今日は休みでしたが、元の同僚の父上が亡くなったとの事で、
葬式のため、旧岩舟町(現栃木市)まで行って来ました。
仕事を離れると葬式で行き会う位になってしまうと、かつて先輩が言っていましたが、
正にそんな感じで、1年以上会っていない先輩に行き会いました。
お互いに元気なのを確認したと言う感じでした。
葬式のやり方は、地域性が出ます。
これまでも各地の葬式に出ていますが、同じ県内でも少しずつ違います。
栃木市などでは、以前から葬儀式と告別式が別なものとして行われます。
以前は、葬儀○○時から、告別式△△時からとの案内もありました。
宇都宮では、葬式も告別式も区分けしていません。
葬式と告別式は同一のものと考えている人も多いと思います。
今日は時間は二通りありませんでしたが、
最初が葬儀式として行われ、途中で終了して告別式になりました。
やはり昔からの慣習は残っているのだと思いました。
また、最近は葬祭業が盛んになっていて、式の進行もマニュアル化され、
画一的になっているような気がします。
出棺になる時、以前は親族など身内の人だけで棺の蓋を閉めました。
宇都宮市などでは、参列者は一度式場を出て、
近親者だけで棺の蓋をして釘を打っていました。
参列者も愁嘆場を見なくて済む訳ですが、
最近は棺に蓋をするまで、参列者の前で行われるのが多くなりました。
霊前にあげられた生花を摘んで棺に入れるのですが、
参列者でも希望者は花を入れても良いようになっています。
故人を実際に知っていた人などはそうしたいのかも知れませんが。
この中間的な形態として、
ベールのようなカーテンで仕切ってやっていた所もありましたが、
今はこの形式は見掛けなくなりました。
とここまで書いて来て、今日は棺に釘を打たなかったと思い出しました。
火葬場の都合なのでしょうか?
一般的にそうなのか、この地区だけの事なのか分かりませんでした。
かつては、葬儀が終わるとお清めとして酒と塩が出され、
会葬者は酒を口に含んで、塩を体に振りかけていましたが、
車の人が多いので酒を出さなくなったようで、これも廃れたような気がします。
前に出席した葬儀でお坊さんが、
死を穢れたものとしてお清めをするのは、神道の考え方で、
仏教では死んで仏になるのだから、
お清めと言うのはないとおっしゃっているのを聞いて、なるほどと思いました。
その考えが浸透した訳ではないでしょう。
会場の出口には塩が山盛りになっていました。
葬式が終わった後、昼食を食べて帰って来ました。
家を出て帰宅するまで4時間ほどでしたが、何となく1日つぶれた感じでした。
帰宅して昼寝を始めたばかりのところで、宅配業者に起こされました。
葬式のため、旧岩舟町(現栃木市)まで行って来ました。
仕事を離れると葬式で行き会う位になってしまうと、かつて先輩が言っていましたが、
正にそんな感じで、1年以上会っていない先輩に行き会いました。
お互いに元気なのを確認したと言う感じでした。
葬式のやり方は、地域性が出ます。
これまでも各地の葬式に出ていますが、同じ県内でも少しずつ違います。
栃木市などでは、以前から葬儀式と告別式が別なものとして行われます。
以前は、葬儀○○時から、告別式△△時からとの案内もありました。
宇都宮では、葬式も告別式も区分けしていません。
葬式と告別式は同一のものと考えている人も多いと思います。
今日は時間は二通りありませんでしたが、
最初が葬儀式として行われ、途中で終了して告別式になりました。
やはり昔からの慣習は残っているのだと思いました。
また、最近は葬祭業が盛んになっていて、式の進行もマニュアル化され、
画一的になっているような気がします。
出棺になる時、以前は親族など身内の人だけで棺の蓋を閉めました。
宇都宮市などでは、参列者は一度式場を出て、
近親者だけで棺の蓋をして釘を打っていました。
参列者も愁嘆場を見なくて済む訳ですが、
最近は棺に蓋をするまで、参列者の前で行われるのが多くなりました。
霊前にあげられた生花を摘んで棺に入れるのですが、
参列者でも希望者は花を入れても良いようになっています。
故人を実際に知っていた人などはそうしたいのかも知れませんが。
この中間的な形態として、
ベールのようなカーテンで仕切ってやっていた所もありましたが、
今はこの形式は見掛けなくなりました。
とここまで書いて来て、今日は棺に釘を打たなかったと思い出しました。
火葬場の都合なのでしょうか?
一般的にそうなのか、この地区だけの事なのか分かりませんでした。
かつては、葬儀が終わるとお清めとして酒と塩が出され、
会葬者は酒を口に含んで、塩を体に振りかけていましたが、
車の人が多いので酒を出さなくなったようで、これも廃れたような気がします。
前に出席した葬儀でお坊さんが、
死を穢れたものとしてお清めをするのは、神道の考え方で、
仏教では死んで仏になるのだから、
お清めと言うのはないとおっしゃっているのを聞いて、なるほどと思いました。
その考えが浸透した訳ではないでしょう。
会場の出口には塩が山盛りになっていました。
葬式が終わった後、昼食を食べて帰って来ました。
家を出て帰宅するまで4時間ほどでしたが、何となく1日つぶれた感じでした。
帰宅して昼寝を始めたばかりのところで、宅配業者に起こされました。
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