長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

白井晟一 精神と空間

2010-09-12 08:00:09 | Weblog
「長屋茶房天真庵」の公式サイトの中に「リンク」
というのがあって、そこに「白井晟一研究所」というのがある。
哲学を具現するような孤高な建築家・白井晟一さんのことが
紹介されている。その中に白井磨さんの書いた「ブログ」を発見した。
「柊心居にて」の末尾に、そんなのがあって、そこをクリックしたら、
9月9日のブログに、天真庵のことが紹介されていた。相変わらず、辛口
の評ではあるが、思わず、「くっすっ」と噴出してしまった。

昨日9月11日から、11月3日まで、群馬県立美術館で
「白井晟一 精神と空間」という展覧会が開催されている。

昨年の9月に元気が旅立った時、「かわりに」といって、
白井晟一さんが、生前愛用していた柱時計をいただいた。
毎日5分くらい狂うけど、しっかりと1年間、天真庵の中で
時を刻んでいる。コツコツと途切れることなく刻む瞬間瞬間の
刹那の中に、悲喜こもごもの人生が刻まれていくのがたのし。


ピアノの横の額「生」(白井晟一さんの書)も、この空間に、なくてはならないものに
なった。「生豆」「生そば」をあつかう店の「生」。生身の人間
たち、とりわけ奇人めいた「生○○」といわれるような人たちが、
どこからとなくやってくる空間。みんな生きている。死んだ人たちも、
思い出の中に生きている。

>倒れそうな古家をそれも美しくなく改装して長屋茶房・天真庵を営む野村栄一さん

この一行の文章が、「らしく」ていい。勲章をいただいたようなうれしさだ。
今朝もその美しくなく改装した長屋で、蕎麦を打った後に、珈琲を飲みながら、
柱時計や「生」を眺めていたら、幸せな気持ちになった。
「喫茶去」・・・若いころは、一発の中に喜びがあったが、年を重ねるにつれ、
一服の中に幸せな気持ちを発見できるようになった。 感謝。










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3 コメント

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Unknown (天真)
2010-09-13 07:32:10
白井さんの世界にふれていると、知らず
知らずのうちに、「哲」をしている感覚に
なります。だから昇華された後も、生きて
いるのでしょう。「生」。すばらしいことです。感謝。
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Unknown (Unknown)
2010-09-12 22:07:22
マンズ-の展示は見に行ってきました。
何の知識も見識もなかったですけど、
マンズ-美術館という具現化された意思の中で、
実現には至らなかった計画案が、周りを
取り囲むすべてのものに祝福され、
静かに、幸福に満ちておられたように思いました。ただそこで、丸木夫妻の原爆の図という言葉を見るとは思っていなかったのですが…。
その美術館は幼少のころ、何度か行ったことが。戦争の現実をただひたすらに突き付けた激しさを鎮魂するためと思うと、その計画案は一貫した精神の具現化としての真骨頂であったのではないか?と、妙に納得させられました。
磨氏のブログも拝見致しましたが、
群馬の展示も面白そうです。また個人的に別の視点で見れそう…。

消したい記憶も
消えない記憶も
伝えたい思いもいろいろありますが、
とりあえず、生きててよかった。


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Unknown (萬葉)
2010-09-12 17:20:04
滋味掬すべき修辞「美しくなく改装」
庵主の理念あってのこと、なかなか出来ることではありません。
「記憶の中から消え去る時が本当の死」
我が家の振り子時計は死んでいます。
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