長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

無事に江戸に入る

2011-08-11 09:54:36 | Weblog
昨日の夜、無事に江戸に帰ってきた。

今回は、久しぶりに、四国経由で九州にもどった。
愛媛では、南條先生の家にたちよった。
天真庵の二階に飾ってある寒山拾得の絵は、みな南條先生が
描いたものだ。時代的に温故知新、つまり「古い時代のもの、
考え方、生き方」に学ばないと、たちゆかないような様相になってきた。
そんな意味では、これからは「寒山拾得」がまた活躍する時代かも。

人間は「本来無一物」、ぼろを纏い、洞窟の中で生活をしている寒山の
生き方や、彼が残した「寒山詩」の中で、本来の人間のあるべきき姿などを
日本人は勉強してきた。寒山は、詩を書いたので、絵の中では、いつも筆
を持っている。ときどき、腹がへったらら、拾得(じゅっとく)のところへ
いって、ごはんをもらい、ふたりで飄々と、世俗を超越した世界を遊んで
いた。拾得は、お寺に拾われたので、そのように命名され、典座のように、
寺のまかないや掃除をまかされた。絵の中で箒をもっている。
日本人は昔から、寒山が文殊菩薩、拾得が普賢菩薩の化身だと信じてきた。

九州へもどり、星野村にいってきた。玉露で有名な村、星も水も風も
きれいな村だ。ひぐらしのカナカナカナ・・・と鳴く声や、川のせせらぎ
の音を聞きながら、玉露をいただいた。
玉露を一服した瞬間に体中の毛細血管が甘露な流れでいっぱいになる。
この大自然とともにある喜び、みたいな刹那に古人たちは「生きている」
という大刹那を感じてきたのだと思う。そんな不思議な体験をしたおけげで、
今回の九州でであったものの縁は、みな玉露みたいに濃かった。
まさに、天恩感謝、である。

今朝は、朝一番にお店にいった。10日間、Iさんにプランターの水や
メダカのえさやりなどを御願いした。御願いした以上に、愛情がいっぱい
そそがれていて、緑たちは元気だし、メダカも大きくなって泳いでいた。
さっそく焙煎をして、昨日たちよった陶芸家の久保さんのアトリエから
もってきた織部のデミカップで、濃い「ほぼぶらじる」を飲んだ。
隣の隣の「経師屋のくろさきさん」とも、ひさしぶりにあった。
やはり、何も頼んでいないのに、Iさんのことを、おとうさん
みたいに、あたたたく見守ってくれていたみたい。こんな世界遺産
みたいなコンシャエルジュが、この街にいるかぎり、この街は元気だ。
こんな元気な人がいる街には、spice cafeみたいに、元気なカフェ
がある。するとそこには元気な人が集まってくる。
全国津々浦々まで、限界集落とか、過疎がいちじるしい街があるけど、
「元気ややさしさをひろげよう」と思う人が、ひとりいるだけで、街や
村が元気になってくる。これからは、そんな「ひとり」が増えて、つながって
いけば、日本はまた元気になるのではないかと思う。