている。
普賢菩薩の化身と、日本人は信じてきた。
大塚江戸一をこよなく愛したT先生の本には、
「そんなことを知らない日本人は、日本人ではない」
と書いてあった。でも、蘇州夜曲は、なんとなく歌い続けれれて
いるけど、寒山拾得のことは、知らない人が多い・・・
でもきっと、混沌とした後の次の時代は、また形をかえて、
ふたりの生き方、哲が、活躍する時代がきたようにも思う。

今日から、毎週水曜日と木曜日は連休。
この春から、押上にきて5年目に入る。
いろいろな会ができて、新しい友達や家族みたいな
人ができて、また新しい旅をする時期がきたように思う。
そんな意味では、もっともっと充電したり、勉強したりする
時間が必要だと痛感する今日このごろ。

今夜は「かっぽれ」
♪あ、かっぽれ、かっぽれ・・・

向島や、花街の地縛霊たちといっしょにアホになって踊る至福の時。

金曜日の「三味線と琴のライブ」も楽しみになってきた。
新しい時代がなんとなく近づいてきた感じがする。
5日(土)は、「エリカ庵」



さよならだけが人生か

2011-03-01 08:26:07 | Weblog
昨日は月曜日の朝なので、「卵かけごはん」の日だった。
やっと独身の人たちが、きてくれた。そのひとりが、昨年末に
錦糸町のオリナスの前に開店した「すみだ珈琲」の廣田くん。
今朝もかっぽれ仲間のくんからメールがきて、「明日のかっぽれ
よろしく」メールに、「昨日すみだ珈琲にいってきました」とあった。
1度いった人には、珈琲の味、江戸切子のカップ、雰囲気がたまらなく
なるみたいだ。これから生き残る店は「マタキタクナール」という
癖になりそうな要素をいくつかもたなくてはいけないみたい。
うちも精進しなくては・・・


夜は「順受の会」。冷たい雨が降りしきる中、いつものメンバーと新しい
メンバーがきて、カウンターまで座って論語の勉強会。これまでの成功体験
だけでは、これから先の人生を生きていけないような時代だし、今の道が
づっと続いていけるかなんて誰もわからない時代。それぞれが、勉強したり、
新しい哲で生きていかないと、明るい明日はこないような時代には、
論語や東洋哲学がいい、と思う面々が増えてきたように思う。
松田先生は、鹿児島にいるころから月にいっぺんのペースで上京し、
この勉強会を続けてきた。継続は力なり。中庸も力なりだ。
薩摩隼人の気骨を感じながら15年以上だ。
長州の原田先生も、齢80になるのに、月に一度上京され、
お花を指導されている。まことに、ありがたいことだ。

今日は「ダメ中」。まいこ先生が、名古屋大学に勉強にいくので、
来月からは、名古屋から月に一度上京されて、中国語を教えて
くださることになった。師走ではないけど、いい先生は忙しい。
今日はある意味で、送別会になる。


漢の詩人于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句を井伏鱒二先生が名訳した。

勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離



  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみつがしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ