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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

表現業界の自浄作用

2010-12-08 06:00:00 | 音楽・アート
山口先生が都の非実在犯罪規制について書かれているのを読みました。

東京都が条例でマンガでの性犯罪的な表現を規制しようとする動き,わたしも以前は関心が高く,条例制定に反対してました。が,今は少し関心が下がってます。なので現在の条文を読まずになんとなく思うことを書きます。

わたしもマンガとかアニメは好きだし,その中にある表現の幅が狭まることは望ましくないと思ってます。ただわたしが反対なのは,定義が曖昧なままに規制する事と,今すでにでている作品で良い作品が,その条例の元に規制されてしまう懸念です。新しい作品は,多分条例で規制されれば,表現が変わるだけじゃないか?…と思ってるので,実はあまり心配してません。

とはいえ,上記先生の案を読んでいて,少し疑問が浮かんだのも事実です。条例が曖昧で恣意的に扱われる恐れがあるので反対…というのは賛成です。ただ事業者が自主的に自主規制するというのは,本当にあてになるんだろうか?という疑問は残ります。実際に18禁規制されていない,どこで誰でも手に入るマンガ雑誌における,エロ表現は,この規制が問題になっている間にも過激化が進んでいるようにも思います。厳しくなりそうだから自主規制しようという動きよりも,売れるうちに売っておこう…という風にすら見えます。そういう業界に自浄作用があるんだろうか?…という懸念があります。

規制をしたい人はいろんな思惑があるんでしょうが,中には単純に低年齢の子供に卑猥な表現を見せたくない…という人も多いと思います。そういう人になにかしら安心する約束をせずに,自分達で自主規制するから…と言われても,多分あっさりと納得するとは思えません。そういう歩み寄りが必要なのではないでしょうか?

それから,わたし自身がマンガが好きだから思うのですが,やっぱり今のマンガにおけるエロ表現は,無意味に過激化してるのが多いと思います。もちろん,マンガは表現だから,新しい表現を模索するのも大事だし,エンターティメントとして,お色気を使うのも読む方としても楽しいです。ただ,エロとか暴力とかを使って過激さを表現するのって,たいしたことじゃないと思うのです。ある意味安易すぎる。もちろん,それを使って,本当に質の高い表現をしてる人もいます。でもそうじゃない作品が目につきすぎる…というのが,上に書いた業界の自浄作用に疑問という話です。線が引かれているから,線ギリギリをやってみよう。線を少し向こう側に押してみよう…とやってるだけのようなものも多いです。

わたしは芸術は作家性だと思ってるので,社会が引いた臨界点を踏んで新しい表現…とするのは本質じゃないと思ってます。そういう人は,線を厳しくしても甘くしても,その線の辺りで,表現をするだけですから,別にどこに線を引いてもいいじゃないでしょうか?。

再度書きますが,わたしは過度な規制には反対です。でも無責任な表現の氾濫も好ましくないと思うのです。もし本当に業界に危機感があるのであれば,今この議論がされているこの時に,やれば出来ることを示してみてはどうでしょうか?
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現代の芸術家

2010-11-13 12:36:57 | 音楽・アート
先週くらいだっけ?,岡本太郎の話をBSでやっていたので観ました。

わたしは個人的な理由で岡本太郎は小学生の頃から意識していて,結構ずっと好きです。というか,更にその前大阪万博の太陽の塔を彼が作ったという話は聞いてました。既にそのときにもう,有名な芸術家だったというわけです。

わたしはピカソも好きで,こちらは中学くらいから好きだったと思いますが,二人とも前衛的で,同じような芸術運動の中から生まれた作風ですから,共通点も多い様に思います。作品自体とは違う部分で言うと,二人とも生きているときから一流の芸術家として高く評価されてました。だからだと思いますが,絵画以外にも彫刻や陶器とかいろんな作品を残してますし,そもそも生き方自体やメディアの露出自体が芸術だった様にも思います。

先日ミッフィーをデザインしたブルーナさんが語っているビデオを観ました。彼が自分の美術館を作ってもらった時,これまで過去の芸術家は死んでから美術館とかを作ってもらっていたのに,自分は生きているうちに作ってもらえて幸せだ…というようなことも言ってました。

考えてみたら,昔の偉大な芸術家には,死んでから評価された人がたくさんいます。生きてるときは貧乏で食べるのに精一杯だっという人が多かったように思います。でも最近,あまりそういうのは聞かないというか,メディアに芸術家が露出していて,その人は今も生きてるうちから評価されているように思います。単にTV受けがいいだけという人もいますが。逆に例えば50年位前に死んで,いま急に評価され始めた人っていうのもあまり聞きません。つまり今は芸術家が生きているうちから評価される時代…の様に思います。

これはメディアの発達により,自分の行動を作品とすることが可能になった。それゆえに成功した芸術家の中には作品だけではなくメディアでの栄えも評価の対象となるってことなのでしょう。一方では芸術家を食べさせるパトロンみたいな人は減ってるでしょうから,まぁ一つの時代への適合…なんかもしれません。そういうことをふと思いました。
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エネルギーの才能

2010-11-01 22:51:16 | 音楽・アート
わたしは若い頃から「天才」に興味があって,要は「どうしたら」とか「どういう人」が天才になるか?って事を考えたりしてました。それについて今回は詳しく書くつもりはないのですが,一つの条件として,やはり好きな対象にのめり込み,楽しんで,その才能を伸ばすことに時間を苦も無く費やせた…ということがあるでしょう。本人が努力しているつもりでやっていても天才にはなれないように思います。

それはいいとして,最近良く思うが,その天才にしても秀才にしても,またそれ以外にしても,それ以前に成功してる(会社での出世も含めて)人とかに共通してある性質として,その人が凄く「エネルギーをたくさん持っている」って事があるように思ってます。

エネルギーを持っている…という言葉が正しいかはわかりません。全て同じ様に表層化してるわけではないのですが,感じることとして幾つかあげると,「タフ」「頭の回転が速い」「動きが活発」「ポジティブ」みたいなことを感じます。タフというのは体力があるという場合もあるし,精神的に強い,集中力がいつまでも続く,とかいろいろありますが,タフだなぁと思うって事です。回転が速いとか動きが活発とかいうのは,まるでその人のクロックが速いんではないか?とかそういう場合もあるし,良く動くとか,そんな感じでしょうか。で,ポジティブというのも回転が速くて動きが活発だとそれだけでもポジティブに感じますが,それに加えて明るい,悲壮感がない,人に対しての恨みや妬みが殆んど出てこないとか,そんなことを感じるということです。

もちろんそれだけの条件が揃っていたら天才と呼べるような成功をするわけではありません。成功をするにはある分野で才能を発揮したり高度な能力を得る必要があるでしょう。でもその才能を発揮するために必要な土台として最初にあげたエネルギーを持ってるってことが必要なんじゃないか?と思ったりもします。あまりこういうことを言うといけないのかもしれませんが,天才となるか?才能を得るか?というのはいろんな要素があって,その人の元来の能力や性格とは一対一では対応しませんが,このエネルギーがあるというのは,案外産まれついての能力というか性質なのかもしれないと思ったりもしてます。

もっとも,もちろん,世の中にはエネルギーがあまり外から見えない,例えばおっとりしていたり,のんびりしていたりする人でも天才と呼べるような人もいます。まぁでも珍しいのかなぁ…と。あと,これは余談ですが,エネルギーがあるだけでは天才にはなれないと書きましたが,会社とかの組織では,結構それだけである程度は出世するんじゃないか?という気はします。もっとも会社を大成功させたり起業したりするのは,やっぱりそれだけではダメだとも思いますが。
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少年誌と青年誌

2010-10-01 23:58:55 | 音楽・アート
週末にマンガ「モテキ」の4.5巻を買って読みました。4.5巻というのは4巻で終わったマンガの続巻というわけではなく,外伝が半分と残り半分は作者インタビューで占められているからでしょう。インタビューはほとんど他の雑誌などで行われた既出のものだったようですが,一巻が出たころにやったインタビューにちょっと興味深い所があったので。

ちなみにご存じ無い方のために書くと,「モテキ」は少年マガジンで「トッキュー」とかを描いていた漫画家久保ミツロウ女史が,青年誌であるイブニングに描いたマンガで,青年誌らしく今時の若者の不器用な恋愛を描いており,その「痛さ」から評判になり,いくつかの媒体に取りあげられ,TVドラマになった作品です。わたしは連載開始時から読んでましたが,おもしろかったです。

わたしはこの作品はドラマになるくらいですから十分に話題になり売れた…と思っていたのですが,一巻のインタビューを読むと,マガジンの売れてる人達に比べると全然少ない…みたいなことが書いてあったのです。もっともこのマンガ話題になったのは,この後だったような気がするので,今でもそうなのかはわかりません。連載後のインタビューでは
モテキを最高傑作にしないように
と言ってるので,もしかしたら最終的にはマガジン連載時よりも売れたのかも知れませんが,どうもこの初期のインタビューを読むと,そんなに「数」は出てないように読めました。

思ったのが,青年誌で売れても少年誌とは桁が違うのか,もしかしたら青年誌でヒットしても,少年誌では普通の部数より少なかったりするのか?みたいなこと。勝手な思い込みですが。

あぁ,でもそうかもなぁ。日本のマンガやアニメは年齢層が広くて,どちらも子供向けじゃなくて,青年や大人向けの作品があって,マンガは青年誌,アニメは深夜アニメとかでやってるけど,そこで大ヒットしても,マンガでいうと少年マガジンやジャンプやサンデー,アニメだと日曜の朝や平日の夕方…とかの作品が作り出してる市場規模とは全然違うのだろうか?ということを思いました。大人向けの作品は作品の層を厚くするのに必要なものだけど,経済効果は少なく,所詮マニア向けって事なんでしょうか…。

そういうのって,映画とか音楽とかでも確かにあるような気がしますが,なんとなくマンガに一般向けとマニア向け…というか,青年誌マンガがマニア向けという風にはあまり考えてませんでした。

もちろんここでいう一般向けと,マニア向けが野球でいう大リーグと日本の野球みたいな明らかに「優れた人はあっちにいく」というものではなくて,それぞれの役割が違うってことなんだろうけど…。確かに長者番付に載るようなマンガ家は少年誌に連載してる人ばかりということを思うと,経済的な成功は少年誌の方だけになるのか…みたいなことを思いました。
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なりたい仕事になるということ

2010-09-27 07:17:26 | 音楽・アート
あまり絵がうまく無いけど漫画家になりたいと言い出した高校生にどうあきらめさせるか?みたいな話がネットで話題になってました。

意見として多かったのが天才は諦めないので,「やめろ」と言えばいいみたいな話。あとmichikaifuさんは凡人でも仕事にする方法はあるみたいな事を書いてます。michikaifuさんの意見は,まぁ間違いでは無いのですが,ちょっとわたしが感じている問題とは違っています。

わたしがまず思ったのは,いろんなケースがあるとは思うけど,絵が下手な高校生が突然漫画家になりたいと言い出したとき,それって単なる思い付きで言ってるんではないか?ということ。だから,凡人でも仕事にするということまでして,仕事にする方法を教授しなくてもいいんじゃない?みたいな感じです。

元の話とは違う人ですが高校のとき突然漫画家を目指し始めたという人の話が載っていて,これもずっと漫画家になりたくてやってきた人ではなく17歳のときに友人がミュージシャンになると言い出したのをみて,漫画家になると言い出した人みたいなものを元の人でも感じてしまいました。

この話についてはTwitterで本当の漫画家がいろいろ「こうしたら?」と書いていて,まぁみんな優しいというか,もしかしたらこういう風にプロになった人も結構いるのか…とも思ったりしたのですが,やっぱりもしわたしがこういう高校生の親だったり教師だったり先輩だったりしたら,もっとその人の本気度と,戦略と,地力を確認するだろうなぁと思います。

多分真っ先にするのが,本当にプロにすぐなれそうな人とか,実際のプロに会わせようとするでしょう。そこで才能の違いや,現実の大変さをみると,思いつきで言い出した人なら萎えちゃうはずです。現実を見せずに言葉だけで諦めさせるのは,少し難しいかもしれません。見せるだけでダメなら一年くらい弟子入りさせるとか,それがダメなら実際に作品を描くノルマを決めて,もっと凄いペースで応募させるとかやらせるだろうなぁ…と思います。懸賞に応募するなら本当は学生をやりながらでも出来るはずだから本当はそちらを勧めます。

例えば三ヶ月…いや,毎月一本は短編を描いてどこかに持ち込めとか言うんでしょうねぇ。それが無理…というなら多分それはプロになるのも無理。本当にプロになれるくらいの人なら,売り込みの戦略とかが稚拙でも,好きなことをすること自体は苦にならないはず。やらずに夢ばかり語るのは本当の天才にはなれません。

そんなことを感じました。

実はわたしは高校時代にミュージシャンになりたいとちょっとだけ思ったことがありますが,すぐに本気度は下がりました。でも音に関する仕事をしたいとは,そのときから思って,大学もそれ関係の学部に行きました。大学に入るまでなりたいと思っていた職業と,学部の卒業間際になりたいと思った仕事と,大学院を卒業し就職した先は実は全部違うのですが,でも一貫して音に関係する仕事です。就職してからも異動とかが何度もありましたが,大きくくくるとやってることは変わって無いでしょう。わたしは自分が天才だとはあまり思ってませんが,確かにあらためて思い返すと,諦めたことはありませんでした。そしていつも,どうしたらこの仕事に就けるか,この仕事を続けていけるか?と今でも考え,そしていろいろ手を尽くしてます。でも,実はそれが努力してるという感覚でもありません。好きな仕事に就き続けるというのは大変なことだと思いますが,一方でそれが当然のことの様に思えて続けられる。現実のその場所にいてもそう思う…というのは必要なことだろうなぁと思います。
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瞬間最大と積分値

2010-09-09 23:02:34 | 音楽・アート
私は外出時によくiPodを聴いてるのだけど,自分が持ってるCDから自動的に選び出して聴いている。最近はJaco Pastoriusのアルバムを聴いていた。ジャコは世界最高と言われた絶頂期から一気に没落して死んだので,絶頂のプレイを収めた彼名義のアルバムはかなり少ない。その少ないことが寂しさを感じさせる。

kaienさんが「作家の評価は最高傑作で決めるべき?」と書いてるのを読んで,わたしは小説やマンガというより音楽のことをすぐに連想してしまう。駄作や失敗作の有無で評価するというのはもってのほかだと思う。でも最高傑作一本で評価するのか?というと少し違和感がある。いや,気持ちは分かるんだけど…。

コンスタントに数十年傑作を産み出してきた人と,一本傑作を作り,すぐいなくなった人を,両方とも一本の作品で評価して比べるのは,どうも違うんじゃないか?ということ。逆に何本も傑作を産み出している人は,最高傑作を選べなかったり印象が少しだけ薄かったりするんじゃないか?ということです。音楽でいうとマイルスやメセニーやキースジャレットの最高傑作はどれですか?というと選びにくい。それをジャコやジミヘンとかの作品と比べるといってもなぁ,ということ。

音楽だとなんなので,マンガにたとえを変えると,手塚治虫や石ノ森章太郎,萩尾望都の作品を一本だけ選ぶのはやっぱり無理だし,逆に私はこれらの人たちは,これだけたくさんの傑作を生み出したことも評価したいと思う。

というのと,今の漫画家は一作のヒット作品を長期連載する傾向が強く,あまり私は好きではない。新しい作品世界を模索して,駄作も傑作もたくさん作った人こそ天才では無いか?という気すらする。

作家の評価の仕方はいろいろあるとは思い,これが唯一の方法だというのは無いとは思うんだけど。
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芸術について

2010-09-06 21:45:31 | 音楽・アート
ちょっと芸術について書こうと思います。

何度かそれっぽいことを日記で書いてますが,わたしは芸術で一番大事なものは「作家性」だと思ってます。ここでいう「作家性」とは,簡単にいうとその人の作品だと作品からわかることです。作品からその人とわかるには「独自性」「一貫性」が必要であり,独自性を出すには「新規性」と「技術(真似しにくさ)」が必要になります。一貫性ということは,誰も観た(聴いた)ことが無いものをつくっても,作った人自身が二度と同じようなものを作れないのであればダメということになります。ですから,奇をてらっているだけでも,作家性は上がりません。一言で言うと独自のスタイルを構築する…ということになります。

さて,こういう観点でわたしは芸術作品を評価しますが,それとは少し違った軸で,芸術作品について,「予備知識がなくても理解できるか?」というのと「一目で感動するか?」というのがあります。現在芸術には説明文がないと価値がわかりにくい,つまりつかみどころがない作品が多いのですが,個人的な好みでいうと,あまり好きではありません。ただ説明を一度聞けば,その後はその人の作品を説明無しで感じ取れるのであれば,まぁありかな…とは思います。

あと一目(聴)で感動するか?というのは,確かに一目で感動する作品は優れてますが,芸術性とは若干違っているのではないか?と思います。それはポップさキャッチーさであり,つまり作品のエンターティメント性じゃないか?ということです。ただしエンターティメント性と芸術性は相反しません。むしろわたしの好みでは両方を備えた作品が良い作品だと思います。ただ一目で感動するというのは,独自性が全くなかったり一貫性がなくても,技術力が高いだけでも感動するものもあります。

さて,わたしの芸術に関する考えはだいたい上に書いたことで言い表せるんですが,はてなの質問にピカソとか現代美術のどこがすばらしいのか?という質問があり興味深くやり取りを読みました。

実は最初ピカソが「でたらめ」と書いていたので,ピカソがでたらめに見えるんだ…と思って驚いたのですが,回答の中で結構でたらめと思ってるとか,他の人がいいと言うからいいと思ってるという人が多くて,ちょっとガッカリ…。みなさん,あんまり芸術として観てないんだなぁと。

というわけで,わたしも実はこの質問にコメントしてるのですが,質問者は上に書いたエンターティメント性とか予備知識の辺りに結構引っ掛かってるようでした。説明とか周りの人が評価するから…というのは,もう言語野で芸術を鑑賞してるような感じです。もう少し漠然としたものから,作家性を自分の頭の中に構築することをやっていけば,結構な前衛芸術も,非常に一貫性のあるものが多いということに気づくと思うのですが…。



ちなみに余談ですが,最近話題になってるポップカルチャーの村上氏,オタクカルチャーを引用して海外で評価されてるので,オタクの方からは結構きつい評価をもらっているようです。で,わたしはそういうことよりも,彼の作品は作家性に乏しいと思っているので,そういう点で評価してません。彼の作品の中で,変なクマみたいなキャラクターを使っているのがいて,アレぐらいですかね,彼の作家性を感じるのは。あとは本当にフィギュア作家がつくった工芸品と区別つかないものが多いし,わたしは工芸品がそれだけで芸術になり得る…ともちょっと思ってないのです。
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音楽への触れ方と時代の変化

2010-08-08 21:53:51 | 音楽・アート
「CD」が残っても「音楽配信」が普及しなくても、レコード産業が持つかどうかはわからない』というのを読んだ。CDから音楽配信になろうがなりまいが,全体の売り上げは下がっているとの事。わたしの経験からは,まぁそうでしょう。そもそもレコード会社は売り上げが上がると思って音楽配信を始めたのではなく,仕方なく始めたのですから。シングルの売り上げが上がってるというのは,興味深かったけど,まぁ一曲単位で買ったほうが安いからってことでしょう。あとYoutubeね。Youtubeは著作権料を払ってはいると思うんですが,その契約のあり方は,今後も変わらないのでしょうか。

ちょっと整理しようと思ったのは,わたしが子供の頃,例えば30年前は音楽の聴くというと,(1)レコード(EP,LP,カセット)を買うこと,(2)コンサートに行くこと,そして(3)ラジオを聴くことでした。周辺として,レンタルLPを借りる,ラジオを録音する,カラオケ(を聴く,歌う)というのがありました。大体これくらいでしょうか。今に比べれば種類が少なくて判りやすいです。最初にあげた三分類は(1)パーソナル・オンデマンド(選んで聴く),(2)生演奏,(3)ブロードキャスト・自動的に選んでくれると割りと綺麗に分かれてました。周辺としてあげたレンタルは(1)の付随,エアチェックは(3)を(1)に変換するということです。

…で音楽配信。これは基本的には(1)です。音楽ビジネスが傾いていると言っても傾いているのは(1)の部分では無いでしょうか?。もちろんここが一番売り上げ規模が大きいんでしょうけど。(2)の生演奏が,ITの発達で増えたとか減ったとか言う話はあまり聴きません。(3)のラジオはリスナーが減ってるというような噂も聴こえてましたが,最近はネットラジオとうまく融合できてるという話も聴こえてきます。

現在の状況を書くと上の番号と同じ分類では(1)CD,音楽配信,ファイル共有,Youtube,ゲームソフト(2)コンサート・ライブ,(3)ラジオ,ネットラジオ,ストリーム,となるのでしょうか。あとストリームはタイムシフトの機能もあって,これは以前は無かった音楽の聴き方になります。

こうやって書いても,売り上げが下がっているのも多様化して,販売効率が下がってるのも(1)の部分であり,他の方が悪くなってるのかは,今のところ良くわかりません。

というわけで,以前から気になってる,CDが売れないから音楽という文化の危機…という言い方は,(1)が滅びるだけじゃないか?という気もしてます。もちろん(1)の市場が音楽表現というのを支えていたということは否定できませんが,(2)や(3)が主体になっても,リスナーは音楽に触れることは出来るでしょう。食べられる音楽家の数は変わるかも知れませんし,音楽に触れる機会も減るのかもしれませんが,…というか本当に機会も減るのかな?,減ってるのかな?という気はします。

書いていて思ったのは(1)~(3)以外の形態があまり出てきてない,技術が発達しても音楽への触れ方が変わってなければ,そりゃー市場も縮小するよねという気もします。というわけでちょっとタイムシフトの機能が,新しい音楽の触れ方を変えないか?という気はしてます。それ以外にも新しい音楽への触れ方が現れるといいな…と思うのですが。
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アートとネット

2010-06-08 21:39:39 | 音楽・アート
どこから始まったのか良くわからないのですが,ここしばらくネットのあちこちでアーティストのビジネスモデルの話が盛んにされているように思います。要はネットによりコンテンツがタダでコピーや配布されたり,単価が極めて安くなったりしてます。で,喰えないし,それがアートの衰退につながるよ…って話。

この手の話は10年前に音楽配信が始まったときから盛んにされてきてると思うのですが,何故か今急に盛んになったのは何故でしょう?これまでと少し違うなというのは,今までは出版や著作権管理団体が,配信技術について文句を言うという構図だったのが,今回はむしろ本当にコンテンツを作っているアーティストが声を出してる様に思います。ただし,何でも反対と騒いでいるわけでもなく,なんとなく複雑な感じです。コンテンツ配信そのものがダメだから取り締まると,たぶんそういうことを言ってるのではなくて,何かうまく食べていけるシステムは出来ないものか?みたいな感じでしょうか?。

なぜ今話題なのか良くわかりませんが,アップルのiPadとかiTunesが本格的にユーザを広げそうな状況だから,そこで再び話題って事なのかしら?

これについては,わたし自身10年以上この状況を観ていて,結局のところ何が最適なのか良くわかりません。ただしそうこういっていても状況は進んでいっています。

今漠然と思うことをいくつ書くと…。

たぶんこれからも,ある一部のアーティストが多くの人に支持されてコンテンツから収入を多く得ることは続くと思います。ただし,単価が下がると思うので,そうやって食べれる人は減るように思いますし,ネットは世界の垣根を取るので,より一部の人が世界中からコンテンツを買われるでしょう。一方で,そうなるとその人の生コンテンツに触れられるファンは本当に一部になるので,たぶんそういうのとは別に身近なアーティストというものも出てくる。これはそういうネットや流通で収入を得るんではなくて,本当にパフォーマンスや生コンテンツで収入を得る。ファンは少なくても,単価は高いので,まぁそこそこ喰える人は残る。あともう一つ会員制。SNSがそれになるのか分からないし,生コンテンツを売る人…がそうなのか分からないけど,たぶんファンが会員制的に集まって特定のアーティストを支持するというのもたぶん出てくる,というかたぶん今でもあるんだろうけど,結構そういうのは外からは見えにくい。

今考えられるのはそういう形態が極端に分かれていくんじゃないかな?と言うことです。生コンテンツに触れることが出来るこじんまりとしたものは,元々原始的な芸能がそんな感じ。でも放送とか流通が始まって,徐々に全国区のアーティストというものが増えてきた。で,今また戻るかな?とも思っていたのですが,ネットはグローバリゼーションを進めるので,たぶんそっちの方も極端な形で残るでしょうと思います。

これらのアートのビジネスモデルはそれぞれ違うので,たぶんコンテンツを売る人はどの戦略でやってるのかを意識したほうがいいんだと思います。それぞれかかるコストや戦略が違います。

もう一つ,少し話が変わりますが,コンテンツはコモディティじゃないので,アマゾンとかグーグルとかiTunesとかのアメリカのモールに頼らなくてもいいんじゃないかな?という気もしてます。本当に聴きたい人は,アマゾンやグーグルじゃなくても買うでしょうから。なぜそうしたほうがいいか?というと結局,これらのサービスはアメリカに一番儲けが集まるようになっていく様に思うからです。先月書いたように外国の帝国主義に乗る必要は無いと感じております。

この話,まだまだ先は見えないのですが…,とりあえず今の時点のメモということで。
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文化遺産が消える日

2010-05-24 23:02:18 | 音楽・アート
先日漫画本を買いに行って店頭に並ぶ大量の単行本を見ながら思ったこと。
いま,漫画の性表現の制限について議論が盛んです。わたしも漫画の中には子供に見せるべきでは無い内容のものが結構ある,また未成年にも見せるべきでは無いものが結構あると思ってます。ですから,そういう漫画を本屋のそれ専用のコーナーや,そういう本屋でしか買えなくする…と いうことには反対しません。

ただし,問題なのが,その不適切であるという条件をどう整理するか?ということ。そしてあまりいわれて無いけど,過去の作品をどうするか?ということです。

今の漫画って,特に青年誌に載っているような漫画は,結構性的な表現を描くものが多いです。さすがに子供の性行為を描くような作品はわたしが読むような雑誌ではあり得ないのですが,大人の性行為だったら描かれてるし,あとまぁ高校生ぐらいなら,少しお色気を感じるようなシーンも描かれていたりします。

で,これらのシーンが漫画の表現上重要か?というとほとんど重要じゃないんです。ですから,たぶん漫画で性表現が制限されても,面白い漫画が描かれなくなるわけでもないと思います。一方で,直接性的な描写をしなくても,十分に色気を感じる表現をすることは,作家だったら結構可能でしょう。そういう意味では,新しい作品を制限することにはあまりならないと思います。ただ,じゃぁなんでストーリの本筋と関係ないのに御色気なシーンが出てくるかというと,たぶん読者の目をひかせるためだと思います。青年誌の漫画って,連載の最初の方だけ,エロシーンがあって,それ以降全然出てこなくなる作品って結構あります。人気が確立するまでは,いろんな手で読者に注目させようとするのでその過程でそういう表現が出てくるのでしょう。

さて,そういうわけで性的じゃない作品の中にも,ほどほどに性行為が描かれている作品はあるし,オッパイやパンツが見えるくらいの作品ならさらに山の様にあります。新しい作品からそういうシーン消えてもたぶん大丈夫でしょうけど,これまでの名作という漫画の中にも そういう作品がたくさんあるんだけど,それらをどうするんだろう?ということです。作家が生きていて,人気があってどんどん改編が可能な作品なら描きなおすって手もあるでしょう。でも限られた人気で 再編集が不可能なものとかどうするんだろうな?と思います。いま日本に山の様にあるコンテンツの宝の扱いが難しいということです。

例えば,海外では日本では子供向けの作品でも墨を入れられるものがあると聞きます。ドラえもんでしずかちゃんの入浴シーンが黒く塗られている国があると聞きますが,そういう風に塗られてしまうのか。またかってのちびくろさんぼみたいに不適切な表現として消えてしまうのか?。そういうことが起きないとも限りません。

本屋で目の前に並ぶ大量の青年向け漫画の背表紙をみながら,これらが全部18禁コーナーに並ぶことになるのだろうか?と思うと,やっぱり悩ましいなぁ…と思いました。
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