多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

「イエ」や「クニ」を超えて

2011-11-24 22:42:05 | ダイバーシティ
「イエ」や「クニ」を超えて

日本には今、たくさんの外国人が住んでいます。このことを、私たちは、私たちの国とはちがう他の国の考えを持った人たちが住んでいると考えがちです。本当にそうでしょうか。
私たちは日本という国に住む日本人だと思っています。日本人であることを、自分のアイデンティティとしています。同じく、他の国から来た人に対して、私たちは、その他の国を彼らのアイデンティティとしているのであろうと考えます。
しかし、本当にそうでしょうか。私たちは自分が住んでいる国を自分のアイデンティティとして確立しているのでしょうか。日本に住む日本人としての帰属意識から、また、何かに所属していたいという安心感から日本人であると思っているのでしょうか。
日系ブラジル人(日本からブラジルに移住した日本人)の人たちはどうでしょう。ブラジルに住み、外国人と言われ、日本に移り住み、また外国人と言われる。彼らはナニジンなのでしょう。すでに2世代3世代にわたって日本に住む在日コリアンの方からも同じ話を聞きます。私はナニジンなの?と。
多文化共生は、ちがいを残しつつも、ちがいを乗り越えていくものだと思います。一番ベースになるちがいはアイデンティティでしょうか。
以下に、うち(NPOタブマネ)の代表の田村の言葉を掲載します。今から10年以上前の言葉になります。
「世界の人びとがしなければならないことは、「自分とどう向きあうか」であり、自分と向かいあってはじめて、自分のアイデンティティはこれだ!というものになっていくのではないでしょうか。それこそがアイデンティティであって、けして人から与えられるものではないのだと思います。20世紀の人びとは、国や民族にアイデンティティをゆだねていました。国家や民族の概念が崩壊しつつある現在、国に変わる何かを考えておかないと、人は宗教や偏った民族主義による架空の枠を設けて他者を排除してしまいます。
アイデンティティとは国籍や民族ではなくて、多様な個を自分のなかにみいだしていくとではじめて手に入れられる「自らの存在感」といえるのではないでしょうか」

この続きは、11月26日に富山大学で開催される「東アジアとともにいきる富山県の未来」の基調講演「多文化共生から始まる地域の未来」へどうぞ。

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