1週間ほど日記などを休ませて頂きました。
26日に母が他界したので、そのためにバタバタしていました。
母は7年ほど前から、サービス付き高齢者住宅でお世話になっていました。
昨年の敬老の日に、まだ百歳になっていませんでしたが、
菅義偉総理大臣や知事、市長からお祝いを頂いていました。
その頃から、百歳を意識していて、もう少しで百歳になると言っていました。
正月に施設に行った時は、元気でした。
認知症が進んでいたので、トンチンカンな所もありましたが、話は出来ました。
1月の中旬辺りから、血中の酸素濃度が低下する日が出て、食欲も落ちていました。
それで栄養が摂れるものと思ってアイスクリームや蜂蜜などを差し入れていました。
26日午前中に施設から、血圧が不規則になる時があるとの連絡を受けました。
その日の午前中、近所の方の葬儀があったので、
そちらに行ってから午後行きました。
弟にも連絡したところ、やはり午後行くとの事でしたが、
時間などは決めていませんでした。
ところが施設の駐車場で、ばったり彼と行き会いました。
二人でお袋の部屋に行ったところ、寝ている感じでしたので、
看護師さんと一緒に起こそうと声を掛けたり、手をさすったりしましたが、
起きません。
30分位、そうしていましたが、結果的にそのまま旅立ってしまいました。
ある意味僕と弟が来るのをお袋が待っていてくれたような感じもします。
とにかく二人でお袋を看取る事が出来ました。
享年99歳、あと2か月で100歳と言う感じでしたので、その点は心残りですが。
その後がバタバタしました。
取り合えず葬儀社を決めて、自宅に遺体を搬送してもらいました。
最近は自宅ではなく葬儀社に運ぶことも多いそうですが、
施設にお世話になった頃は家に帰りたいと言っていましたので、
家に連れて来る事以外考えていませんでした。
29日が友引と言う事もありましたが、
ここのところ亡くなる人が多く、希望の斎場を抑えるために
1月31日通夜、2月1日葬儀になってしまいました。
結果的に、26日から31日まで、家にいた事になり、
それはそれで良かったような気もします。
葬儀社が、遺影の他にフォトパネルを作ってくれると言うので、
お袋のアルバムから写真を選びました。
亡父との結婚した時の写真、
満州にいた亡父を訪ねて母とその父とで旅した時の写真、
弟が生まれて、退院して家に帰った時の写真、
この写真には、当時家で飼っていたスピッツのメリーが写っていました。
その他、孫たちとの写真や日常などの写真などでした。
葬儀までの時間がありましたが、
特に何をしたと言う事もなく、ボーっとしていた感じでした。
連日弟が午前中来てくれたので、
彼がいる間に、洗濯物をコインランドリーで乾かしたり、買い物をしたり、
家に誰もいないと言う状況はないようにしておきました。
家に弔問に来てくれた人もいました。
新聞の訃報欄には、家族葬と載せておきました。
最近の葬儀は、式場に入る人は近親者だけで、
家族葬としていなくても、一般の会葬者は開式の前に式場内の祭壇で焼香します。
家族葬としていたので、来てくれた人は、お袋をよく知っている人が多く、
それで良かったと思っています。
葬儀は終わりましたが、これから色々な片付けが残っています。
あるいは突然日記などを休む事もあるかも知れませんが、お含み置き下さい。
26日に母が他界したので、そのためにバタバタしていました。
母は7年ほど前から、サービス付き高齢者住宅でお世話になっていました。
昨年の敬老の日に、まだ百歳になっていませんでしたが、
菅義偉総理大臣や知事、市長からお祝いを頂いていました。
その頃から、百歳を意識していて、もう少しで百歳になると言っていました。
正月に施設に行った時は、元気でした。
認知症が進んでいたので、トンチンカンな所もありましたが、話は出来ました。
1月の中旬辺りから、血中の酸素濃度が低下する日が出て、食欲も落ちていました。
それで栄養が摂れるものと思ってアイスクリームや蜂蜜などを差し入れていました。
26日午前中に施設から、血圧が不規則になる時があるとの連絡を受けました。
その日の午前中、近所の方の葬儀があったので、
そちらに行ってから午後行きました。
弟にも連絡したところ、やはり午後行くとの事でしたが、
時間などは決めていませんでした。
ところが施設の駐車場で、ばったり彼と行き会いました。
二人でお袋の部屋に行ったところ、寝ている感じでしたので、
看護師さんと一緒に起こそうと声を掛けたり、手をさすったりしましたが、
起きません。
30分位、そうしていましたが、結果的にそのまま旅立ってしまいました。
ある意味僕と弟が来るのをお袋が待っていてくれたような感じもします。
とにかく二人でお袋を看取る事が出来ました。
享年99歳、あと2か月で100歳と言う感じでしたので、その点は心残りですが。
その後がバタバタしました。
取り合えず葬儀社を決めて、自宅に遺体を搬送してもらいました。
最近は自宅ではなく葬儀社に運ぶことも多いそうですが、
施設にお世話になった頃は家に帰りたいと言っていましたので、
家に連れて来る事以外考えていませんでした。
29日が友引と言う事もありましたが、
ここのところ亡くなる人が多く、希望の斎場を抑えるために
1月31日通夜、2月1日葬儀になってしまいました。
結果的に、26日から31日まで、家にいた事になり、
それはそれで良かったような気もします。
葬儀社が、遺影の他にフォトパネルを作ってくれると言うので、
お袋のアルバムから写真を選びました。
亡父との結婚した時の写真、
満州にいた亡父を訪ねて母とその父とで旅した時の写真、
弟が生まれて、退院して家に帰った時の写真、
この写真には、当時家で飼っていたスピッツのメリーが写っていました。
その他、孫たちとの写真や日常などの写真などでした。
葬儀までの時間がありましたが、
特に何をしたと言う事もなく、ボーっとしていた感じでした。
連日弟が午前中来てくれたので、
彼がいる間に、洗濯物をコインランドリーで乾かしたり、買い物をしたり、
家に誰もいないと言う状況はないようにしておきました。
家に弔問に来てくれた人もいました。
新聞の訃報欄には、家族葬と載せておきました。
最近の葬儀は、式場に入る人は近親者だけで、
家族葬としていなくても、一般の会葬者は開式の前に式場内の祭壇で焼香します。
家族葬としていたので、来てくれた人は、お袋をよく知っている人が多く、
それで良かったと思っています。
葬儀は終わりましたが、これから色々な片付けが残っています。
あるいは突然日記などを休む事もあるかも知れませんが、お含み置き下さい。
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