1年前の2月24日は、荒川静香が金メダルを取った日だ。
なぜはっきり覚えているかというと、去年、2月24日、
親子4人、結婚25周年家族旅行で空港へ向かう車の中、
荒川静香のメダルを懸けたフィギアースケートを見ていたからだ。
私達は、携帯電話の小さなテレビ画面に映る
清楚でなめらかなスケーティングを食い入るように見つめ、
鮮やかにジャンプが決まるたびに、歓声を上げて喜んだ。
私達のアメリカへの家族旅行は、この荒川静香の応援から始まったのだ。
この「結婚25周年家族旅行」は、
新婚旅行の思い出の地アメリカを、親子4人で訪れるという
私にとって色々な思いのいっぱい詰まったとても大切な旅行だった。
せっかくブログをつけ始めたので、去年のことではあるけど、
この旅行のこともぜひ記録に残しておきたいと思う。
と、いう事で。。。
これからの1週間は1年前にタイムスリップです。
結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」
2ラスベガス
3グランドキャニオン・パリスカジノ
4デスバレー国立公園・Oショー
5思い出のサンフランシスコ
6ヨセミテ国立公園・フランス料理
7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国
新婚旅行
25年前の私達の新婚旅行は、サンフランシスコ、ロサンゼルス、
ハワイへの旅だった。二人の共通の趣味は旅行。
他の事は節約しても、旅行だけは行きたいところに行って、
思い出に残るものにしたかった。
ところが、私は結婚式の前日眠れず、寝不足、飛行機酔い、
それに風邪までひいてしまったみたいで、
サンフランシスコに着いた時は、ふらふら状態で、
市内観光バスに乗ったものの、しんどいだけ。
主人に悪いな~と思いつつも、とりあえずはそれどころでなく
なんで、こんな遠いところまで来て、こんな目にあわなあかんのん。。
ゴールデンゲートブリッジも、ツインピークスも
もうええから、早よホテルに着いて~~という感じだった。
そして、ホテルに着くなりバタンキュー。。
楽しみにしていたフィッシャーマンズワーフでのシーフードも食べず、
憧れの坂道を走るケーブルカーにも乗らず、
ただ、ひたすら眠ってしまった。
後から聞いた話によると、主人は、新婚の病気の奥さんを放って
一人出かける訳にもいかず、部屋でピーナッツを食べながら
水割りを飲んで、英語で話すテレビを仕方なくみていたらしい。
本当に悪い事をした。すみません。。
でも、さすがに25年前。
若いということはすごい事で、翌日からはしっかり完全復帰。
が、2日目はモントレー・カーメルの一日観光が入っていて
次の日は、もうロサンゼルスへ出発となり
サンフランシスコは、何がなんだかわからないままに終ってしまったのだ。
その時私は思った。
25年後もう一度サンフランシスコを訪れよう
子供も生まれていたら、子供もいっしょに訪れよう。
そして、その時こそサンフランシスコの町を思いっきり
楽しもうっと。
あれから25年
あれから、25年がたった。
25年と一言にいっても、もちろん山あり、谷ありの
色々な事がいっぱいにあった25年であり。。。と、
ま、それはさておき、ついにもう一度
サンフランシスコに向かう年が来たのだ。
生まれた子供は男の子が二人。
どうしても、息子達もいっしょにサンフランシスコに行きたい。
2006年、結婚記念日にわりと近く、
息子達二人共に予定のないわずかな間に絞って日程を設定。
半年以上前から、ここだけは空けておくようにと息子達に言い、
主人にもその日に合わせて休暇をとってもらい、私の仕事も調整した。
そして、いよいよ、サンフランシスコに出発
初めは新婚旅行と全く同じルートを考えていたが、
やっぱり行った事のない所を入れた方がいいかなと、
ラスベガス・サンフランシスコへの旅となった。
家を出発したのは2006年、2月24日、朝6時。
トリノオリンピック、フィギアースケート
荒川静香登場の直前だったのだ。
この飛行機で、まず、ラスベガスへ出発
(2006結婚25周年②「ラスベガス」へ続きます。)
新婚・・花嫁さんは大変ですものね。
読んでいただいてありがとうございます。
25年来の夢が叶って嬉しいひとときでした。
あっという間の一週間でしたが、
思い出は今も心の中に残っています。
楽しかったな~
また、4人で行きたいなと思っていますが
なかなか難しいですね。