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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

過渡期のお約束

2011-12-28 00:58:46 | 音楽・アート
ネットをみてると最近,作家らが自炊代行業者を提訴した件が話題になってました。自炊とは本をばらしてスキャンしてデータ化する行為ですが,代行とは客が自分で持ち込んでやってもらう業種のことです。

ネットを観て回ったところ,わたしが観るところは,全般的に作家の気持ちはわからないでもないが,見当違いではないか?ということ。本を裁断して自炊するのは個人複製の範囲だし,それで本が売れなくなるというのもおかしい。よっぽど古書店に売る方が本は売れなくなるはず。自炊がイヤなら電子書籍を出すべきとか,そういう意見が多いようです。読者をドロボウ扱いするのに反感を覚える人もいました。

わたしは以前はマンガや本をそれなりに買ってましたが,今はあまり本を読まなくなったので,ちょっと意見をする資格は無いのかも知れません。ただなんとなく10数年前にあった音楽CDのリッピングや音楽配信,ファイル交換の時のドタバタの再燃みたいに見えて,ちょっと興味深く思いました。

あの時はCDのリッピングの業者は出てきませんでしたが,ファイル交換の仕組みが出来て問題になりました。ユーザによるCDのリッピングもレコード会社は目の敵にしてCCCDとか出来ました。レコード会社はこれらがCD売上の減少の元凶のようにキャンペーンを繰り返しました。ユーザ間によるファイル交換は違法として殆んどなくなりましたが,コピーを防止するはずのCCCDもいつのまにかなくなりました。

それでCDの売上は復活したか?というと,多分しておらず,そうじゃなくてiTuneの隆盛によりCD販売より音楽配信へ主要マーケットが移りました。考えようによっては,ファイル交換やユーザによるリッピングは音楽配信により無力化されたとも言えます。

ですが,個人的にはわたしはいまだに音楽はCDで買ってます。通信販売が隆盛なこともあり,町のCD屋はもう虫の息状態です。消費者がCDじゃなくて音楽配信で音楽を買うのは,音楽配信の方が携帯プレーヤへの転送が楽だから,曲単価が安いから,曲の検索・購入が楽だからとかが理由ですかね。購入後場所を取らないとか管理がしやすいというのもあるでしょう,わたしはネットでは買わない人なので見当違いかも知れませんが。CDによる音楽販売がいつまで続くのかどれくらい続くのかはわかりません。しかし流れとしては音楽配信なんだろうなと思います。

で,本。自炊はCDのリッピングより遥かに手間です。手間なので業者がいなくなれば,あまり行われないかも知れません。でも,一方で電子書籍で出る本もあり,電子書籍の売上はどんどん伸びていくかも知れません。いまの電子リーダが本より使いやすいとも思わないので,すぐに変わるかどうかはわかりませんけど。

本が無くなったり,本屋が無くなるのは寂しいのだけど,流れとしてはいつかは…だろうな,とは思います。多分いま自炊に反対してる作家も,本よりも電子書籍の市場が大きくなったら,手の平を返したように移るだろうな…という気がします。何年か経ったら,自炊反対って意味無かったね…って言われるんだろうなぁ,とか思いました。
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審美眼は表現力の本質だと思う

2011-12-14 21:56:30 | 音楽・アート
fujiponさんがジョブスの伝記の感想を書いていました。彼の人となりはまぁどうでもいいとして,興味深かったのは,なぜジョブスが「クリエイターたちの神様」になったか?という話。それに対し,ジョブスは誰も持っていなかった「審美眼」を持っていたと書かれてます。

なんとなく不思議なことと思われてる様に読めましたが,わたし自身は,それこそが大事なこと…と思ってます。まぁ成功した人を後付けで理由づけるのは,無理があるのですが,でもわたし自身,表現をすることで一番大事なのは作品を評価する力だと思ってます。

技術者にせよ,芸術家にせよ,クリエータは普通,なにかを作り上げるや「技」を持ってます。でもその技をどういう風に使って作品として完成させるかは,その作品を観る力だと思います。どんな作品でも作れるような卓越した技術を持つ人が,必ずしも成功するとは限らないのは,その作品が人々に伝わるように,技術を制御することがうまくいかないからだと思います。また技術的には稚拙でも受け入れられるのは,その自分限られた技術をうまくつかって人々に受けいられる形として仕上げることが出来るからだと思います。

優れた表現者は自分のスタイルを持ってますが,それはそれしか出来ない…というわけではなく,自分の技を作品に結び付ける取捨選択ができ,そして完成を見極めるには審美眼が必要なのだと思います。

そういう意味で言うと,いろんなクリエータを集めてきて,映画とか音楽とか…いろいろと作品を仕上げるプロデューサも自分自身は技を持ってなくても審美眼だけは持っていることになります。

ここで誤解をして欲しくないのは,ここでいう審美眼は評論家や消費者の持つ「目」ではないということです。作品作りにおいて,作る側と受取る側の目は決定的に違うと思います。成功するプロデューサは消費者だけの目だけだけではダメで,作る側の目を持っていないとダメでしょう。ユーザは自分が真に望むものをわかっていない…というのはジョブスの言葉だったかも知れませんが,そういうことだと思います。

そういう意味で言うとジョブスが卓越した審美眼を持っていたというのは,確かに成功した理由かもしれません。ただ彼の凄いのは,マックにせよ,iPodにせよ,ほとんど彼の審美眼のみでデザインが選択されているような感じがするところです。絵や音楽のように少ない人数で作る作品であれば,一人の審美眼で方向性と仕上がりが決めれるかもしれませんが,工業作品は普通は,一人の美的感覚だけでは作れないものです。それを彼はずっとやってきたように思います。

デザインは世の中の需要を汲み取って作る様なところがありますが,下手にいろんな人の意見を採り入れると,純度が下がるというか,機能優先になったり,特徴のないものになったりするように思います。ですから出来るだけ少ない人の意見のみで作った方が,多分デザイン的にはわかりやすいものが出来るのですが,ただそれが世の中の需要に合わなく失敗する可能性もあるわけです。

ですから普通は複数の人の意見を採り入れて,中庸なものを作ります。結果イマイチになることも多いのです。

晩年のジョブスは多くの成功をおさめていたので,彼の審美眼に従わない人はアップルにはいなかったのかも知れませんが,若い頃の彼の取捨選択を良く周りが納得したな…と思います。その時彼が観ていたコンピュータ像は時代のずっと先を行っていて,他の人がピンと来るものではなかったはずだし,実際は失敗も多いのに,良く融資先が付いてきたな…と思います。

結局のところ,それをずっと貫き通せたのは,彼のキャラクターの方の問題だったのかも知れません。まぁでも彼のように強引で,周りに理解されない人って多分沢山いて,その中に審美眼も持ってる人はいるんでしょうが…,そういう意味は結局のところジョブスがなぜ成功したかはそれだけでは語れない気もします。
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追悼,ポール・モチアン

2011-11-24 21:27:41 | 音楽・アート
日本ではほとんど話題になってないがジャズドラマーのがポール・モチアン一昨日くらいに亡くなったそうです。80歳。

それにしても話題になってないなぁ。そんなにマイナーな存在でしょうか。

新聞的に書けば,ポール・モチアンはビル・エバンスがスコット・ラファロとトリオを組んでいた黄金時代のドラマー。またはキース・ジャレットの最初のトリオのドラマーという表現でしょうか。ものすごいピアニストと共演歴のある人です。わたしが始めて彼を聴いたのは25年くらい前かしら?,ポール・ブレイのアルバムの中です。そういえばブレイもすごいピアニストです。

ただわたしがモチアンを好きになったのは,それらのピアニストとの共演ではなく,彼自身のリーダーアルバムのすごく個性的なこと。特にビル・フリゼル,ジョー・ロバーノとのトリオ,つまりギターとサックスとドラムという変則トリオで,ものすごく空間的で,アバンギャルドででも美しい静かなアルバムを何枚も出していた活動の辺りからです。その他にもギター二本と複数の管を使ったエレクトリックビバップバンドとか,個性的な編成のバンドを率いていて独特の音楽を作ってました。彼のバンドメンバーの演奏はどれも個性的でしたが,個性的なメンバーを連れてきて,サウンドをつくっていたというより,彼のところで才能が開花したような人も多く,どの様にモチアンが彼らをコントロールしていたのか非常に不思議でした。

おもしろいのはモチアンの音楽って音楽と音楽じゃないところのギリギリのところ,言い換えれば彼自身が音楽の領域を広げていたようなところがあったことです。「えっ?これでいいの?」というような表現がある場合もありました。また彼のドラムのプレイ自体が技術的に難しいことをやっているというより,発想の自由さというか,うまいのか下手なのかさっぱりわからないのだけど,結果的に聴いたことがないような音楽を作りつつ,トータルでは非常に美しいところに仕上がってるところでしょう。

ライブを見たのは一回だけだったかも知れません。ピットインでアンコールに何度も答え,最後はおしゃべりをして帰っていったのを覚えてます。笑顔が素敵で非常に愛敬のある人でした。噂によると非常に人格者で,多くの人に慕われていたという話です。80歳という,まぁ年齢的には高齢でしたが,まだ新作をどんどん出していたわけで,しかも斬新な音楽を今でも作っていたので,残念です。

でもすばらしい音楽経験を沢山させて頂きました。ありがとうございます。
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反骨をするのが楽だった時代

2011-05-16 22:36:26 | 音楽・アート
ネットで「東電に入ろう」という曲が話題になってました。これ,誰がどこで歌った曲かは知らないのですが,高田渡の「自衛隊に入ろう」が元ネタですよね(^^;)。

私は今世の中にある東電批判にあまり前向きなものを感じないので,こういう風に茶化したような曲にしてしまうのは,そんなにほめられたような話でもないなぁ…と思ってしまいました。

というか,そういう気持ちでふと原曲である自衛隊に入ろうをYoutubeで聴きなおしていて,少し当時のフォークについての感じ方が変わりました。

高田渡はこの曲に限らず,風刺的な曲をたくさん歌ってます。深い話をパロディや茶化すような軽い口調で歌うのは,深刻な話題を多くの人に届きやすい形で伝えるという意味では巧みなことだったと思います。貧富差や労働運動に関するようなものもあったようですが,自衛隊に入ろうは戦争批判であるとともに,自衛隊を持つ政府への批判もあったのでしょう。基本的には高田氏が歌った曲は反政府的な左派の意見よりだったと思います。

当時のフォークには高田氏以外にもこういう左派な立場で歌を歌う人が多かったように思います。私が音楽を聴き始めた頃は,もう陽水や拓郎が政治と切り離されたフォークを歌ってましたので,私はそういう影響はあまり受けてないものの,そういう反政府的な態度はカッコいいものだと思っていたような気もします。

でも,今となってこの自衛隊を入ろうを聴くとどうでしょう。特に今の若い人はどう思うのでしょう。今回の地震の復興に関してもそうですが,自衛隊は以前に比べ日本では「必要なもの」という認識になってきてると思います。実際にやってる仕事は戦争ではなく災害復興だったり危険地域での作業であることも知られてます。まぁ海外で米軍の手伝いとかもやってますが,それも致し方ないという認識が多いのではないでしょうか。

そういう前提でこの曲を聴くと,ちょっと自衛隊を誤解してるという風に取れてしまいます。誤解してこう茶化されると,ちょっとひどくないか?という気もします。もっとも,自衛隊が発足して間もない当時,自衛隊が現在のような立場だったかはよくわかりません。またこういう風に自衛隊の活動をけん制してきたから,今の自衛隊がある,という風にとることも出来ます。

ただ一方で,現在東電批判をする歌とかがいくつか出てきてる様な状況を見てると,この当時の政府批判も別に困難なことをやっていたわけではなく,こういう空気を皆が共有していて,そこで受けそうなことを歌っただけだったのかも…という気がしてました。もちろん当時の大人たちには白い目で見られたかもしれませんが,若い人たちの中では,普通に盛り上がっていたのかもしれません。今のネットがそうであるように。もちろん当時の社会の空気を歌にして残した業績はあるのだと思います。

今回このパロディの歌を聴いてちょっとがっかりしたのは,その歌の出来のよさ悪さというよりは,むしろ元歌とそれを生み出した当時の空気もこんなもんじゃなかったのか?と思い,なんか軽くなっちゃったと感じてしまったことです。まぁ当時に生きたわけじゃないのでわかりませんが。

余談ですが,最近大正の頃の芸術家が皆駆け落ちしたり自殺未遂したりしたのも凄いというよりは,そういう空気だったのかな…とか醒めて見えてしまうことがあったりします。なんとなく過度にドラマチックであることに醒めてる自分を感じてます。
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表現者の覚悟

2011-04-21 21:13:30 | 音楽・アート
メディアアーティストの八谷和彦氏は,最近は原発の事故の様子を子供が理解しやすいように,「お腹を壊して下痢をした」という様に例えて説明するとうのをTwitterに書き,一躍有名になっております。私は八谷氏を無名の頃から知っているので,応援する気持ちが強いからかも知れませんが,Twitterに見られる現在の八谷氏の言葉を読んでいて,表現者というのはかくも強いものなのか…と関心をしております。

うんちの例はTwitterに書いた後,かなり反響があり,ネット上でアニメにする人などが出てきて,更に海外まで広がって行きました。そうなると当然突っ込みも入るわけです。元々子供が分かりやすいようにと例えていたのに,その意図を知らずに「不正確」だという人がいたり「うんちに例えるのが不謹慎」という人がいたり,絵を描いたのは彼じゃないのに,ふざけてるという人がいたり。他にも(八谷氏は原発縮小派なのに)事故を矮小化していて,これはプロパガンダに違いないとか,お金をもらって書いたのでは?という人までいました。

Twitterに書かれた瞬間を見ていた,わたしからすると,どれも的外れな意見で,経緯とか意図とかを確かめずに中傷する人がいかに多いか…と思ったものです。

こういう意見は八谷氏に直接届くように言われるものも相当多いようです。Twitterでのやり取りは我々にも見えますが,他の手段でも辛辣な言葉をもらってるのかも知れません。

でも少なくともTwitterでの八谷氏の受け答えを見てると,そういう不確かで無礼なコメントに揺らぐことなく,元々の自分の立場を何度も説明したり,前向きな意見を導くような問題提示や引用を行ったりしてるように見えます。私はその彼のブレなさに凄いな…と関心をしました。

アーティストのような自分名義で作品を世に出す人は,元々その作品が評価にさらされる事になります。それに耐えないと,継続的に作品を出していくことはできないでしょう。ネットでの意見は現実世界よりきつい言葉になる場合が多いようですが,そういう中でぶれない八谷氏に表現をするとはそういうことなのか…と思いました。そう思うと,ネットの有名人でも,ちょっとやそっと批判されたくらいじゃブレ無い人の方が,結果的に多くの注目を浴び,支持者も多いように思います。

もちろんアーティストの中にはもっと繊細な人もいて,中傷に翻弄されて傷付く人もいます。それがいけないわけでもないし,そういうのを見ないように逃げ回ってもいいし,それでも良い作品を出せれば表現者としてはありなんでしょうけど,なんとなく表現するために必要な覚悟…八谷氏に見た気がします。そういう意味じゃ,自分もネットに文を書いているけど,ブレまくってるし,まぁ素人はそれでいいんでしょうけど,玉石混合のネットでプロを見たなぁ…という気分です。
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行動の抑え込みには代替が必要

2011-03-06 15:36:45 | 音楽・アート
昨日の続きです。

昨日はCDから簡単にコピーができるようになって,音楽販売がCDからネット配信に移って来た現状をあまり詳しく書けませんでしたので,ちょっと補足します。

CD自体は80年代の中盤あたりに販売が始まりますが,最初は専用機でしか再生できませんでした。またパソコンにCDドライブがついたのは,90年代中盤くらいですが,最初はアナログ端子がついていてそれでしか再生できませんでした。ディジタルでDATとかにダビングも出来るようになりしたが,いずれにせよ,リアルタイムでのダビングだったので,効率が良くありませんでした。

ところが90年代の末期に,パソコンのCDドライブから直接ハードディスクにデータを吐き出せるソフトが出てきて,倍速とか4倍速とかでデータをコピーできるようになりました。これは出始めはOS等ではこの機能をサポートしておらず,フリーウェアの作者が苦労して,そういうソフトを作ってました。というのはもしかしたら大手のメーカはそういうソフトの開発を自主規制していたのかもしれません。

同時期にMP3等の音楽圧縮ソフトがフリーで公開,またインターネットがADSL等の高速になり,急速に個人でCDの音楽をデータ化しネットで共有できるようになったのが世紀末の頃です。そしてNapsterとかの音楽共有サービスも出てきました。

昨日書いたとおり,メモリープレーヤはまだメモリが高価だったため,そこまで広がっておらず本格的に売れ出すのにはちょっと時間がかかりました。

で,当時,こういう音楽の配信は問題になったわけです。結論を書くとNapster等の音楽共有サービスは違法扱いを受けて,しかし何とかサービスを維持しようとライセンス料を取る仕組みを作ったりいろいろと試みが行われましたが,最終的にはなくなりました。何故なくなったかというと,裁判に負けたからでしょう。誰でも音楽を共有することは不可能になりました。権利者が違法コンテンツを見つけると,訴えるか,もしくは削除を依頼する…という構図は,実はいまだに続いておりYoutubeとかもそういう感じで続いております。

そういう音楽の不法配布をやる一方でiTunesや携帯の着メロの様な合法のネット配信も始まりました。そして従来のCDの購入に比べるとかなり安価な金額で音楽を購入することが出来るようになりました。一方で,正規で購入した音楽は他の人に再配布が出来ないような仕掛け(DRM)を入れられました。特に携帯の場合は,PCを介さずに音楽を買うため,データを取り出すことも不可能になってますが,それなりにユーザは買っているようです。

ここでのポイントは違法コンテンツの取り締まり強化と共に,新しい媒体での音楽販売を同時に進めていることでしょう。多分強化だけだと,こんなにはうまくいきません。そしてその新しい音楽販売形態,または再生機械が,従来のCDによる音楽購入・受聴よりも「安価」,「どこで買えて」ですし,違法コンテンツをPCで取り込むより,「簡単で再生機も便利で」という特徴があったため,タダではないにしても,ユーザは買うのだと思います。

というわけで,音楽以外のメディアがネットや機器発達で,違法にコピーされるようになった時に,それをやめさせようとしたら,法に基づく取締りだけではなく,もっと安価だったり簡単だったり便利だったりする代替サービスを始めないとうまく移行しないのではないか?という思います。

あと,もう一つはっきり書くと心苦しいですが,多分CDを数百万枚も売るというビジネスは,音楽の歴史で考えると,かなり特殊な,「美味しい」状態だったんではないか?という気がします。一枚分のマスターを作ってプレスすれば,数十億円の売り上げが出るというのは,あまりにも効率が良すぎて,そりゃー,このビジネスに多くの人がぶら下がるよね,という気がします。もちろんそれにより一枚の作品に大量のリソースがかけられて,いい作品が生まれた…ってこともあるんでしょうが,いい作品の本質にそれが必要ってことも無いかも…という気がします。

以上,音楽販売形態を振り返ってみました。これがマンガのこれからのビジネスにどう参考になるかは,まだ良くわかりません。ただ,マンガもこれから販売形態が変わっていかざるを得ないかもしれないし,そうなると,今みたいに一冊の本を何百万部も売って儲けるということも無理になるかもしれないな,とは思います。危惧するのは,そうなって日本のマンガの層が薄くなるかも…ってことで,そうならないといいなとは思いますが。
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音楽ビジネスの形態変化

2011-03-05 12:02:59 | 音楽・アート
先日マンガの将来について書いたのですが,そこで音楽がメディアの変化によって業態が変わりつつあるので,マンガもそうならざるを得ない…と思いました。マンガがどうなるべきか?はよくわからないのですが,ちょっと整理を兼ねて音楽の変化を書いてみます。音楽の歴史に詳しい人には,当たり前の話です(わたしの認識間違いがあるかもしれませんが)。

昔,音楽,特に作曲家は音楽を注文を受けて書いてました。顧客は権力者だったり教会だったり,あと演劇(オペラとか)の興行主だったり。初めてクラシックのコンサートをしたのはベートーベンだといわれてますが,それ以前は舞踏会で演奏したり,宮中だったり教会だったり,演劇だったりしたわけです。

で,コンサートという分野が出来てくると,演奏家が演奏をしてお金を取れるので,演奏する人,そして演奏する人に曲を提供する人が出てきます。初期の音楽出版とは楽譜を売ることで,楽譜を買った演奏家が曲を演奏するというビジネスだったそうです。ただ楽譜がいくらで売られていたかは知りませんが,演奏家が楽譜を買うので食べていけるほど作曲家にお金が入ってきたのかというとちょっと疑問です。

19世紀末期にラジオとレコードが発明されました。20世紀冒頭にビジネスとして発展したと思うのですが,どっちが先に広がったのかはよく知りません。レコードは演奏を記録したものが売られます。一旦買った人はお金を払わずにいつでも,繰り返し音楽を聴くことが出来ますが,売るほうは,一回の制作で何万枚も売ることが出来ます。生演奏や楽譜の販売に比べて,遥かに効率がいいビジネスだったのだと思います。一方ラジオは,繰り返しは聴けませんが,ラジオ局で演奏した演奏を同時に多くの人に聞かせることが出来ます。ラジオが受信料(広告料)を多くの人から取れれば,当然演奏家にも多くのギャラが出るでしょう。

ここで,レコード制作,出版,ラジオ放送というビジネスが産まれ,それは生演奏に比べ多くの人に同時に商品を買ってもらえるわけですから,ビジネスとして発展することが出来ます。ただ,一回の演奏が多くの人に聞かせることが出来るというのは,逆に言うと,人の曲を生演奏して収入を得ていた演奏家は食べていけなくなり,多くの演奏家が淘汰されたと思われます。日本には最近まで「流し」がいましたが,流しもカラオケの発達により消えていきました。

さて音楽ビジネスは放送とレコードになりましたが,そのうちテープレコーダが生まれ,カセットになると,一般の人にも爆発的に普及しました。まずはエアチェックという形で,音楽を記録することが広がりました。既にラジオは無料で放送されていたので,カセットをもっている人はレコードを買わずに安いカセットテープを買えば,好きな曲を手にし,何度も繰り返し聴くことが可能となりました。この時点では,好きな曲がラジオで必ずしもかかるとは限りませんでした。

一方既にこの時期に,自分のレコードをカセットに録音し,人にあげるという人がいましたが,総数的にはたいしたことなく,あまり問題にはなりませんでした。ところが貸しレコードが出てくると,お客は好きなレコードを貸しレコードで借りて録音し,レコードを返す…という人が爆発的に増えました。ですので,レコードを買う人は減りました。これはレコード会社に大打撃を与えたので,レコード会社はいろいろと政治的な活動も行い,結果的に貸しレコード屋にレンタル料から一部権利料を取ることに成功しました。これで貸しレコード屋は堂々とレコードを貸せるようになりましたが,レコード会社もそれなりに権利料が入ってくる,お客も安価に音楽を所有できるため,音楽を聴ける増えるという意味ではWin-Winだったのかもしれませんが,レコード会社の本音としては貸しレコード屋は目の上のたんこぶだったようです。

さてこの時点では,まだウォークマンもCDも無いため,音楽を外で聴くにはラジオしかあり得ませんでした。もしくはカーステのカセット。まずウォークマンによりカセットが野外で聴ける様になりました。そのため音楽を聴ける時間が増え,さらにLPをカセットにダビングできるオーディオも売れ,レコードの売り上げは更に増えたように思います。

次に出たのがCD。CDは爆発的に広がりアナログレコードを淘汰しました。これは当時,まずCDは音がいい…というのを売りにしてましたが,わたしの感覚では,それ以外に取り扱いが簡単,曲の頭だしが可能,そしてCDの発売後数年で野外で聴けるウォークマンが出たことが大きかったように思います。これでカセットがなくても,音楽を野外や車の中で聴けるようになりました。

次に出たのがMD。MDは録音が出来るディスクでカセットに取って代わられました。これも音がいい事よりも,ランダムアクセスが可能なこと,CDやカセットより機器が小さかったことが売れた理由だと思いますが,ちょっと高価だったため,カセットも合わせて残りました。

この頃がCDの売り上げとしては一番多かった時代だと思います。

…さてこの次に出てきたのが実は当時MP3と呼ばれたメモリープレーヤやハードディスクプレーヤです。出てきたのは2000年頃。ですが,これは当初すぐには広がりませんでした。理由はメモリの容量が小さくCD一枚を入れることできなかったこと。CDからデータを吸い出すソフトが不完全で扱いが面倒だったことでしょう。これについてはアップルがiTunesとiPodを出し解決し,そして爆発的にメモリプレーヤが広がることになります。またこれが広がったのは,CDがコンピュータにそのままでデータが取り出せ,ダビングがきわめて簡単になったこと,インターネットにコンピュータが繋がり,曲の情報などが簡単に扱えるようになったことなどが大きいです。

さて,ここに来て,音楽の販売数にブレーキがかかります。CDの音源があまりにも簡単にコンピュータに吸いだせること,それが複製可能なこと,そのデータが簡単にインターネットでやり取りできること,という環境が整ったため,CDのダビングと大量の配布が可能になってしまったのです。が,実はCDの売り上げが下がった原因は,それが主だったのかはよくわかってません。ゲームや携帯電話の普及で,若者がCDをコミュニケーションのツールにしなくなったことの方が大きいという説もあります。

ここに来て一回の録音をプレスするだけでお金が入ってくるというレコード会社市場は急激に小さくなっていくということになりました。CDを売ってもたいしてお金が稼げないとなると,他の手段でお金儲けをする必要が出てきて,一つは音楽配信をビジネスとして始めました。音楽の携帯プレーヤに規制をかけ,簡単にデータの吸出しやコピーが出来ないようにということも働きかけてます。ライブやライブ時のグッズ販売,メディアとのタイアップとか,いろんな手段で儲ける方法を生み出してますが,現状まだ試行錯誤の様な気がします。

…というのが音楽の話。これみてマンガはどうあるべきか?を書こうと思いましたが,長くなったので,今日はここまで。ただし漫画についてはわたしは意見は無いので,たいしたことはかけないと思います。

つづく。
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マンガの将来

2011-02-27 21:52:41 | 音楽・アート
漫画家の赤松氏がマンガのスキャン配信を嘆いている件。赤松氏は以前も同じことをつぶやいていた気がします。

個人的には作家にお金が入ってこない状態は,作品の質の質の低下に繋がると思うので,嘆かわしく思ってます。一方でだいぶ前からこの状況は起きていますが,解決の方向に向かっている気がしません。むしろ進んでます。嘆いているだけじゃダメなんじゃ…とも思います。

わたしは(紙の)本を読むのが好きなので,なるべく買います。気に入った作品は既に雑誌連載で読んでいても単行本を買うこともあります。わたしにとってはそれは投資だしお布施だったりしますが,こういう人が沢山いるとは思いません。こういうことをやる少数の人間の投資だけで業界が回ればいいですが,現在の規模を維持するのは無理でしょう。紙の本が無くなるのは悲しいですが,誰でも簡単にスキャン出来る紙…という媒体は本の購買をビジネスとする場合はそろそろ無理なのかも知れないな…という気がしてます。

じゃぁどうなるんでしょう?。コンテンツの違法流出が業界に打撃を与えそうになった先行者は音楽です。10年前にCDのリッピングが誰でもできるようになって急激に拡がりました。CDの売上は低下を続けて,業界は違法コピーに対して様々な異論を投げてきてますが,意外にもCDは売れてないが,著作権使用料自体は増えてるという話も聞きます。音楽の場合はパフォーマンスでお金を取る事ができるので,CDは販促と割り切り,ライブ等でお金を取るということも考えられます。著作権使用料が増えてるのは,おそらく携帯向の着歌とかiTunesとかそういうのが結構伸びてるからでしょうが,簡単にコピーできる媒体を捨てて,コピーコントロールされてる媒体に移行する…という事も考えられます。考えてみたらコンテンツがレコードや本で売られているのは,それが産まれた時,その媒体が,個人が所有できて,かつ,素人が複製できない媒体だったからでしょう。

ただこれらの考え方がそのまま本に適用できるとは思いません。今電子書籍も試みが始まってますが,本当に始まった…というレベルです。音楽が10年経ったらこうなっていた…という感じですから,本の方も10年とか経たないと分からないな…とは思います。おそらくその間に作家の淘汰も起きるし,表現の変化も起るんでしょう。音楽もミリオンセラーが無くなったり,ファンとのコミュニケーションを強化したプロモーションが増えたりとか,今でもいろいろと試みが行われてます。マンガも電子書籍じゃないと出来ない動画や音を組込んだ表現とか,スキャンしたら意味をなさないような,ページを折り曲げて立体的に表現する(思いつきで書いてます)とか,いろいろ新しい表現が産まれて来るかも知れません。

日本の視覚コンテンツの根幹を支えているのは,巨大なマンガマーケットだと私は思ってます。アニメだけじゃなくゆるキャラとかが流行るのも,日本が幼少の頃から大人までマンガに触れているからでしょう。これから産業構造が変わるかも知れませんが,いい方向に「も」伸びることを望んでます。
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洋楽と日本人

2011-02-21 22:54:44 | 音楽・アート
今回日本人がグラミーを取ったのは,日本のマーケット進出を狙ってのことという記事を読んで,どうにも皮肉ぽい記事だなぁ…と感じました。まぁグラミーを日本人が取ったのが単純に音楽の質だけの問題ではない…っていうのは,当然思ってますが,改めて書くようなことかね…という感じがします。

グラミー以前にラリー・カールトンが松本氏と組んだのとか,スタンリー・クラークが上原ひとみを起用したのは,日本がアメリカのジャズマーケットとしてとても重要だからで,そんなことは一年中日本にジャズミュージシャンが来日し,夏フェスなどには大挙して来ることを考えれば当たり前の話です。アメリカのミュージシャンは日本が好きですが,それは日本人が海外のミュージシャンを大事にすることと,音楽自体を鑑賞するからというのもあります。

ですから,別に日本のマーケットを当てにしてるのは,今年に限った話ではないのではないでしょうか。わたしはむしろそれよりも音楽に限らず日本の食事やマンガ・アニメやファッション等が西洋で地位を上げていき,これまで経済面でしか注目されてなかった日本が文化的な面でも評価されるようになってきてるんではないか?…と今回のグラミーでは思いました。

少し昔話になりますが,かって日本で貸しレコード屋が大流行したとき,著作権料をどうとるか?というのが問題になり,日本のレコードは貸し出し一回毎にお金を取るようになりました。ですが,洋楽はそれも認めず,結局ある時期から洋楽の新譜は貸しレコード屋から無くなりました。わたしの記憶では,その後から日本の方も洋楽を積極的にプロモーションしなくなり,日本の音楽マーケットは邦楽一色になりました。時期的にいうと,80年代は日本でも盛んに洋楽がTVで流れたりして売れてましたが,90年代になり無くなったということです。

わたしはこの時に日本の音楽マーケットはアメリカから見捨てられたのだな…と思いました。結構ガッカリしたものです。ですから,今回のグラミーが日本マーケット目当てだといわれても,簡単には信じがたいな…と思ったりしてますが,どうなんでしょうね?。
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キモカワ

2010-12-27 21:00:16 | 音楽・アート
TVをみて思うこと…。

最近の子供向け番組に出てくるキャラクタはやりすぎ感が強い気がします。特にNHK教育。まぁゆるキャラは子供向けとはいえないので,まだいいのですが。

子供は気持ち悪いくらいのキャラの方にはまるというのは聞いたことがあるのですが,昔の子供向けキャラはかわいく作ろうとして,なにかバランスが悪く気持ち悪くなっていたような気がしますが,今のは明らかに気持ち悪いのを狙っているでしょ?って思います。個性を出したい,ありきたりじゃイヤ,過去のキャラと被らないようにしたいというのはわからないでもないありませんが,個性とかはデザイナーのエゴだし,過去キャラも,子供にとっては関係ありません。

ついでに書くと,今のキャラはどうも寿命が短すぎます。短いのは奇をてらってるからじゃない?という気もします。もちろん放送局の大人の事情もあるんでしょうけど。

うさこちゃん(ミッフィー)は作者がどこまでキャラを簡略出来るか?に挑戦して出来たものだと思います。うさこちゃんが世界中で長年にわたり愛されているのは,シンプルなのに特徴がある…というのも大きいと思います。そういうデザインの発明が難しいのは良くわかりますが,だからこそキモカワいくして,斬新さを狙うのは,デザインとしてはちょっと安易じゃないか?とも思います。

というわけで,もう一度原点に戻ってみたらどうでしょう?。このままではどんどんキモサが進行しそうで怖いです(^^;)。
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