たろの日記ページ,gooブログ版

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科学的思考が難しい人に納得させるには

2011-04-07 06:19:35 | ココロ
原発事故で放出された放射線が土や水や魚から検出されたというニュースが報道されてます。数値が出ては基準値以下だとか暫定基準値以下だとか,基準値を超えたけど直ちに影響が無いとかいろんな言い方がされてます。安全の線が出る数値にあわせて変化してる感じがします。ネットをみるとデマに翻弄されるなとか,科学的な思考をしろみたいな意見も聞きますが,上記の政府や学者の発表は,嘘じゃないけど判断基準自体を揺らしてるので,科学的な思考をしていても判断がしにくい様に思います。

自然科学に片足を突っ込んでいる私もそうですから,そういうものに縁が無い人にとってはもっとそうでしょう。ふと読んだ「科学では駄目な人たち。」という文では,どう政府や学者の見解を説明しても,ただ危険におびえパニックになる主婦たちの話が書かれてます。極端だな…と思いつつ,納得できない気持ちはわかるような気もします。

こういう人を納得させるにはどういう説明が良いんだろうとか,考えてるうちに,逆にこういう人(というか普段の自分も含めて)は何を持って「安全」を信じてるんだろう…と思いました。原発や放射能に限らず,世の中には自動車,病気,食べ物,泥棒,火事,そして天災など多くの命に影響がありえる危険はあります。しかしこれらの恐怖に対して普通はそれなりの折り合いをつけて暮らしてます。

科学的な説明というのはおそらく大きく二つあって,ひとつが「理論」もうひとつが「統計」だと思います。理論というのは原理的にありえない…ということです。たとえば,普通の地面から刀が生えてくる危険性等はたぶん理論的にありえない…といえます。水が燃えることとかそういうもある条件以外ではありません。こういうのを理論といいます。昔は科学というのは理論でした。統計は数学では比較的新しい考え方で昔はとにかく方程式を解析的にといて説明するというのが科学でした。

ところが理論で説明できないというか式で解けない事象が出てくると,統計を用いれば「ある程度の確かさ」で物事を説明できる…という理屈ができました。統計というのは統計と書くと難しそうですが,要は「経験」のことです。そしておそらく普通の人の多くは経験から物事を判断してるのだと思います。自動車事故に遭わない,火事にならないなどというのは論理的には説明しづらいけど,「めったに遭わないだろう」という統計的な理屈で多くの人は,まぁ安心だろうと判断します。

ところが私は先日,人は統計で考えることは難しい…と書きました。ここでいう「経験」と「統計」は実は物事(事象)をミクロ的にとらえてるかマクロ的に捕らえてるかという意味で違うのかな?と思います。統計は物事を一つ一つ見るのではなく鳥瞰的にみます。一方普通の人の経験は全体の人数ではなく知っている人が経験したことや,自分の目の前でおきたことというカウントになります。

つまり一般の人が理解をするには,理論で説明しても無理だし,統計で説明しても無理,ですが,自分の知っている人の経験談や自分が実際に経験する…ということの方で納得をしてしまうということでは無いでしょうか?。それはとても科学的な思考ではないのでしょうが,科学を裏づけとして説明しても個々の事例が具体的に説明されないとぴんとこないということだと思います。

統計を個々の事例に落とし込んで説明するのは,統計の元の意味からははずれ,いわゆる非科学的な思考に陥るのですが,ただ説明においてそれを使うのは必要なのかもしれない…と思いました。

とか書いておいて,放射能においては,ほとんどの人が実際に経験をしたことが無いので実際は誰かの経験談として話すのはとても困難なんでしょう。実際にTVとかに出てる有識者も経験談として話せる人は少ないように思います。まぁ難しいですね。それだけに顔が見える人が話すほうが良いんだろうなぁ…とは思います。
コメント
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