天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

沖縄・・・

2022年05月15日 18時43分44秒 | 日記
 今日で、沖縄は本土復帰50年になりました。
 50年と言う大きな節目を迎えるに当たるからでしょう、
 ここのところ、様々なメディアで取り上げています。
 そうした報道に接して、
 日本国内では、唯一地上戦が行われた場所であり、
 アメリカに占領されていた地域であり、
 今もって広大なアメリカ軍基地のある県である、
 そうした認識を持ち続ける事は大切な事だと思っています。

 学生時代、本土復帰の前に、僕の下宿の先輩が沖縄に行きました。
 僕はお金がなくて行けませんでしたが、
 その先輩はお土産として、マリファナを買って来ました。
 もちろん犯罪行為ではありましたが、隠し持って来たと言っていました。
 そのマリファナを、みんなで吸おうとの話になって、
 先輩の友達などが下宿に集まりました。
 女性がいれば、また話は違ったかも知れませんが、男ばかりでした。
 気分を出すのだと言って部屋を暗くして、
 煙草の中身を捨てて、その紙に巻いて吸いました。
 特に幻覚症状も起きず、興奮もしませんでした。
 いがらっぽいだけで、煙草の方が良いと言うのが参加者の声でした。
 沖縄から隠し持って来たので、湿気ってしまったためなのかも知れませんでした。

 僕が、初めて沖縄に行ったのは、1986年(昭和61年)の事でした。
 一応出張で行ったのですが、仕事は簡単なもので、
 一緒に行った人と4人で、タクシーを借り上げて観光して来たような感じでした。
 タクシーの運転手が、
 嘉手納基地を見渡せるサンパウロの丘に連れて行ってくれました。
 現在は、安保の丘と呼ばれているようですが、
 高さは4・5m程度だったような気がします。
 広大な嘉手納基地と共に軍用機の爆音に驚きました。
 運転手さんの話では、
 戦闘機ならば飛び立って18秒で東京上空に行くとの事でした。
 その後、市内の植物園などに行ってもかなり大きな爆音が聞こえ、
 この下で生活するのは容易な事ではないと思いました。

 2度目に沖縄に行ったのは、2012年(平成24年)7月の事でした。
 当時、校舎の改築工事が行われている首里高校で、
 多くの不発弾が発見され、その処理が大変だったとの話を聞きました。
 首里高校の近くには沖縄戦当時、旧日本軍の司令部があり、
 激しい攻撃を受けたとの事でした。
 沖縄で使用された弾薬は推定約20万トンで、
 このうち約5%にあたる1万トンが、
 何らかの原因で爆発せず不発弾として地中などに残ったとされています。
 戦後、不発弾処理が進められてきたものの、
 住民が暮らす足下には依然約1950トンもの不発弾が残されているとの事です。
 沖縄県の統計では、2019年(令和元年)の不発弾処理の件数は532件で、
 ここ数年は600件前後で推移しています。
 全ての不発弾処理が終了するのは、後70年かかると言われているようです。
 僕が行った10年前も70年と聞いたような気がしますが、
 それだけ先が見通せないのかも知れません。

 今日もバスケットB1のチャンピオンシップトーナメントの準々決勝がありました。
 ブレックスは昨日に続き、千葉ジェッツとの対戦でした。
 最初から、ブレックスがリードしていましたが、点差が広がらず、
 第4クォーターはかなり追い詰められて、危ない場面もありましたが、
 何とか勝つ事が出来ました。
 来週の準決勝は、東地区2位の川崎ブレイブサンダースとの対戦になります。
 何とか勝ち上がって欲しいと思いますが、どうなるでしょう?

コメント
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