たろの日記ページ,gooブログ版

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お金と命

2010-11-12 08:36:06 | 医療・福祉
NATROMさんが「将来は、「お金の切れ目が命の切れ目」が普通になる時代が来る」と書いているのをみて,過去にそれは普通であり,それはいけないことなのだろうか?という風に思いました。

以前わたしは命の値段について書きました。命がどんなに尊かろうと,病気になり,治療費が出せなかったら,それが一種の命の値段ということになるといえると思います。お金が無い人が医者に行く金が無くて,命を縮めてしまうというのは,昔からずっとあった話です。日本ではそれが国民皆保険制度になり,建前上お金があろうが無かろうが同じ治療を受けられるようになりました。建前上というのは,実際は保険適用外の治療があったり,海外に治療に行く…ということで命を永らえてる人がいるので,治療機会はやはりお金に影響されているといえるということです。

さてNATROMさんが危惧してるのは,この保険制度の中の治療法も,そのうち保険制度が崩壊して,財力で受けられる治療に差が出るということ,そしてその保険制度が崩壊するのは,抗がん剤などの薬品がこれからますま高額になっていくだろうということです。

このこともわたしは既に意識していたので,特に驚きはしませんでした。だからといって肯定的にとらえてるわけでもありません。ただ,高額な治療というのは新しい治療法であり,これまで助かっていた人がお金がないので助からなくなる…という意味ではないので,すこしタイトルは誤読されやすいように思いました。新しい薬の金額が極めて高いのは,薬の開発費が高いからでしょう。材料費の影響で高いとは思いません。そして薬が高くできるから開発費を投入してるともいえます。開発した薬を高く売ることが出来なければ,薬品メーカは開発を止めて新薬を作らなくなるかもしれません。国が薬品の開発を補助しようにも実際は海外のメーカの薬が多いので,それも難しいのではないでしょうか?。

それらの状況を考えると,効果的な新薬はこれからも出てくるでしょうが,値段はますます高くなるでしょう。新薬の承認も高価や安全性より価格の方が問題にされるようになるかもしれません。

で,それが悪いことか?といわれるとわたしはよく分からないのです。もし医療がどんどん高度に発達していき,お金さえかかければ,どんな状態になっても生きられるのであれば,むしろお金を理由に死ぬっていうのもあるのではないか?という気もします。わたしの本音としては働き盛りで家族を養わなければいけない年頃の人と,平均年齢以上生きていて,リタイヤもして生産的な活動を行っていない人に,同じだけの医療補助をかける意味があるのだろうか?とか思うこともありますが,多分今の日本は年齢で医療に線を引くのはタブーなんでしょうね。今の与党が野党時代に散々批判してましたから;-p。どんなに周りが注意しても健康に悪い事(例えば喫煙)を続けていた人にも同じだけの補助をする必要があるとか

いわれても,少し疑問を感じます。

いや,実際に線を引くとしたら,とても難しいのは事実です。わたしは公的な医療保険制度を保持することは重要だと思ってます。でもだからと言って命を助けるためだったら,誰にでもどれだけでも高額な薬品を使うべきというのは,正しいのかはよく分かりません。もっとも医者がそれを判断すべきことなのかも分からないので,医者はあまねく患者を全力で助けるべきだというのはいい事なのかもしれませんが。
コメント
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