たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

一部の知識人に失望する

2011-04-05 21:45:12 | 環境・自然科学
原発撤廃論と長期的な卒原発論…,とか現状維持(さすがに現状推進派の意見はみない)…という意見を,最近ウォッチングしてます。卒原発論の人は,現状を省みて長期に減らす道を模索してるので,まぁある程度は客観的視点を持っているのですが,過激な反原発論の人には,とても現実的とは思えない意見を言う人が多くて,困惑します。

凄くガッカリしたのは,学者や研究者と呼ばれる人の中に,どうみても客観的,または論理的な思考をしてるとは思えない発言をする人が少なからずいることです。

自分が信じたくない説にはおかしいとか疑わしいとかいうのに,自分が信じたい説には何の検証も行わずに飛び付く。それが科学的な態度だろうか?…と思うのですが,多分本人は気づいていません。

パニックになっている…といえばそうなんでしょうが…。考えてみたら学者等の頭がいい人は,頭の回転が速いわけで,それってある意味神経質なのと裏返しなんだろな…という気がします。 どっしり構えて,物事の変化におおらかに対応するには,ある意味鈍感さが必要で,学者にはそういう事はできないのかもしれません。物事の思考を物凄いスピードで回す神経質さと,それを客観的論理的に制御する部分の両方が,学者とかには必要なんじゃない?という気もしますが,たぶん,その制御が飛ぶくらいな状況になると,暴走しちゃうんじゃないかな?と思いました。

そういう,私も結構神経質で軽いノイローゼじゃないか?…と思うようなところがあるのは,多分,わたしの同居人とかは知っています。自分はそれを自覚してるので,それとどう付き合うか…で常に苦労してますが,だからこそ非常時の自分の発言にはトンデモな部分が含まれてる…という疑いも持ってます。

原発が危険だ…と大騒ぎし,具体的にどうすればいいとかは言わなかったり,新エネルギーだ,風力だ,太陽光だ,波力だとか言ったりするけど,研究段階のものを実用化するのに数十年のオーダで時間がかかるものもあるし,天災で受けるリスクについて全然議論しないのは,それこそ想定が甘い…のではないか?と思うのですが,それが学者や研究者のいうことかね…とか。

そんな感じのことを感じました。やっぱり今の日本には学者より坊主が足りないなぁ…と思う今日この頃でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする