長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ひさしぶりにプロジェクターを使う

2016-04-07 10:27:01 | Weblog

昨日は「食の勉強会」だった。押上に天真庵がきて、はじめてプロジェクターを使って勉強した。

店頭には「遺伝子組み換えは使っていない」という表示が目立つけど、それにはトリックや抜け道

があるので要注意だということがわかった。原理原則を重視しると食べるものがなくなる。けど、

なるべく「自分で厨房にたち、味噌とか醤油とかは、自分で作るか、少し高くても、怪しいものが

入っていないものを選ぶ」ということが肝心らしい。外食するなら、「油」を使っていない食べ物を

選ぶ、というのも大事らしい。世の中は「和食」とか「健康・自然派」なんていう看板が流行っているけど、

おおよそ真逆のマーケットのほうが、かしましい・・・不思議な国ニッポンではある。

池袋時代は毎月「無門塾」という勉強会をやっていて、いろいろな分野で活躍する人を講師に

して、勉強会をしていた。「元気シール」に憑依しているTQ技術を研究している山田先生にも、なんどか

先生をやってもらった。「おひとりさま」を提唱していた岩下久美子さんも3度くらい先生をやってもらった。

これから、という時に海の事故で逝かれたのが今でももったいない気がする。

最初は女性が「おひとりさま」で、ひとりランチやら、カウンターにおひとり坐ってボリボリ・・みたいな軽い生活スタリル

のお洒落~みたいなところから始まったのだが、だんだん深くなっていき、これからは、結婚して「おふたりさま」に

なった人も、いつかまた「おひとりさま」になることをさとり、自分のためにどう生きていくかが問われる時代だ。

やっぱり基本的には「ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく」のが天地自然の理だと思う。友達とか家族

がいないとかいう意味でなく、自分の肉体も借りものでいつかお返しする。お金とか、財産とか家族や友達も

「借り物」だと思うとわかりやすい。「必要な時に神様が貸してくれ、必要がなくなると神様に帰す」

そう考えると最近はやりの「断・捨・離」というのも、べつにハウツーものを読んだりしなくて、「自分のため」

に少し考えてみたら、答えがすぐにでると思う。先輩たちの話を聞くと、「断・捨・離」でいちばん難しいのは

「人」らしい。誰か考えてもそうだと思う。人間というのは、人の人の間で、生き暮らしていく、不思議な生き物なんだ。

明日は「インヨガ」  坐るという字は、土の上に人がふたりいる象形文字。自我と自己のふたりがいて、それを

土の上で瞑想して調整する姿を現している。それが乱れているので、人は迷走するらしい。