森達也さんの「ごめんなさい。原子力安全神話は僕たちが形成した」という文は,さすが作家というか良くできていて,読んでいて引き込まれました。最初の仕掛けが最後にきちんと聞いてきて,うまいなぁという演出的な妙もあるし,あと内容も。本題である原子力安全神話もそうですが,今の若い人の態度…というのも,あぁこういう感じだよな…とか思って,こういう若者にどういう風に教育していけばいいんだろう…とか思いました。
さてこの中で若者が投げ掛けている,「どうして今の大人達は原発を安全と信じたのか?」という疑問は,少し難しい問題です。以前も書きましたがわたしは,数年前に,当時原発に否定的な意見が消えてしまったことに戸惑ってます。わたしの記憶では,わたしが学生だった頃,20年から30年前にはまだ原発に反対をしている人は沢山いました。特に学生運動や,反体制(当時的には左派でしょうか?)の人達が原発に反対して,建設中のどこか(北海道だったかなぁ?)の原発でデモをやったとか,そういう話を良く聞いてました。
ですから,原発が安全というのは世の中にすんなり受け入れられたわけでもないのです。ただ,当時の雰囲気をみていた少年だったわたしの視点では,その辺の運動は既に自分より上の年代の人達がやっていて,わたしたちの年代は,そこに入っていく…という感じではなかったように思います。この辺の感覚は,世代間断絶というか,例えば親がいいというものを子供はいいと
思えない,親が悪いというものを子供は素直に受取れない…みたいなものがあり,事実(原発は危険)がどうであれ,むしろ上の世代とは反対に意見は流れてしまうのかも知れません。我々の10年くらい上の世代までは,まだ学生運動の余韻が残ってましたが,その反動なんでしょう,我々の世代はノンポリと言われました。
そういう我々がそういう反原発運動をどうみたかというと,やっぱり少し白けていたように思います。なぜなら,彼らの主張は,原発も原爆も原子力空母も原子力潜水艦も反対で,内容を見て反対してるというよりは,原子力と見たら何でも反対…という風に見えてしまったからです。またそういう事に反対する人達は君が代斉唱や国旗掲揚にも反対しており,つまり,原発が危険だから反対というよりは,体制に反対してるだけじゃないのか?…という風にも見えたのです。
今になって考えると,原発の反対運動が,そういう人達の間でしか広がらなかった…という事がむしろ原発容認の空気をつくってしまったのかも知れません。例えば福島瑞穂さんが原発に反対していたとか思っちゃうと,単なる綺麗事の様に見えてしまうというか…。あぁ,なんか失礼ですね。すみません。
つまりそういう反体制運動の流れの中で取り上げられたから,反原発運動は
世代間を跨ぐことができなかった…とも言えるし,そもそもそこでしか広がらなかった事自体が,反原発思想自体が実はあるようで無かった…ということなのかも知れません。
ただそうやって上の世代の反体制派が原発に反対し,我々の世代が,それを知りつつ,無関心になっていった結果,いつのまにか,我々の後の世代は原発が危険だという発想自体を持てなくなっていたのは事実のようです。いや,原発なんて存在すら知らなかったのかも知れません。
…結論はないのですが,長期的な議論というのは難しいのかなぁと思いました。特に現状社会に利を産み出しているものを疑うというのは,よほど感情的な部分を除き訴えないと,次の世代には感情的に嫌われるのではないでしょうか。まぁ原発の事故の記録はこれから数十年伝えられるでしょうから,反原発派というのは,今後は息が長いと思いますが。でも一方で,津波への警戒は,いずれ忘れられるかも知れません。日本ではここ数十年の間に
何度も地震で人が亡くなってますが,でも地盤が弱いところとか海沿いに人は戻ってきてますから。
さてこの中で若者が投げ掛けている,「どうして今の大人達は原発を安全と信じたのか?」という疑問は,少し難しい問題です。以前も書きましたがわたしは,数年前に,当時原発に否定的な意見が消えてしまったことに戸惑ってます。わたしの記憶では,わたしが学生だった頃,20年から30年前にはまだ原発に反対をしている人は沢山いました。特に学生運動や,反体制(当時的には左派でしょうか?)の人達が原発に反対して,建設中のどこか(北海道だったかなぁ?)の原発でデモをやったとか,そういう話を良く聞いてました。
ですから,原発が安全というのは世の中にすんなり受け入れられたわけでもないのです。ただ,当時の雰囲気をみていた少年だったわたしの視点では,その辺の運動は既に自分より上の年代の人達がやっていて,わたしたちの年代は,そこに入っていく…という感じではなかったように思います。この辺の感覚は,世代間断絶というか,例えば親がいいというものを子供はいいと
思えない,親が悪いというものを子供は素直に受取れない…みたいなものがあり,事実(原発は危険)がどうであれ,むしろ上の世代とは反対に意見は流れてしまうのかも知れません。我々の10年くらい上の世代までは,まだ学生運動の余韻が残ってましたが,その反動なんでしょう,我々の世代はノンポリと言われました。
そういう我々がそういう反原発運動をどうみたかというと,やっぱり少し白けていたように思います。なぜなら,彼らの主張は,原発も原爆も原子力空母も原子力潜水艦も反対で,内容を見て反対してるというよりは,原子力と見たら何でも反対…という風に見えてしまったからです。またそういう事に反対する人達は君が代斉唱や国旗掲揚にも反対しており,つまり,原発が危険だから反対というよりは,体制に反対してるだけじゃないのか?…という風にも見えたのです。
今になって考えると,原発の反対運動が,そういう人達の間でしか広がらなかった…という事がむしろ原発容認の空気をつくってしまったのかも知れません。例えば福島瑞穂さんが原発に反対していたとか思っちゃうと,単なる綺麗事の様に見えてしまうというか…。あぁ,なんか失礼ですね。すみません。
つまりそういう反体制運動の流れの中で取り上げられたから,反原発運動は
世代間を跨ぐことができなかった…とも言えるし,そもそもそこでしか広がらなかった事自体が,反原発思想自体が実はあるようで無かった…ということなのかも知れません。
ただそうやって上の世代の反体制派が原発に反対し,我々の世代が,それを知りつつ,無関心になっていった結果,いつのまにか,我々の後の世代は原発が危険だという発想自体を持てなくなっていたのは事実のようです。いや,原発なんて存在すら知らなかったのかも知れません。
…結論はないのですが,長期的な議論というのは難しいのかなぁと思いました。特に現状社会に利を産み出しているものを疑うというのは,よほど感情的な部分を除き訴えないと,次の世代には感情的に嫌われるのではないでしょうか。まぁ原発の事故の記録はこれから数十年伝えられるでしょうから,反原発派というのは,今後は息が長いと思いますが。でも一方で,津波への警戒は,いずれ忘れられるかも知れません。日本ではここ数十年の間に
何度も地震で人が亡くなってますが,でも地盤が弱いところとか海沿いに人は戻ってきてますから。