昨夜午後8時25分頃、江東区富岡の富岡八幡宮近くの路上で、
車から降りた富岡八幡宮宮司の富岡長子さん(58)が、
陰に隠れていた実弟の茂永容疑者に、
日本刀で斬りつけられ死亡する事件がありました。
更に、茂永容疑者は、彼と一緒に来た妻を殺害し、
自分も胸などを刺して自殺しました。
富岡八幡宮は、都内でも有名な神社ですので、
昨夜から大きく報道されていて、ご存知の方も多いかと思います。
富岡八幡宮には、2008年9月6日に行きました。
1627年(寛永4年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建された神社で、
徳川将軍家の手厚い保護を受けました。
社殿は、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失しました。
その直後の3月18日、被災地を視察した昭和天皇が富岡八幡宮に立ち寄り、
境内で被害状況の説明を受けた事があります。
毎年8月15日を中心に祭礼が行われ、
江戸時代から、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ
「江戸三大祭」の一に数えられています。
また、大相撲の発祥の地としても知られています。
江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まりますが、
トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。
その後禁令が緩み、1684年(貞享元年)幕府から、
春と秋の2場所の勧進相撲が、この富岡八幡宮境内で許されます。
以降約100年間にわたって本場所が境内で行われ、
その間に定期興行制や番付制が確立されました。
その後、本場所は本所回向院に移りますが、
その基礎は引き継がれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われ、
相撲にまつわる数々の石碑が建っています。
詳しくは、下記をご覧下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/57075640.html
このニュースで一番気になったのが女性宮司でした。
最近、女性の神職が増えていて、宮司をしている方も多いようです。
しかし、神社本庁では、特に祭祀に際して天皇から勅使が遣わされる勅祭社については、
女性宮司を認めないような話があります。
大分県の宇佐八幡宮では、宮司家の後継女性を宮司にしようとして、
神社本庁が認めず、本庁の幹部職員を宮司として送り込んで来たため、
訴訟にまで発展しました。
富岡八幡宮は、勅祭社ではないのですが、東京近郊の准勅祭社に指定されていて、
富岡長子さんを神社本庁に宮司として推薦していましたが、
7年に渡って神社本庁から返事がないため、神社本庁から離脱したと報じられています。
今回の茂永容疑者は、一時宮司になっていましたが、辞任したとの事です。
事件の背景には、宮司職を巡る確執があったのかも知れませんね。
車から降りた富岡八幡宮宮司の富岡長子さん(58)が、
陰に隠れていた実弟の茂永容疑者に、
日本刀で斬りつけられ死亡する事件がありました。
更に、茂永容疑者は、彼と一緒に来た妻を殺害し、
自分も胸などを刺して自殺しました。
富岡八幡宮は、都内でも有名な神社ですので、
昨夜から大きく報道されていて、ご存知の方も多いかと思います。
富岡八幡宮には、2008年9月6日に行きました。
1627年(寛永4年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建された神社で、
徳川将軍家の手厚い保護を受けました。
社殿は、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失しました。
その直後の3月18日、被災地を視察した昭和天皇が富岡八幡宮に立ち寄り、
境内で被害状況の説明を受けた事があります。
毎年8月15日を中心に祭礼が行われ、
江戸時代から、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ
「江戸三大祭」の一に数えられています。
また、大相撲の発祥の地としても知られています。
江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まりますが、
トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。
その後禁令が緩み、1684年(貞享元年)幕府から、
春と秋の2場所の勧進相撲が、この富岡八幡宮境内で許されます。
以降約100年間にわたって本場所が境内で行われ、
その間に定期興行制や番付制が確立されました。
その後、本場所は本所回向院に移りますが、
その基礎は引き継がれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われ、
相撲にまつわる数々の石碑が建っています。
詳しくは、下記をご覧下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/57075640.html
このニュースで一番気になったのが女性宮司でした。
最近、女性の神職が増えていて、宮司をしている方も多いようです。
しかし、神社本庁では、特に祭祀に際して天皇から勅使が遣わされる勅祭社については、
女性宮司を認めないような話があります。
大分県の宇佐八幡宮では、宮司家の後継女性を宮司にしようとして、
神社本庁が認めず、本庁の幹部職員を宮司として送り込んで来たため、
訴訟にまで発展しました。
富岡八幡宮は、勅祭社ではないのですが、東京近郊の准勅祭社に指定されていて、
富岡長子さんを神社本庁に宮司として推薦していましたが、
7年に渡って神社本庁から返事がないため、神社本庁から離脱したと報じられています。
今回の茂永容疑者は、一時宮司になっていましたが、辞任したとの事です。
事件の背景には、宮司職を巡る確執があったのかも知れませんね。