長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ホクレアにのったろくさんが星になった。

2011-11-13 08:26:12 | Weblog
昨日、携帯にbunkanの夏樹くんから電話がなった。
営業中に携帯を彼が鳴らすなんて、よほどのことだし、
「そのこと」だと覚悟した。
ろくさんが死んだ。洒落にもならないけど、63で逝った。

ろくさんは、天真庵を改装しているころ出合った。それまではあかの他人で、
その他人がよそからきて古い家を改装しているよそもののぼくに、「古い木材を持っているのでつかって」と、木材をくれた。玄関から入ったところの床の木は、その木
が貼られている。聞くと、「将来、お店をやろうと思って持っていたのだが、
違反して運転免許がなくなり、しばらく仕事ができそうにないので、同じようなことを
実現させようとしている君にあげる」という理由だった。なるほど聞いていると、理屈
はとおるけど、50年も生きてきたけど、そんな親切な「他人」はあまりみたことが
なかった。今もって、そんな親切な人はみたことがない。

一昨年にろくさんは肺がんが見つかり、病院で手術をした。無事に手術がおわり、
退院してきたとき、天真庵で「ろくさんを励ます会」をやった。まだ咳がでていたけど、ギターを弾きながら、何曲か歌ってくれた。彼は長いこと、銀座のバーで歌って
いたことがある。夢を語りかけるような味のある歌を歌う。

その後、bunkanの斜め向こうの明治通りに、「ホクレア」という居酒屋をつくった。
彼の長年の夢がかなった。ホクレアとは、ミクロネシアあたりの木造のカヌー
の名称で、初めてハワイ島を発見したのもホクレアにのった旅人だということだ。
うちにきて、「ルービ!」と業界人ぽく注文し、目を輝かせながら、「ホクレア」
の夢を語っていた。
2週間前に、一度店にきた。もう「ルービ」は飲めず、蕎麦を所望した。
咳がでてときどきつらそうだったけど、蕎麦を手繰り、おだやかな顔で、
「人間いつか旅の途中で死ぬんだよね。でもそれまでは生きているんだし、
死を恐れたり、あきらめたりしてはいけないんだよ」と笑顔でいった。最後の
言葉になった。昨日亡骸になったろくさんの顔を見ていると、同じ言葉が
聞こえてきた。当たり前の理屈だけど、金言のような味わいがある。
すこし短い人生だったけど、夢をいつも追い続ける旅人として、まっとう
した素晴らしい人生だった。合掌。