
天気もすっかり回復して名護博物館から約100mの「名護のひんぷんガジュマル」を見に行きました。
写真上段は、名護博物館の側(南東)から撮った「ひんぷんガジュマル」で、推定樹齢約300年、樹高19mのとても大きなガジュマルです。
小豆色の鉄パイプの支柱の下に石碑「三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)」が見えます。(写真下段で拡大)
「ひんぷん※」のような大きい石碑から、隣に植えられたガジュマルも「ひんぷんガジュマル」と言われるようになったそうです。
※「ひんぷん」とは、門と、母屋との間にある短い石塀で、目隠しや、魔よけのため造られるようです。
「三府龍脈碑」は、1749年、琉球王府の三司官「蔡温」が造った石碑で、「名護遷都論」「羽地運河開通論」を風水の見地から否定し、戒める内容が書かれています。
「名護遷都論」は、首里城は山の上にあり、道も狭く交通の便が悪い。名護は、平地が広く大和にも近いなど立地が良く、遷都したらどうか。
又、名護と、羽地を結ぶ運河を開き、本部半島を迂回しない海運ルートを整備したら経済効率が上がるという意見だったようです。
琉球が、名目的に清(中国)の柵封を維持しながら実質的に薩摩藩-江戸幕府の支配下にあった複雑な情勢下の議論だったものと推察されます。
写真中段は、海側(南西)からから撮った「ひんぷんガジュマル」です。
幹が向かって右に大きく傾いており、鉄パイプの支柱が必要だったようです。
小さな街中の川沿いの道の真ん中に大きなガジュマルがそびえ、名護市の入口で街を守る「ひんぷん」のような木でもあります。