天然居士の独り言

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学問の神様・・・

2017年08月01日 19時26分58秒 | 日記
 学問の神様と言えば、菅原道真を指すのが普通で、天神様と呼ばれています。
 菅原道真は845年8月1日(承和12年6月25日)、
 参議菅原是善の三男として生まれまていますから、
 今日は菅原道真の誕生日です。

 道真は忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人で、
 醍醐天皇の時には右大臣にまで昇りました。
 しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、
 大宰府へ大宰員外帥として左遷されて
 903年3月26日(延喜3年2月25日)、現地で没しました。
 死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、
 当時の御霊信仰によって、没後20年目に左遷が取り消されて復権し、
 947年(天暦元年)に北野天満宮が創建され、祀られました。

 道真は幼少の頃から詩歌に才を見せ、
 862年(貞観4年)18歳で文章生となり、
 877年(元慶元年)には、大学寮で教授などを勤める文章博士になっています。
 この文章博士は、728年(神亀5年)に設置されたもので、
 道真の以前に何人もの文章博士がいました。
 更に道真の祖父菅原清公以来3代続けて菅原氏が文章博士に地位に就いていて、
 半ば世襲化されていました。

 僕はかねてから、
 怨霊であった菅原道真が、いつどのような事から学問の神様になったのかと
 不思議に思っていたのですが、
 昨年読んだ一坂太郎さんの「幕末・英傑たちのヒーロー」に出ていました。
 佐藤包晴さんと言う方の「菅原道真」からの引用ですが、
 1011年(寛弘9年)、文章博士の大江匡衡が
 北野天満宮に捧げた願文がきっかけとの事です。
 その中で大江匡衡は、学者としての道真を
 「文章の太祖、風月の本主」と称えていて、
 この時から学問の神様になったと記されていました。

 大江氏は、菅原氏と並ぶ学問の家柄で、
 道真失脚後は大江氏が文章博士を世襲していました。
 大江匡衡は、平安の女流歌人赤染衛門の夫だった人物で、
 名儒と称され、地方官としても善政の誉れの高かったようです。
 かつてのライバル関係にあった大江氏の名儒として有名だった匡衡から認められた事が、
 学問の神様を定着させたようです。

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