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傾聴ボランティア

2006-12-12 22:20:16 | ココロ
先週のクローズアップ現代(NHK)で,傾聴ボランティアというのをやっていた。字の通り,耳を傾ける…というか,要は人の話を聴くボランティア。意見をいうのではなく,話を聴くだけらしいけど,難しいらしい。まぁそうでしょうね。意見を言いたくもなるだろうし,そうじゃなかったら,興味がなくなって話す方も話す気がなくなると。
人の話を聴く…というか逆を言うと自分の話をちゃんと聴いてもらえるのが救われる…っていうのはすぐ想像がつきます。孤独なお年寄りとかが人と話をするのに飢えている…っていうのは用意に想像がつきますが,若い人に対してもやってました。

なんか観ていて,自分がネットに書き込んだり,やりとりしてるのもそういう孤独感…というか,そういうのの解消が原動力なんだろうな…とあらためて自覚しました(^^;)…。寂しいんだわたし(苦笑)…,じゃなくてまぁ人間ってそういうもの。そういえば,大学生の頃か,自分の誕生日に誰とも会話しなかった日があって,やぐされました(^^;)。いまもそういう日があるかも知れませんが,メイルとかやってるので忘れてます。そういう意味じゃ,メイルとかでも傾聴ボランティアできるはずですが,お年寄りはそういうのを使わないし。今の世代が歳をとったらメイルでのボランティアもありかな?…とか思ったりも。
人間はコミュニケーションをする生き物だから,うさぎじゃないけど(笑),寂しいと辛いのでしょう。今あるあらゆる世代の自殺とか,いじめとかそういうのもいろんな人とのいろんな会話が増えれば,それだけで解消するものも結構ありそうな気がします。ただ…確かに現代は異なる世代間のや地域社会での交流が減ってるので,会話自体が減ってるとは思いますが,現代だけが問題なのか?…,量の問題なのか?,背景にある信仰とかも問題もあるのか?…などは良くわかりません。コミュニケーションブレークダウン…っていつの時代もあったと思うし…。
ちなみに話を聴く難しさ…って実際に喋っていてもあるし,ネットでもあると思う。ネットの場合,反応できなかったりすると,相手の方は避けられた,逃げられた,拒絶された…と思う場合もあったりして,話を聴いている…っていうのを表明するのは難しいというか,文字の場合,相手を批判することがコミュニケーションになりがちな部分もあるし…。それ以外のボディランゲージとかの部分でも,やっぱり実際にあって話すとの文章でやり取りするのは,なんというか違う気がするけど,それでもある程度の代替えにはなるのかなぁ?…とか。。
一方で,自分を否定しないで話だけ聴いてくれる人を求める…っていうのは,ちょっと都合が良くないか?…という気がしないでもないのだけど,まぁタマにはそう言うことも必要か?…。いや,言葉なのかな?…。なんか一緒にする…というだけで,そういうのって解消するというか…。例えば一緒に踊ったり,祭りに出たり…。下手に言葉を交わすより,そういうのの方がいいんではないか?とも思うとそういうのがなくなってるのが問題なのか?…と思う一方,現代人の文字というかキャラクタ的思考がますます増えてることが問題なのか?…と思ってりもして良くわかりません。

ちょっと話がそれましたが…,要は人は話を聴いてもらいたいし,話を聴くのは難しい…とは思います。わたしがここに文章を書くのも浮かんだ考えを吐き出してすっきりしてると思うし。それ自体を自覚すると,人にわざわざ聴いてもらえなくても,それなりに吐き出すことを自覚できたりもしますが,きいてもらえないと辛い…っていう人は多いんだろうなぁ…と思います。この辺って人間の本質かも知れませんね。
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