長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

原始的ぶつぶつ交換

2012-08-21 09:06:41 | Weblog
ときどき、友達の鉄砲打ちが獲物の猪とか鹿などを
おくってくる。お返しは、かえしと蕎麦をおくる。
お互いに至福の「ぶつぶつ交換」
bunkanの水曜日はカレーの日。ときどき「そばどん」(そばとうどんが合体したよな太麺)
をもっていく。と、またおかえしに「カレー」をもらったりする。これまた幸せなぶつぶつ交換だ。
昨日は、同じくbunkanで日替わり店長をする「はるちゃん」が、嫁ぎ先のナシ農園でとれた
おいしい梨をもってきてくれた。ときどき、夏樹経由で、「いろいろごちそうになっています」
という理由だった。なんだか、一対一の「ぶつぶつ交換」が小宇宙みたいにまわっているみたいで、
幸せな気分になった。確か彼女のお店は「まーる」。幸せまんだらがまわるまわる。

世界中で、食糧が不足しそうな昨今、「いい友達」がまわりにいると、なんとなく明るい気持ち
になれる。いい友達をつくるコツは、まず自分がいい友達になることだと思う。

今日は「書の会」
書いうのは、いろいろな和の習い事の中では、とくに「自分」がでる。すぐでる。
いい意味でも悪い意味でもすぐでる。
大まかにいうと、坊さんの字は、説教くさい字が多い。「無我」とか書いていながら、
自我のかたまりみたいな書もあまたある。
書家の字、というのは、額縁に入れるのを意識しているような「たくらみ」が見え隠れ
しているものが多く、こころに沁みる、というものが少ない。
やはり「自然体」で生きた市井の文人たちの「書」がいい、と最近つくづく思う。
天真庵のピアノの横に飾ってある白井晟一さんの「生」という字は、毎日見ていても
感じいるものがある。瞬間にして、理屈や説明がいらなく感動させるもの。
音楽もしかり。芸術のよさというのは、「真・善・美」の刹那が永劫の光をはなって
いるところだ。昨日は「論語の会」で、「知性のいきつくところは感性だ」、と松田先生がいわれた。
そのとおりだと思う。

今日の書が終わったら、旅にでる。

31日までお休み。31日の夜は「ねっと31 ジャズライブ」で国貞雅子が
歌ってくれる。彼女のうたも、書でいうと、坊さんと書家の字の、どちらかに似ていたり、
違ったりしたいるところを、うろうろしているようなところがある。
見知らぬ街のうらぶらたスナックのカウンターに座り、少し酒によって、ひとりで
つぶやくようにうたう。彼女がだれか、まさか歌手とは思わないけど、その鼻歌みたいな
歌にひきこまれていく、そんな肩肘はらないけど、酒で酔っているのか、彼女のうたに酔って
いるのか、区別ができないようなところで、自分世界を完成させてもらいたいと思う。
メールで彼女には「リクエスト」を頼んだ。

25日(土)のフジテレビのお昼の番組「サタブラ」に、大好きな「燕京亭」
がでることになった。関東圏だけの放映なので、見られないけど、見れる
人は見て。セシルモンローが大好きだったマンモス公園なんかも紹介されるかも。
彼も27日で一周忌。