昨日は「食の勉強会」だった。押上に天真庵がきて、はじめてプロジェクターを使って勉強した。
店頭には「遺伝子組み換えは使っていない」という表示が目立つけど、それにはトリックや抜け道
があるので要注意だということがわかった。原理原則を重視しると食べるものがなくなる。けど、
なるべく「自分で厨房にたち、味噌とか醤油とかは、自分で作るか、少し高くても、怪しいものが
入っていないものを選ぶ」ということが肝心らしい。外食するなら、「油」を使っていない食べ物を
選ぶ、というのも大事らしい。世の中は「和食」とか「健康・自然派」なんていう看板が流行っているけど、
おおよそ真逆のマーケットのほうが、かしましい・・・不思議な国ニッポンではある。
池袋時代は毎月「無門塾」という勉強会をやっていて、いろいろな分野で活躍する人を講師に
して、勉強会をしていた。「元気シール」に憑依しているTQ技術を研究している山田先生にも、なんどか
先生をやってもらった。「おひとりさま」を提唱していた岩下久美子さんも3度くらい先生をやってもらった。
これから、という時に海の事故で逝かれたのが今でももったいない気がする。
最初は女性が「おひとりさま」で、ひとりランチやら、カウンターにおひとり坐ってボリボリ・・みたいな軽い生活スタリル
のお洒落~みたいなところから始まったのだが、だんだん深くなっていき、これからは、結婚して「おふたりさま」に
なった人も、いつかまた「おひとりさま」になることをさとり、自分のためにどう生きていくかが問われる時代だ。
やっぱり基本的には「ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく」のが天地自然の理だと思う。友達とか家族
がいないとかいう意味でなく、自分の肉体も借りものでいつかお返しする。お金とか、財産とか家族や友達も
「借り物」だと思うとわかりやすい。「必要な時に神様が貸してくれ、必要がなくなると神様に帰す」
そう考えると最近はやりの「断・捨・離」というのも、べつにハウツーものを読んだりしなくて、「自分のため」
に少し考えてみたら、答えがすぐにでると思う。先輩たちの話を聞くと、「断・捨・離」でいちばん難しいのは
「人」らしい。誰か考えてもそうだと思う。人間というのは、人の人の間で、生き暮らしていく、不思議な生き物なんだ。
明日は「インヨガ」 坐るという字は、土の上に人がふたりいる象形文字。自我と自己のふたりがいて、それを
土の上で瞑想して調整する姿を現している。それが乱れているので、人は迷走するらしい。