長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

お休み

2008-01-10 09:29:52 | Weblog
春に天真庵が出来た時の案内をださなかったので、
年賀状ではじめて「天真庵が池袋から押上に移った」ことを
しったお客さんがたくさんいらっしゃる。
今日は今年はじめての定休日。こんな日に「わざわざ」遠くから
お運びにならないことを願う。

今日は銀座で「小堀遠州展」をやっているので、午前中に
仕事を片付けて、銀座で友だちと待ち合わせ。
その後、骨董やの支払が終わると、こころも財布も
空っぽになるので、その骨董でも眺めながら、お茶を
飲もうと思う。

夜は違う友達が、「おごってくれる」というので、
人形町の料理屋で待ち合わせ。
「鮨はおごられてこそ味がわかる」と、先輩がおっしゃったが、
そうかも知れない?と時々思う。
でも、やはり骨董とか食べ物は「自腹」でないと身につかない。

丹波の黒豆

2008-01-09 09:30:06 | Weblog
昨日の朝一番、アメリカから帰ってきたアーティストが蕎麦を食べにこられた。
彼の持ってきた英字新聞には、「マンハッタンの地価はまだまだ高騰」みたいな
記事が・・まったくあちこちで「ミニバブル?」。でもそろそろいろいろなものが
おわりになるような気がする。
彼も最初はソーホーにアパートを借りていたんだが、だんだん高くなったのでブルックリンに引越し、そして日本に帰ってきた。

2000年にソーホーのギャラリーで、南條先生の個展をやった。今は昔。
その近くにあった「ほんむら庵」も店を閉じたらしい。

昨日はひさしぶりに「丹波の黒豆」を、ことことストーブで炊いていたら、
丹後出身の木工をやる女性が、蕎麦を食べにきた。
黒豆を酒肴に、久保さんの鼠志野で、徳島の「若松」をヌル燗にして、
最後に蕎麦を手繰っていかれた。

金融もITもアメリカ的な市場経済が主流を流れているけど、日本人は、
「ことこと」「こつこつ」「はんなり」やっていくほうが、似合っているように
思う。

対馬の蕎麦

2008-01-08 06:57:52 | Weblog
年末に対馬の蕎麦をだした。
毎年、友だちがおくってくれる。今朝それを食べた
お客さんから「感動した」というメールをちょうだいした。

もともと蕎麦は大陸から対馬を通じて、九州にわたってきた。
いわゆる海のシルクロード。仏教とかお茶とか器なども同じ
道を渡ってきた。

九州は食の豊かなところなので、蕎麦というストイックな文化
が根付かなかった。

北九州に「芦屋」という町がある。お茶の世界では憧れの
「芦屋釜」を作っていたところ。国の重要文化財のほとんどが
芦屋釜。でも今ではその歴史が途絶えている。

どうも北九州という場所は、港みたいで、人や情報が行きかう
重要な交差点なんだが、その文化を育てたり、完成させていくのは、
また京都とか違う街が、やっていくみたい。

煎茶の世界では「初釜」のことを「初煎会」という。
昨日の朝、二階で初煎会「ちいさなお茶会」をやった。

そばがきぜんざい

2008-01-07 06:46:23 | Weblog
昨日、朝プロモーションビデオの撮影があったので、
その時間に焙煎と、小豆を煮て、初めて「そばがきぜんざい」を
つくった。
チーズケーキは、焼いている時に「うまいぞ!」とおいしいそうなにおい
がアピールして、ひとりが注文すると、インフルエンザみたいに感染
するけど、「そばがきぜんざい」は、自己主張がない。しかもメニュー
に書いていない。

でも逢い方の「煎り番茶」を作っているときは、部屋中がお茶の香りに
なる。「そばがきぜんざいと煎り番茶のセット」で650円にした。
昨日は、常連さんたちに、半強制的に食べてもらった。
お金ももちろんいただいた、けど、「うまい」と、なかば半強制的に
返事が返ってきた。お客さまは、神さま、ほとけさま、だ。

13日(日)は、「さとちき」と「ぼくさん」がライブをする。
昨日、さとちきの妹さんがおかあさんと遊びに来た。
全国を旅しながら、芸を磨いているけど、帰る家があるからこそ、
旅がまたおもしろい。
ぼくたちもみな「つかの間の旅人」だ。
つかのまだからこそ、悔いのない旅にしなくてはいけない。

消えた

2008-01-06 07:23:32 | Weblog
今長い文を書いて投稿したんだけど、タイトルが書かれていなかったので、
消えた!

今日は朝から、とある歌手のプロモーションビデオをお店で撮影するので、
このまま出陣。

風邪がはやっているみたい。みなさんお大事に・・

事始め

2008-01-05 07:19:26 | Weblog
今日から事始め。

やっと年賀状が書き終わって今日からまた仕事。
住所の変更も、お店の開店の案内も出してなかったので、
年賀状がバラバラに届いた。

来年からは、ほとんどがお店の住所・・・文花に届けばいい・・
けど、郵便受けが常設でないので、郵便やさんなかせかも知れない。

これまでIT関係の会社を経営していたし、そんな関係の会社が集まった
組合の理事長を長いことやっていたので、IT関係の会社からたくさん
年賀状がきていた。
でも会社の商品の説明しか書いてないものや、印刷だけのもの・・・
はこころが通っていないし、読む気がしないのと、返事を書く気が
しないので、この2年で500通くらい返事を書かずにおいた。
おけげで、かなり枚数が減ったけど、来るのは「気」がこもったものが
多いので楽しい。

なんでも機械がやるものより、人間がつくったもの、のほうが、
気持ちがこもっている、とつくづく思う。

酒々井の蕎麦屋

2008-01-04 14:51:35 | Weblog
今日は天気がいいので蕎麦粉の調達を兼ねて、酒々井の蕎麦屋にいく。
大晦日は300人分以上の蕎麦を打ったという店主が、元気そうに
笑顔で迎えてくれた。
酒々井とは、その字があらわすように、お酒の伝説があるところ。
養老の滝みたいな話が昔から伝わっている地。

ここの蕎麦屋は、印旛沼の蕎麦を、石臼でその日の分だけを挽いて、供してくれる。なかなか慈しみ深い土の香りがする蕎麦粉で、天真庵もお店ができる前から、
使っている。

まず、そばがきとビールを注文する。ここのそばがきは「昔風?」で、
かいたそばがきを、そばつゆに浮かべてでてくる。それを「かえし」とわさびで食べる。このいっぴんで、ビールなら一本。お酒なら2合はいける。
続いててんぷらをつまみにして、お酒を飲んでいると、もうのどが「グビグビ」
と鳴ってくる。
しめは、10割のせいろそば。蕎麦湯もやさしく体に染みていく。
主人と蕎麦談義をしながら、盃を重ねていると、やさしい時間が、ゆるりと
過ぎていく。

明日からまた仕事だけど、休みの日の「昼そば」は至福の極地だと、つくづく思う。

東京駅

2008-01-03 09:53:55 | Weblog
正月の東京は、人の数が少ないので空気まで凛
としていていい。地球温暖化もそうだけど、結局「人の問題」やね。

昨日は東京駅にいった。皇居に行く人や帰省する人の集まる場所なので、
ここはすごい人だった。年末に、友だちの妹さんが書いた「東京駅次郎」?
を思い出した。戦後のごたごたしていた時期に、東京駅に住み、靴磨きや、
切符を買う行列のアルバイトなどをしながら、生きていった子供たちの
物語。昭和40年代生まれの女性が書いた・・・ということにびっくりした。

でも、東京駅と周りのビルのラッシュには驚かされる。
みな景観なんか関係なしに、おれがおれがみたいに立っている。

2年前にできた「丸の内ホテル」のロビーで、友だちと待ち合わせて、
中国琵琶のライブを見る。日本のそれよりも、テンポがよく、津軽三味線
みたいな調べだった。
演奏が終わった後、地歌舞の侑峯(UFO)先生とお茶をしながら、京都とか
舞の話をする。

年賀状

2008-01-02 09:57:06 | Weblog
カウントダウンの蕎麦会が、予想以上に盛り上がって、
かたずけが終わって帰宅したのが、午前3時をまわっていた。
昨日は「金豊館」のおせちを食べながら、日本酒をだらだらと
飲んでいた。

今朝は元気と近くの北十間川の川べりを散歩していた。
セキレイや鴨も気持ちよさそうに遊んでいた。
さすがに「そば」を毎日のように食べているので、
鴨が遊んでいても以前みたいに「鴨なんばんが食べたい」
とは、思わなくなった。カウントダウンが終わり、
「亀戸天神にお参りにいって、亀戸餃子が食べたい」みたいな
ことをいった林太郎君の言葉を思い出した。
赤松林太郎君。不思議なピアニストが近くに越してきた。
彼のブログを読んでいると、押上や、錦糸町が、「アジア」であることを
再確認できる?天真庵の大晦日も紹介されている。

やっと今日年賀状をつくるか?という気分になってきた。
元気に「おめでたい格好」をさせようと、獅子舞のかぶりものを
させてみたけど、相変わらず、このかぶりものがきらいなようで、
表情が硬い?今年の春で11歳。人間でいうと、立派な「翁」だ。

5日から営業を始めます。
13日の夜は、「さとちき」と「松本樸」さんのライブをやります。