京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤした後の生活を
大好きな旅行を中心に綴っていきます。

2019年クロアチア他2国の旅16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町

2021-09-30 15:35:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅15クロアチア内陸自然と町
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町

 

2019年6月28日

国境越え

メトコビッチを通ったあと、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの
イミグレ(入国審査場)に停車。

これからもう一度ボスニアヘルツェゴビナに入ります。
このイミグレが一番時間がかかると聞いていました。
バスがずらっと並んでいる時は、2時間くらいかかる時もあると
脅かされていましたが、

添乗員さんが一人一人のパスポートを集めて、
運転手さんと一緒にイミグレに行き、
私達はバスの中で待つこと20分くらい。

結局イミグレに着いてから30分くらい、思ったよりも早く
ボスニアヘルツェゴビナに入ることができました。

これは、すっごく早かったみたいで、私達よりも
添乗員さんが一番、すごいです~と興奮されていました。

ドライブイン休憩

ということで、ここからはボスニアヘルツェゴビナの
大自然ですよ。

まずは、ドライブインで休憩。
バスから降りてほっとです。
動かないバスにじっと座っているのも結構しんどいものです。

何か買いたかったけど、レジはいっぱいの人が並んでいて。。
ここはトイレ休憩だけでした。

ボスニアヘルツェゴビナ

さて、ボスニアヘルツェゴビに入ったのですが、
ご覧の様にボスニアヘルツェゴビは三角形をした大きな国。
歴史的に北中部はボスニア、南部はヘルツェゴビナと
呼ばれてきたそうですが、スルプスカ共和国(セルビア人)
との連邦国家でもあります。

私達が行くモスタルはボスニアヘルツェゴビの
南の端の方にあります。
ボスニアヘルツェゴビで行くのはここだけ。
せめて首都サラエボも行きたかったな。。

 

ボスニアヘルツェゴビの紛争について

ちょっとここからはボスニアヘルツェゴビナの景色を見ながら
ボスニアヘルツェゴビナ紛争についてのお話を。

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞くと、
皆さんはどんなことを思い出されますか。。

多分。。私がそうだったように、
30年ほど前のボスニアヘルツェゴビナ紛争の事ではないでしょうか。

 

ちょっと荒れた土地や、クロアチアとは違った建物が並ぶ道を
走っていきます。

それまで聞いたこともない国名だったのに(地理で習っていたかも?)
あの頃連日新聞やテレビから伝わる、ボスニアヘルツェゴビナの紛争報道を
戦争のない平和な日本にいて、信じられない気持ちで聞いていました。

 
これは、ボスニアヘルツェゴビナのガソリンスタンド(Mališić Petrol)
 
 
ボスニアヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビアの共和国
(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、
 北マケドニア、スロベニア、モンテネグロの6カ国、
 コソボ自治区を入れたら7か国)の一つでした。
 
 

旧ユーゴスラビア時代からボスニア・ヘルツェゴビナは
ボシュニャク人(ムスリム・イスラム教)、セルビア人(正教徒)、
クロアチア人(カトリック教徒)の3勢力が共生する多民族国家でした。

旧ユーゴスラビア時代には、チトーが連邦維持のために、
民族運動を徹底的に弾圧。

弾圧の下、民族間に言語や宗教考え方の違いはあっても
民族間の交わりや婚姻も行われ、
静かに各民族が暮らしていたようです。

 
ところがチトーの死後、各共和国で民族主義が台頭。
1991年、クロアチアが旧ユーゴスラビア連邦からの独立を宣言し、
クロアチアで独立紛争が始まると、

ボスニア・ヘルツェゴビナでも各民族間の対立が激化し、
紛争が勃発しました。
 
 
1992年旧ユーゴスラビア連邦が解体すると
3つの民族が混在していたボスニア・ヘルツェゴビナ内部では
3勢力がそれぞれ「民族浄化」の名のもと他民族の追放や虐殺を行い
凄惨な戦いが続いたのです。
 
これがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、30年ほど前に
私がテレビで見ていた悲惨な状況は、この時の様子でした。

紛争は1992年4月から1995年12月までの3年半にわたって続き、
NATO(北大西洋条約機構)軍の介入を経て終了。

でも、なんと。。

死者20万人・難民200万人を出す結果となったそうです。

 

ネレトバ川の渓谷

ここは、ネレトバ川の渓谷。
川の水は青く、周囲の山の緑は美しく、
きっと30年前の紛争時も同じ美しさだっただろうに
どうして同じ人間同士がそこまで争わないといけなかったのか。。
悲しくなりますね。

こんな美しい景色のボスニアヘルツェゴビナなのに。。
 
しかも、それぞれの民族が神を信じ、宗教心を持っている人々なのに
どうして戦うんだろうか。。と思ってしまいます。
 
 
ネレトバ川沿いの穏やかな町、
この町の上も30年前は轟音と供に多くの空爆機が飛んでいたのでしょう。。
 

今はこの渓谷にもりっぱな高速が通っていて、町と町を繋ぎ
静かで平和な日常があるようですが。。
 
 
もうすぐボスニアヘルツェゴビナ・モスタル
 
さて、ネレトバ川の流れを見ながらバスは進んでいきます。
 
 
この辺りから、町っぽくなってきましたよ。
教会の尖塔もあります。
 
 
モスタルも渓谷にある美しい街なのだそうで、
いよいよもうすぐモスタルのようですよ。
 
 
そして。。ヘルツェゴビナ地方では最大の中心都市、
ボスニア・ヘルツェゴビナでも5番目に大きな都市のモスタルにやっと到着。
3時間半ほどかかったバス移動でした。
 
ドブロブニクのホテルを出てから、結構長かったです。。
 

に続きます。
 

最後までお付き合い頂き
ありがとうございました。

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