MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

『繋思談』の真の訳者

2010年01月25日 | 翻訳研究

いまやっている「日本の翻訳論アンソロジー」関連の仕事で、どうしても気になっていたことの一つに、藤田鳴鶴・尾崎庸夫(訳)『繋思談』の実際の訳者の問題がある。柳田泉などが、実際に訳したのは学生時代の朝比奈知泉(のち東京日々新聞主筆となる明治のジャーナリスト)だと言っているのだが、典拠を示していないのだ。いったいどういう根拠で言っているのか、そこが知りたかった。たまたま目にした江藤淳(1958)「近代散文の形成と挫折―明治初期の散文作品について―」(『文学』第26巻7号)にも朝比奈説が出てきたので、江藤が典拠としている柳田泉のある本を取り寄せて見てみた。結論としては、柳田が朝比奈に直接問いただし、朝比奈が認めたということのようだ。ちなみに、尾崎は名義を貸しただけで、実際にはタッチしていない。ただし、かの「例言」を誰が書いたのかは結局わからない。柳田が聞き漏らしてしまったようなのである。「例言」の署名が「訳者等識」となっているからには、可能性としては藤田鳴鶴の単独執筆から、朝比奈執筆で藤田が加筆というまでの幅があることになる。

昨日はしばらくぶりに長距離を踏破。本郷から水道橋―飯田橋―市ヶ谷―四谷ー紀ノ国坂を通って青山一丁目―六本木―芝公園―御成門―内幸町―日比谷―大手町―神保町―水道橋―後楽園―小石川柳丁―自宅というルートである。まあ皇居を大回りしたようなものだ。歩数3万歩であった。今回は青山一丁目―六本木―芝公園―日比谷が未踏のルートで、なかなか面白かったのである。


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