MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

Comics in Translation

2008年07月16日 | 

Zanettin, Federico (Ed.) (2008). Comics in Translation. Manchester: St. Jerome Publishing はコミックス(マンガを含む)の翻訳についてのおそらく初の包括的な論文集である。編者はイタリアのPerugia大学の人で、執筆者もイタリアの人が多い。総論と事例研究の2部構成で、グローバリゼーションとローカリゼーションの影響、編集・出版の問題、テクスト方略、視覚的メッセージと言語的メッセージの相互作用などのトピックスを扱った13の論文を収録している。とりあえず、日本のマンガを取り上げたTranslating Manga (Heike Jungst)を読んでみた。この論文はドイツにおける日本のマンガの翻訳出版を歴史から翻訳方略まで包括的に論じている。もっとも面白い指摘は、ドイツにおける日本マンガの翻訳がこの4半世紀の間にNidaの言うdynamin equivalence(勝手にトーンまで貼ってしまう)からfomal equivalence(+feigning authenticity)へと変わったという点だろう。これは読者が日本らしさを求めるためだという。いわば本物(にできるだけ近いもの)を読みたいという欲求が根本にあるためだが、その志向とexoticismとの関係は実ははっきりしない。なおドイツのコミック市場で初めて成功を収めたのはテレビアニメと連動した「ドラゴンボール」と「セーラームーン」だったという。(しかし「セーラームーン」は断然実写版だな。)

それでも「絵」が問題になったり、手を加えなければならないケースが出てくる。目標文化の規範から逸脱しているからである。たとえば鬼頭莫宏の「なるたる」は暴力と性の描写が問題になったが、裸に下着の絵を描き加えても無意味なので成人向けコミックスの指定を受ける。法律の制約を被ることもある。「無限の住人」Blade of the Immortalの場合は、主人公の着物にカギ十字(swastika)の模様がついているが、ドイツ語版ではただの十字(cross)に変えられたという。他にも「はだしのゲン」の最初の翻訳があまり売れなかったのは原爆の被災者はコミックスにするようなものではないとか、感情表現があまりにも大仰で生々しく、悲劇的なストーリーにふさわしくないと思われたからだというような興味深い指摘がある。これも文化的規範との軋轢と考えることもできるが、感情表現の点ではおそらく多くの日本人読者も似たような感想をもったと思う。(まあ、絵も下手だったし。)

cosplayをevents where the participants dress up as manga charactersと説明しているのは変だ、competitionsとあるのはコミケのことだろう(コンペと混同したか?)、Naoki UrusawaはUrasawaの間違いだろう、といった小さな瑕疵はあるが、よく調べてあるいい論文だと思う。

その次にあるのがValerio RotaのAspects of Adaptationという論文で、abstractには「コミックスのグラフィックな要素はしばしば文化的翻案を出版社にとって困難で高くつくものにしてしまう。本論文はAntoine BermanとLawrence Venutiの理論にもとづき、翻訳されたコミックスはそのforeign originを顕わにせずにはおらず、そのdomesticationは実質的に不可能であることを論じる」とある。これは読んでみたい。


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